14.遠足初日
ちょっと長くなりました。
竜さまにあいさつしてから、夕陽の沈む方角に斜面を下った。竜さまの洞はテーブル状の山の側面にある。いったん森の近くまで下ってから登り、山の切り立った崖に沿って、だんだん北上する。
朝靄が立ちこめて、遠くは見えない。崖の所々に生えた木も、途中から霞に消えてしまう。
「日が高くなったら、景色が見える。高えから気持ちいー眺めだぜ」
システーナが指さす先は灰色の雲の壁だ。鳥や獣の鳴き声だけが、はっきりと聞こえてくる。
「風がなくてよかった」
後ろから来るジュスタが言う。ジュスタはいちばん大きな荷物を背負っている。
「重くないの?」
見上げて聞いたら、重いよ、と笑う。
「これでも厳選したんだけど、なかなか荷物は減らないなぁ」
「ホントは工房担いで行きてえんだよ、ジュスタは」
こちらは身軽すぎなシステーナだ。つるはしと三角形の袋を斜めがけにしいる。
システーナと一緒だから、ぴょんぴょん跳んでいくのかと思ったけど、二人は鍛錬と同じように歩き始めた。
「最初から他人任せじゃ、おちびもつまんねーだろ」
「シスさんの跳躍には、俺がついていけないよ」
石がゴロゴロして低い木が生えるだけ。邸と同じオレンジシャーベットの岩だけど、白っぽく風化している。
「崩れやすいから、気をつけろよ」
先に立って手伝ってくれるシステーナが言う。急な斜面は、下からジュスタが押し上げてくれる。
気をつけて歩くうち、だんだん気温が上がる。そして、靄が晴れた。
遙かに広がった景色に、でも、違和感がある。
普通、遠くにある物は小さく、近くにある物は大きく見える。なのに、地平線が見えそうな位置に木が見えた。
私の遠近感が正確なら、遠くへ行くほど木の高さが高く、太くなっているような?
「向こう、山?」
地面そのものが持ち上がって、樹高が高くなっているのかも。
「山じゃねーよ。あっちは竜さまの影響が弱いんだ」
システーナがにかっと笑みを見せる。
「あそこまでは行かねえけど、おいおい分かるさ」
お楽しみにってことだね。まあ、いいや。
空は青く、日差しが強くなって、木々の緑も岩壁の白も鮮やかだ。歩くたびにちりちりとボールが鳴る。
地面を足早に走る小鳥や、遠くでこちらを見ている耳の短いうさぎ――ネズミ(?)もいた。高い木の上につる性の枝がまとわりついて、黄色と白の花を咲かせている。
鍛錬で見たことがあるものも、ないものもある。見回して歩くと危ないけど、カラフルな何もかもに目を奪われる。
崖沿いを離れ、林に入っていく。高い木はまだ少なく、日の光がたくさん通る明るい森。丈の高い草やシダをかき分けて進む。
「ほら、これ、すっげーだろ」
「うがー!」
目の前に羽だけでも七十センチはある虫を出されて、奇声が出た。マツムシかな? 足の付け根をむんずとつかんだシステーナの目は、きらきらしている。
――どこで取ったんですか、すぐ放してあげなさい!
ピリピリピリピリー――ィィン
羽を揺らして奏でられた音に、背中が震えた。
いい音! ワイングラスに水を入れて鳴らす楽器みたいな、透明感のある音だ。
「いい音ですよね。俺も作ってみたいな」
のんびりとしたコメントはジュスタだ。何でも作るに結びつける。
「ジュスタは音出す道具も作る?」
システーナが巨大マツムシを木の枝に返すのを見届けて、聞く。
「簡単な笛やドラムは作ったことがあるよ。でも、こすって音を出すのは、作ったことがないな」
「へえ! あたし、笛欲しー!」
「エーヴェもー!」
ジュスタは明るく笑って、細く長い葉をちぎると二つ折りにして、口にはさむ。
ぴー――!
草笛だ!
同じ葉っぱを千切って口にはさむ。
ふひー――
変な音が出て笑った。システーナも同じ葉っぱを取って、吹く。
ぷぴっ!
