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4.ここは別世界なので

遅くなりました。

 手の指の間を、砂と水がすり抜けていく。

 ――エーヴェは木だよー。エーヴェは小さい木だよー。

 自分と周囲に言い聞かせて、じっと待つ。

 木の陰に集まる魚……。

 魚が掌に触れたら、どんな気持ちだろう。

 木の根っこだと思って、休憩しに来てくれたら嬉しいかも。

 うっふっふと笑って、頭を振る。

 ――エーヴェは、木!

 川面には、白銀の光がいっぱいに散っている。


 せせらぎの音で満ちた空間に、ひらりと何かが飛びこんできた。

 一心に魚を待っていた目に、ほふほふの耳が見えた。

 ぴるるるるっと震える。

 目立つ大きな瞳に、緑の木々が映りこむ。

 ――足、細っ!

 大きなふわふわのお耳とまろやか(やま)(がた)の尻尾。アンバランスに見える細い首。

 ――シカだ。子ジカ!

 かわいい!

 興奮した瞬間、ぐいっと襟首を引っ張られた。


 ――うわっ? 何??

 一瞬前まで私がいた場所に、塊が突っ込んできた。

 けもの? だと思う。ほとばしる気合いで、ものすごく大きい。


「エーヴェ、ケガはないか?」

「うん……? なに?」

 上の空で、けものから目が離せない。

 大きく見えた塊が、ぐらりと震えた。

 ようやく形が見える。

 塊も、シカだった。小ぶりな角を頭にのせた大人のシカだ。

 私たちと子ジカの前に立ちふさがっている。


 ――こんな近くで野生動物、初めて見た!

 動物番組とかまあまあ見てたけど、生で見るとやばいな。

 迫力がびりびり来る。シカには、身体一つで生きてくって気合いがある。

 黄色が強い茶色の毛並み。首筋から尾の方向へ、鋭い縞模様が走っている。

 足は胴体に比べると短くて、細く見える。でも、細くてもひょろひょろってわけじゃない。全力で蹴る、とオーラが語ってる。

 ――そして。

「……ジュスタ。あのシカ、ケガしてる」

 面長な顔を、つ、とこちらに向けている。

 硬い表情の後ろ――足の一本が、ぷらんと宙に浮いていた。


「――なるほど。どうしようか」

 シカと目を合わせたまま、ジュスタが一歩下がる。

 私を地面に下ろし、身体をかがめた。

 敵にならないよ、という合図。でも、シカは下がらない。

 ――あの足じゃ、動けないんだ。

 たぶん私に突っ込んで来たのは、あの子ジカから離れろってこと。子ジカが逃げれば、あのシカも動くかもしれないけど。

 子ジカはぽわぽわしてる。逃げる気なさそう……。


 野性動物にとって、足のケガは命に関わる。

 きっとあのケガはとっても痛いから、歩くのだって大変だろう。当然、走るなんて無理――。

「ジュスタ、この森、シカを食べる動物いる?」

 普段より近くにある横顔に、こそこそと告げる。

「いるよ。木の上を歩くのが上手な大きなネコがいる」

 うーん、じゃあやっぱり、食べられちゃう。あの子ジカも、ぽわぽわで簡単に食べられちゃう、きっと。

 じっとシカを見つめる。

 ――ここに来る前は、野生に人は関わるなって言われていた。

 巣から落ちたヒナはそのまま、手を触れない。人が原因でケガをした動物はともかく、野性動物は自然の中で生きるべき……。

 すごく、分かる。その場限りの行動が、動物に迷惑をかけるかもしれない。

 でも、いつもすこし心にわだかまってた。


 ――だって、ちょっと変じゃない? 人間は自然じゃないのかよ?

 人間と自然はきれいに切り離されているだろうか。

 野生動物のケガの、どこからどこまでが人間のせい? どこもかしこも人間がいるのに、原因を切り分けられるの?


 そして、何よりいやなのは。


「エーヴェ、あのケガ、治したい!」


 人でも動物でも植物でも、ケガしてたり、困ったりしてたら、助けたいと自然に思うんだ。

 その心を無視するのが、いちばん、やだ!


「――どうして?」

 ジュスタの蜂蜜色の瞳が、なんだか見透かすようにこちらを見る。

「痛そうだから! エーヴェ、痛いのきらい。きっとシカも同じ!」

 声が大きくなって、慌てて掌で口を押さえる。

 シカが逃げたら、大変だ。

「ジュスタは、ケガ治せる?」

「うーん」

 シカの足の様子を、ジュスタはしばらく観察する。

「骨折――かな。治せるかもしれないけど、どうやって伝えるんだ? 俺たちが近づいたら、きっとあのシカは、いやだと思うぞ」

 ――そっか……。

 人間に近づかれたら、きっとめちゃくちゃこわいもんな。コミュニケーションがとれないのは……。

 いや、待って?

「ニーノは?」

 勢いよく顔を上げると、ジュスタは、にかっと笑む。

「そうだな。呼んでみるか?」

 こくこくこくこく。


「ニーノさん、ちょっと困ったことが起きたんですけど」

 ジュスタが宙に向かって話す。

 ときどき、大人二人はこういう独り言をやっている。

 でも、どうもちゃんと聞こえているらしい。

「――何があった」

 川の上空に、いつも通りの冷ややかな表情でニーノが浮かんでいた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 心を無視したくないエーヴェに共感しました。助けるって決めたエーヴェに、覚えのある苦いわだかまりがスカッと晴れたよう。 鹿の野生のオーラや生命力が文字から伝わってきます。
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