9.雨の日盛りだくさん
予期せぬエピソードが入り冗長になりましたが、そのまま投稿しています。
「――雨、降りそう」
朝ご飯前にお乳運びに出ると、空に黒い雲が立ち上がっていた。
「かぶっていけ」
ぽんと笠をかぶせられる。
――ニーノ素早い。
芭蕉の葉っぱで編んだ笠だ。つばの広い麦わら帽子サイズでテンションが上がる。
竜さまの洞まで走って、子ディーを呼んだ。
朝はおいしい物と一緒なのが分かっているので、子ディーもこっちに来る。
「どーぞ」
いつも通り地面に置いても、近づいてこない。
――エーヴェ、笠が珍しいようじゃ。
「あ、そうか!」
じりじりと距離を開けると、子ディーはじりじりと皿に近づく。
じりじりと距離を詰めると、子ディーはじりじりとさがる。
うーん、今日は耳も触れないかなあ。
しかし、あとでボールを持ってくるもんね。
「うっふっふ」
含み笑ったところで、耳に届いた音にはっとした。
大粒の雨が地面を打つ。スコールだろうか、勢いが強い。
ゆでたボールは、邸の裏に干してある。
「りゅーさま! また! また来るね!!」
――うむ。
早いのだな、というふうに竜さまは首をかしげる。
いったん胸にぶつかってわふわふしてから、洞の外に走り出た。
洞は邸より高い位置にあるから、行きは上り坂、帰りは下り坂だ。私は珍しく慌てていて、しかも雨が降っていた。
強く蹴ろうとしたサンダルの底が、ぬれた岩の表面で滑る。
「――ぅば!」
こけた。
とっさに出した両掌がじんじんする。砂が食い込んで、細かな傷ができていた。足も痛い。腰を下ろして膝を見る。すりむけ傷から血がにじみ出ている。
――こけた!
すごいショックだ。
痛みと悲しみが、猛然と押し寄せてくる。そして、すこし恥ずかしい。
「うー」
三歩、先に転がった笠を拾って、歩く。
もう転んでぐしょぐしょだけど、ニーノがかぶせたことを思い出して、笠をかぶった。
「うー……かえるー」
口に出して、あと半分くらいの道をたどる。
「……ニーノ、ボールー」
ニーノは私を見て、ちょっと驚いたみたいだ。
たぶん私は口がへの字になっている。
「雨が降りそうだったから、入れておいた。まだ完全には乾いていないぞ」
指さされた台の上に、ボールが置かれていた。
思ったより、ほっとしない。
「エーヴェ、こけたー」
「こけたか」
頭から笠が取られ、ニーノがてきぱきと動いている。
「いたいー」
「ああ、痛かったな」
「こけたー」
「こけたな」
ニーノがぬれた服を脱がせ、汚れた顔や手足をぬぐい、私は清潔な布にくるまれる。
「けがしたー」
「そうだな。――すこし、しみるぞ」
掌と膝の傷を、改めて丁寧に洗う。臭い謎の液体を掌に塗られた。
「すこしだけ、待て」
頭をしゃわしゃわっと軽くなでて、ニーノはキッチンから出た。そして、本当にすぐ戻ってくる。
何かが塗られた乾いた木の葉を、膝のすりむけにそっとのせて、包帯でぐるぐる巻きにした。
着替えを渡され、布から出て、服を着る。
「――よし」
体中から、薬っぽい匂いが立ち上っている。
こけた動揺がだいぶ収まってきた。
「――エーヴェ、いたかった」
「そうだな。今はどうだ」
「ちょっといたい」
「そうか」
「どうして、エーヴェのけがちりょうしたの?」
テンションが下がったままの質問に、一瞬ニーノがだまった。
「私が、治療したかったからだ」
急に、ぶわっと涙が出てきた。
「ニーノー! エーヴェ、いたかったぁあ!」
「そうだな。よく、戻ってきた」
「ニーノ、ありがとー――!」
「礼はいらん」
「ボールぅぅ!」
ニーノがボールを取り入れてなかったら、こけた上にぬれたボールで、しおしおになっていた。
「……ああ」
ぐしぐし顔をぬぐっていると、ラオーレを一切れ渡された。
甘い果肉を口に含むと、落ち着く。
