3.熊の捕り方から始める
竜さまが出ません……。
きらきらする水に手を差し伸べて、流れの重さを感じる。
水流にまぎれる形の魚が、浮かぶように泳いでいる。
「いちばん普通のやり方は弾くことだな」
ジュスタは、すこし水面を眺めて腕を振り抜く。水しぶきとともに、魚が岩に飛ばされ、ぴちぴちした。
「おおおおぉぉぉ!」
――それは、熊の捕り方ー!
普通ではないけど、すごいな!
「なんの工夫も要らない。弾く方向に水があったら、まったく意味が無いけどね」
「はい!」
ぱしゃん、ぱしゃん、と水面に手をたたき込む。
ときどき、魚の身体が掌をなでるけど、それだけ。
浅いところを泳ぐ魚ならたまに触れるけど、深いところだと水が重くて、魚を弾き出せない。
「魚をよく見て。どう泳ぐか、どんなところが好きか」
――観察が大事ってことだな。
でも、観察しても、人影が近づけば魚は逃げる。
川底のぬめりに足を取られて、こけた。
「むー、とれない」
「人間の掌は器用だから、つかみ取ることもできるよ」
ジュスタは両手で素早く一匹の魚をつかみ取り、渡してくれた。
「わっ、わっ!」
魚、動いてる!
掌の中を、冷たくて力強い魚が、すり抜けていく。
――力をこめていい? どのくらい?
考える間に、ぬるん、と魚はにぎった手から飛び出した。
ちゃぷん……
ぐいぐい逃げていく影を、目で追う。
「にげたー」
「だいじょうぶ、ほら、やってみな」
両手でえいっと魚をつかんでみる。
――するり、つるり。
小さな魚はすばしこくて、指の間からすり抜ける。大きな魚は注意深くて、両手を水中に入れた瞬間に、離れていく。
頭を水に近づけて、ずっと見ているのに疲れてきた。
「エーヴェ、ニーノみたいに投げたい!」
頰を膨らませて主張する。
――それか、釣りとか投網とか!
ジュスタがにこっと笑った。
「なるほど、道具もいいな。でも、ちょっと休憩しようか」
「するー!」
こけてぬれたワンピースの替えを渡されて、着替える。それから、川岸の大きな石の上に腰を下ろした。
日に温まった石から伝わる温度が気持ちいい。おにぎりの葉っぱを丁寧にむく。
小さな水たまりに放されたジュスタの捕った魚を眺めた。
――たったの三匹。
「ぜんぜん魚捕れないね」
「そりゃ、魚が逃げているんだから当然だよ」
私に教えているから、三匹だけど、本当はもっと取れるはずだ。
「エーヴェ。まず、自分の身体の大きさを覚えるといい」
穏やかなジュスタの声に顔を上げる。
「手の指先が、足の指先がどこまで届くのか、どう動かせば速いのか。エーヴェは今、どんどん身体が大きくなってるから、今日覚えた場所よりも明日はもっと先まで手が届くかもしれない。でも、今日のエーヴェを覚えていないと、比べることもできないからね」
首をかしげる。
「魚の捕り方?」
「その一つ前かな。身体の使い方を覚えるとき、自分の身体はこれくらいの大きさだぞ、って分かっているといろいろ便利なんだよ」
――たしかに、魚にどこまで近づけばいいか分かる。
近づけるかどうかが大問題だけど。
「道具はいいけれど、結局、身体に付け足すものだ。自分の指先よりどのくらい先に届くのか、それを想像できたほうが道具も何かと使いやすい」
「おお」
「それに道具はとってもいいけれど、借りてくる力だから、ちゃんと自分の大きさが分かってないと、バランスがおかしくなるんだ」
――借りてくる力? バランス?
大きすぎる銛を使うと、投げられないとか、そういうことかな?
「エーヴェは投げたいって言ったな。――銛は遠くから魚が狙える。もし命中すれば、銛に魚が刺さっているから逃げられる心配がない。それで、たくさん魚が捕れたら、エーヴェ、どう思う?」
「嬉しい!」
「そう、嬉しいし、興奮する。で、それが自分の力だって思ってしまうときがある」
「自分の力じゃないの?」
「もちろん、自分の力でもある。ちゃんと銛を投げる練習もしなきゃいけないもんな。でも、そもそも銛は、そこに生えた木から枝をもらわなきゃならない。銛の先に刃をつけるなら、鉄鉱石だって要る。それを溶かして鉄にして刃にする技術も要る」
――ああ、そういうことか。
「助けてもらってる!」
「そうだよ! 助けてもらってる。だから、まず自分の力がどこまでなのか知っておく。そうしたら、道具の力がどのくらいか分かって、ありがとうって思えるだろ」
「分かった!」
――意外だ。
ジュスタはいろいろな物を作るのに、道具をリスペクトしてるんだな。
「ジュスタに魚取り教えたのは、ニーノ?」
おにぎりを食べ終わって、葉を折りたたむ。
「まあね」
ジュスタは苦笑気味に立ち上がる。
「ちょっと見せてやるよ。そこでじっと座ってるんだぞ」
ざぶざぶと川に踏み込んでいく。膝まで水につかってかがみ、両手を水につける。
――しん、とジュスタの周りに静けさが満ちた。
本当は、鳥の声や猿の声、虫が飛び立つ音なんかがいっぱいだけど、ジュスタの近くだけ光が透けるみたいだ。
昼過ぎの川面の反射が、ジュスタの身体を通り越して、ここまで届く。
――何をやっているんだろう。
長い間、同じ体勢が続いて、やっとその疑問が浮かんだとき、すっとジュスタが身を起こした。
手に何か、持っている。
思わず駆け寄ると、ジュスタがにこっと笑って手の中を見せてくれた。
「ぇええー――!」
そこには、一匹のきれいな魚が納まっていた。
「何それ? まほう?」
「いや、俺もよく分からないんだけど……」
ジュスタが水たまりにその魚を放す。
「自分は大きな木だよ、ここは木の陰だよと思っていると、魚のほうから手の中に入ってきてくれるんだ」
「なんと!」
なんですかそれは、もはや無の境地みたいな?
「今はたまたまうまくいったけど、俺は苦手なんだ。ニーノさんは上手い」
「はぇー……」
まあ、なんか、できそうな気はする。
根拠はないけど。
「でも、ニーノ銛持ってる」
鱗の反射を見ながら、思い出す。
今までとった魚の中で、いちばん大きい。背びれがエメラルドみたいだ。
「なんか、気が咎めるから銛で突くんだってさ」
――なるほど。
自分から手の中に入ってきた魚を食べるのは、だました気分になるかも。
「――ジュスタ、これ、やりたい!」
挙手して、宣言する。
――川の上の木になって、魚にすっと寄り添われる心地が知りたい!
「難しいぞ?」
「だいじょうぶ!」
特に根拠のない、だいじょうぶ。
ジュスタは笑って、掌で私の頭を左右に揺らした。
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