これも変な音で、三人で笑った。草笛を練習しながら、森の中を進んだ。
泉の側で休憩する。つぎつぎと水の湧く泉の底は、うっとりするほどきれいだ。
そこでおにぎりを食べたのは、やっぱり私だけ。システーナもジュスタも、水を飲んで汲むだけだ。
「よし。おちびはあたしの背中に乗りな」
背を向けて座られて、首をかしげる。
「歩かなくていいの?」
「残念だけど、おちびの速度じゃ何日もかかっちまうからな」
なるほど、半竜日はシステーナでも十日かかる距離だから、いつまでも遺跡にたどり着けなくなる。
背中にしがみつくと、システーナが立ち上がる。やっぱり背が高い。
「ジュスタ、遅れんなよ」
「心します」
結構な真顔で、ジュスタが答えた。私も、ぎゅっとシステーナにしがみつく。
とーんと岩を蹴って、システーナは走り出す。速い。跳躍のときも落下や上昇ですごい速度を感じたけど、走るのは常に速い。
木が高くなるにつれて下生えがなくなり、根がのたくり回る地面を軽々と駆け抜ける。木の間を通り抜ける鳥とぶつかりそうになって、ドキッとした。
「軽く跳ぶぞ」
大きな滝が見える渓谷を、一息で飛び越える。心配で振り向くと、ジュスタはフックを投げて、こちら側の木を支えに飛び込んできた。
「速いですって」
「来れてるじゃねーの」
「ジュスタ、がんばれ!」
一言交わして、また、速度が上がる。
最初は「速い」で心がいっぱいでも、だんだん慣れてくる。すると、周囲が分かり始めた。
すれ違ったチョウチョが、大きい気がして振り向く。シジミチョウみたいな模様で、掌くらいある。よく見れば、木の幹が太い。ときどき巡り会う草が、トンネルをくぐるみたいに、頭上に葉を茂らせている。倒木に付いたランの花が、私の顔と同じサイズだ。
「むーん、みんな、大きい?」
システーナは歯を見せて笑う。
「ほら、トンボだぜ」
顎で示された先に、三メートルはありそうなトンボを見つけて唖然とした。
――恐竜の時代みたい!
大きいから、足の毛や複眼が生々しく見えてぞっとする。でも、羽の透明感は顕微鏡で見た玉ねぎの皮みたいだ。
どんどん周囲の物が大きくなっていくけど、恐ろしくはなかった。大きくなっても葉っぱは日の光に輝き、色彩は鮮烈なままだ。
夕陽はずいぶん前に沈み、暗い森の中を走り続ける。闇の中を走るなんて、危ないと思うのに、なぜか木が見える。うっすらとだけど、システーナもジュスタも見える。
日が落ちた後、森に入らなかったので知らなかったけど、どうやら私は夜目が利くらしい。思い返せば、邸内に、照明器具はなかった。
――きっとみんな、夜でも目が見えているんだ。
大きな幹の向こうに、ぼわっと光が見えた。
「シス、なんか、光ってる」
「ああ。あそこに行く」
着いた先は、岩の転がる川岸だった。蛍に似た緑色に、草が光っている。システーナの背から下ろされると、草に足が沈んだ。
しゃがんで触る。
――これ、コケだ。
十センチもあるけれど、形は馴染みあるコケに間違いない。
「さすがにちょっと、お腹空いたぁ」
よろよろと川に近寄って、システーナが水面に顔を突っ込む。水を飲んでいるらしい。
「――はあ、やっと休めるな」
遅れて、ジュスタが森から飛び出してきた。
火を焚いて湯を沸かし、黄色い粟みたいな穀物を入れる。
「これ、くすねた」
沸騰した黄色い粒の踊る湯に、システーナが卵を割り入れる。全体に黄色い粥を三人でフーフーしながら食べた。
ふかふかのコケに布を敷いて、座る。高い木の向こうに、こぼれそうに星が散っている。木が高い分、星空が遠くなってしまった気分だ。
切り取られた星空が、竜さまの金の瞳に似ている。
「だいじょうぶか、ちび?」
システーナがごろりと隣に寝っ転がる。
「だいじょうぶ。ここ、ふかふかでいいところだね!」
「思いっきり走らされたから、もう俺は眠いです」
逆サイドに、ごろりとジュスタが倒れ込む。
森からは生き物の声がする。
そういえば、トンボがあれだけ大きいのだから、ネコやトリも大きくなるんじゃないのかな?
危ない気もするけど、システーナもジュスタも側にいるから問題ない。
いろいろな発見でくたびれた。お腹がおかゆでぽかぽかする。
コケの燐光はだんだん弱くなっていく。意識も、ゆっくりと眠りに沈んだ。
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