あんなに見事にこけたのは久しぶりだ。基本的に、楽しいことで頭がいっぱいだから、突然の事故に心が追いつかない。
そりゃ泣くわ。しょうがない……。
鼻をすすって、ラオーレを食べた。
**
「そろそろ朝食だ。ジュスタを呼んでこい」
「ぁい!」
ぴょんと立ち上がり、まだ足が痛かったので、歩いてジュスタの部屋に行く。
「ジュスター、おはよー! ご飯だよー」
「ほーい、エーヴェおはよー」
出てきたジュスタに、目を見張った。
「ジュスタ、それ、なに? すてき!」
ジュスタの左の前髪が三つ編みになっていた。留め具は植物の種から作ったのか、丸くて三連だ。
全体的に、ジュスタにはセンスを感じる。
「ああ、夜中作業しててちょっと邪魔だったんだ――あれ?」
ひょいっと抱っこされた。
「ケガしたのか?」
「そうだよ。こけた」
ジュスタに、臭い掌と膝を見せる。
「そうか。痛かったな」
「いたかった! でも、ニーノが治してくれた」
「それはよかった」
「はい! ――エーヴェもこれやりたい」
三つ編みを引っ張る。ジュスタは、すぐにオーケーしてくれた。
雨の勢いは弱まったけど、まだまだ降り続いているから、今日の鍛錬は中止だ。
それで、朝食後にジュスタが三つ編みを教えてくれた。
左側にお手本を編んでくれたので、右側を編む。細い三つ編みが顔の左右に垂れた。顔を振ると、ぴしぴしと当たる。
「留め具はどれがいい?」
「うわー!」
ずらっと並べられた小さな留め具。
素材は実、木、貝か角、ガラスに金属――。金色のい草(?)を編んだ飾りもある。バラエティ豊か。大きさも形も不揃いだけど、どれもぴかぴかだ。
「すごーい! ジュスタが全部作ったの?」
「物を作るとき、端材は必ず出るからね。特に、竜さまのたてがみで鍛えた金属は、無駄にしたくないだろ?」
ジュスタはにこにこしている。
「――あ! ジュスタの飾りも、りゅーさまの?!」
にやりを見て、確信。
――それで、ジュスタは金属のちらちらをつけてるのか。
留め具を一個一個、吟味する。
小さな自分が映り込んでいるつやつや銀色と、磨き上げて石みたいにすべすべの木をにぎる。
「これにする!」
ジュスタがつけてくれて、三つ編みがちょっとだけ重くなる。
頭を振ると、留め具が痛い。
「似合ってる」
頭を左右にゴシゴシされて、得意になる。
――火花色にシルバーと褐色はおしゃれだと思うのですよ。
そこで、はっとひらめいた。
「りゅーさまもみつあみする!」
「え?」
「りゅーさまのたてがみを、きれーにみつあみしたら、きれいだよ!」
サラブレッドのたてがみが三つ編みされてると、めっちゃおしゃれでかわいかった。
竜さまもきっと、おしゃれでかっこいい。
「んー。できるかなぁ」
首をかしげるジュスタを置いて、竜さまの洞へ向かう。
まだまだ雨が降っているので、部屋に寄って竜さまの鱗を持った。
頭にのせて外に出れば、透明の鱗の上を雨が滑り落ちていく。
今回は走らない。頭と両手で鱗を支えて、洞へ向かう。
「ぱん、ぱらん、ぴん、りゅーさまーのーうろこー」
歌いながら、歩く。雨水が落ちてくる様子を、鱗越しに眺める。
灰色の雲から、白く光る雨粒が近づいてきて、鱗ではじける。
「ぱん、ぱらん、ぴん、つーやつーやのーあまつぶー」
後ろから、ぱちゃんぱちゃんと水音が聞こえる。振り返ると、ジュスタが追いかけてきていた。笠とポンチョ装備で、手に大きな熊手がある。
「なーに、それ?」
「うん、まあ、ものは試しだ」
二人で適当に声を揃えながら、雨の道を進んだ。
忘れないように竜さまの鱗の上にお皿を置いて、竜さまのたてがみまで登る。
竜さまのたてがみの一房をつかんで、隣の一房と交差させる。
「あれ?」
もう一方の房と交差させようとする間に、たてがみは勝手にほどける。もう一度、交差させても、ふわりと手をすり抜けて、たゆたった。
「うまくできない」
――何がじゃ?
