2.鍛錬スタート
長さが毎回まちまちになると思います。
「やぁああだあああー! りゅーさまのところいくぅぅううう!」
私、エーヴェ四歳は、絶賛駄々こね中です。
年齢はあくまで推定。何しろ、視覚とか聴覚とかが未発達で、ここに来た当初はすぐ眠くなり……。
最近、やっと生活らしきものの存在に気がつきました。
食べて、寝て、竜さまのそばで遊ぶ毎日――。
やっと気がついたのに!
ニーノの腕から逃れようと海老反り! からの、着地ダッシュ!
しかし、くぐっても乗り越えても、いつの間にか、きちんとニーノの腕の中に戻っている。もはや魔法です。
「昨日、言っただろう。今日から貴様の鍛錬を始める」
鉄面皮のニーノに、いたいけな子どもの泣き顔など何の効力もない。
しかし、こちらも一秒でも長く竜さまのお側にいたいのだ。
いつ餌になるとも限らないのに!
――ここは、引けない!
さらに手足を振り回し、ボルテージを上げる。
ふぅ、と短い溜め息が聞こえた。
「愚かな……。貴様、その程度の鳴き声と地団駄で、竜さまの咆哮にノーダメージで耐えうる私を動かせると思うのか」
「っ――!」
思わず、ニーノを凝視した。
今までちゃんと見てなかったけど、銀髪に青白磁の瞳は、冷徹の二文字がふさわしい。
ニーノは付き人の中でいちばん長くここにいる。といっても、付き人は私を含めて三人しかいない。この人数はやはり、相当数が竜さまの餌になったということか。
長く生き延びていると言うことは、それだけ有能に違いない。
「ニーノ、りゅーさまの声、聞いた――?」
四歳児、まだ語彙が不足しています。
「ようやく分かったか」
おとなしくニーノの腕の中に納まる。
ニーノは大股に歩くので、頭がゆあん、ゆあん揺れた。
「エーヴェ、貴様は子どもだから、遊ぶことが仕事だ。しかし、我々が竜さまの付き人である以上、いついかなる時も竜さまのお側にいなければならない」
「うん!」
「返事は、はい」
「はい!」
ニーノはひとつ頷いて続ける。
「貴様は脆弱で、竜さまのお側で、うっかり死んでしまう可能性が高い。例えば……、貴様は覚えていないだろうが、竜さまがあくびをなさったとき、誤って貴様が喉に吸い込まれたことがある」
「えええー!」
すごく面白そうなことをやってるな、私。
「しようがないので、畏れ多くも竜さまのお口より入って、私が貴様を外に連れ出した。まあ、命綱を引くまでもなく、竜さまのしわぶきで外に出していただいたが――」
まったく思い出せないのがもどかしい。
「それでなくとも、貴様が近くにいる間は、貴様に害がない程度に、竜さまはすべての動作をコントロールなさっている」
「なんと!」
じゃあ、竜さまに鼻息で飛ばしてもらう遊びも、竜さまの背中ボルダリングも、何らかのコントロールが……あるなぁ、あるよなぁああ。
「りゅーさま……、優しい」
「そうだ。竜さまはお優しい」
竜さまの優しさに、しばらくぽわぽわする。
「しかし、それでは駄目だ。弱いままでは、竜さまの咆哮を全身に感じる栄誉に浴することができない。竜さまの羽ばたきの風圧を感じること、火の息を間近で見ることさえできない。貴様はそれでいいのか?」
「いやだ!」
「だろう」
「はい!」
「では、鍛錬だ」
「はい!」
竜さまの側で竜さまをより堪能するために、鍛錬が必要ならやるしかない!
しかも、頑張れば餌ではなく、従者の道も開けるかもしれない!
「さ、ここだ」
たどり着いた鍛錬室で、思わず大声を上げた。
部屋は、壁が一面ガラス張りで、木々や遠くの山が見渡せる。そして、目の前の切り立った崖は一部えぐれていて、朝日に輝く滝が落ち、そこには竜さまの姿があった。
滝を首に当てて目を閉じている様子は、リラックスして見えて、胸が温かくなる。
「りゅーさまー!」
ガラスに取り付いて、両手を振る。
竜さまの首が、ゆったりとこちらを向いた。飛沫がきらきらと周囲を飾っている。
朝から素晴らしいものを見てしまった。
ここは邸の中でも高い。たしか四階だったから、竜さまの顔の高さは五階建てのビルくらいかな。
――エーヴェ、鍛錬を始めるのか。
ぽん、と頭をなでるみたいに言葉が届く。耳には聞こえない声なのに、チェロのいちばん低い弦の音みたいで、どきどきする。
「はい!」
――励むがいい。
竜さま直々のお言葉に、胸がいっぱいになった。
「はげます!」
竜さまはニーノの方も見た。
――ニーノ、頼んだぞ。
「承知いたしました」
目線は竜さまから動かさずに、ニーノは一礼する。
身を起こしたニーノの周りには、気のせいか、うららかな日だまりの幻覚が現れた。
「――始めるぞ」
そして、こちらを振り向いたときには、元の無表情。
気温が五度は下がっている。
思わず、にへら、と顔が溶けた。
――ニーノも、竜さま、大好きなんだなぁ。
「付き人楽しい! 楽しい!」
「当然だ。……叫ぶな。跳ねるな」
こうして、私、エーヴェの鍛錬が始まったのでした。
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