竜さまの声が響いて、顔を上げる。
「みつあみにしたいー」
――みつあみ?
「これです。竜さま」
ジュスタが左前髪の三つ編みを振って見せる。
「これだよー」
私も頭を振る。三つ編みが顔にぴしぴし当たる。
――ふむ?
「竜さま、これを使ってみてもよろしいですか?」
熊手を掲げるジュスタに、竜さまは金の瞳を細める。
――よいぞ。
ジュスタは軽々と竜さまの背中に登ってきて、たてがみに熊手をあてる。
あ、櫛の代わりだ!
私の手にも収まるサイズの櫛目がとおる。つかんで、できるだけ早く、編み上げる。
「できた!」
一応、さきっぽまで三つ編みができた。
でも、手を離すと、三つ編みはゆるゆると解けていき、最終的にふわーんと優雅にそよぐ。
「だめみたい」
「やっぱりなあ」
ジュスタは苦笑している。
竜さま、すごいくせっ毛なの?
「ニーノはできるかなあ?」
前にブラッシングしてたから……。
「どうかなあ。聞いてみるかい」
「――私に何か用か?」
本人の声にびっくりする。子ディーがぴょーんと跳んでいったので、さらにびっくりする。ニーノも、笠とポンチョを着けてるのに。
ニーノ、うらやましい!
「りゅーさまのたてがみ、みつあみしたい!」
「――なぜ」
「すてきだから」
子ディーをひとしきりなでてから、ニーノはこちらを見上げてきた。
「竜さまはよろしいのですか?」
――うむ。
竜さまは、物珍しいのか、とめる気配はない。
「やってみよう。――貴様らは降りろ」
「はい」
ジュスタが一つ返事で、私ごと下に飛び降りた。
わくわく――
ニーノは前に見た球体を作り出して、竜さまのたてがみ目がけて放つ。球体が絡み合うようにして、三つ編みができていく。
首の三分の一の範囲が、三つ編みになる。
「おおー!」
すごい、この分なら、おしゃれたてがみ竜さまが見られる。
ジュスタの留め具とかつけたら、どうかな?
でも、ニーノはそこで手を止めた。
「ニーノ?」
ニーノの顔が険しい。
――む。
竜さまの声が響いた。首を少し左右に揺らす。
――むむむ。
ぶるぶると顔や首を大きく振る。三つ編みのところに噛みつこうとして、微妙に届かなかったのか、後ろ肢を持ち上げる。
一瞬、ニーノが子ディーを確認した。
「竜さま、解きます!」
ばりばりと、竜さまが三つ編み部分を後ろ肢で掻く。今まで見たことがないくらい、竜さまが動いている。ぶるん、ぶるんと首を振った。
ニーノが球を飛ばして、一生懸命三つ編みを解いていく。
私はジュスタと子ディーと、遠くから眺めた。
もとのふんわりしたたてがみに戻った竜さまは、まだどこかむずむずするのか、ときどき首を振る。
――もう、せぬぞ。
「はい。もう致しません」
よく分からないが、とっても不快だったらしい。
ふんす、ふんす、と鼻息が上がる。
「竜さまのたてがみは、毛だけど、力の流れでもあるからな」
そうか、力の流れをゆがめたみたいになったのかな。
「りゅーさま、いやだった?」
竜さまは、首を洞の壁にこすりつけている。
――うむ。エーヴェは痒うないか?
「かゆくないよ」
――ふむ。わしはもうせぬぞ。
わぁ、念押しされた。
「はーい」
おしゃれ竜さまじゃなかったけど、珍しい竜さまだ。
また竜さまが天井に頭を押しつけて、ばらりと岩のかけらが降ってくる。
「危険だ。貴様ら、戻れ」
竜さまより不機嫌そうなニーノに言われて、ジュスタと邸に戻った。
エーヴェこけるエピソードは、後日削除するかもしれません。
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