1.楽しみすぎるとなるやつ
章が変わってもさほど変わりはないですね。
――ナイフ!
手首を動かすと、斜めの刃先に光が滑る。
鞘も柄もない、すごくシンプルなナイフだ。小刀、と言ったほうがいいかもしれない。私の掌にはすこし太い鉄の板が、三十度くらいに切れ落ちている。使う人が右利きなので、右が高く、左が低い。
「刃に触るときは刃の方向に指を動かしちゃだめだ。刃と垂直なら触っても大丈夫」
一,六五四日記念にこれをくれたとき、ジュスタがとても真面目な顔で言った。
「でも、力をこめてにぎってもいけない。とても切れるから、荷重で指が落ちる」
ぞわっと背中に鳥肌が立つ。
「とはいえ、まだまだ切れないよ。刃物は、きちんと研いでこそ切れる。つまり、エーヴェがこのナイフを育てるんだ」
ジュスタに研ぎ方を教わって、初めて木を削ったときの感覚は忘れられない。すっと刃が木に吸いこまれて、きれいに切り離される。魔法だった。
転生前に使った刃物と言えば、包丁くらいだ。
銃刀法があってもなくても、必要を感じないのでナイフを持ち歩くことはなかった。
でも、ジュスタはナイフを収めるベルトもくれた。持ち歩ける。ベルトは胸の前にナイフがくるデザイン。刃先はちゃんと覆われていた。
――この、原始的な快感、なんだろうな。
切る、削る、剥ぐ――自分の意思で、いつでも簡単にできる。
「ちから!」
うっふっふと笑って、ナイフをしまって寝台の脇にそろえた。
明日は、ジュスタと魚を捕りに行く約束だ。
そろそろ食べ物の手に入れ方を覚えてもいいかな、と大人たちが判断したらしい。
工房の植物とのやり取りは、毎日通っている。米の収穫も経験した。
藁と籾を分ける作業、籾殻から米を取り出す作業――。たった五枚の田んぼでもなかなかの作業量で、力を使う作業と細かい作業が入り乱れる。おにぎりひとつ食べるにも、深い感謝が必要だ。
――俯瞰する視点があるから、楽しいんだよな。
手伝えと言われてただ作業するだけでなく、作業の目的と流れが分かって、自分が食べるとなると、見え方が全然違う。
前世の記憶がありがたい。
転生して、まさかの自給自足生活。
竜さまがいて、大人たちの謎チート能力があるから安心しきってるけど、これってスローライフと呼べるかもしれない。
寝台の上で大の字になる。
明日はどうやって魚を捕まえるんだろう。釣り? 罠? ニーノは銛で突いてたみたいだけど、それはちょっと難易度高そう……。
でも、透明な水の中を泳ぐ魚を追うのはきっと楽しい。
わくわくして、竜さまの鱗の下でぐるぐるしているうち、すっかり眠りこけていた。
「うー――うー――」
「うーうー言わなくていいから」
寝台でうなる私の額に、ジュスタが掌を当てる。
――熱が出た。
いや、あったなあ……。楽しみにしている予定当日、友達のお子さんが熱出すパターン。子どもが熱出すのって本当に突然だよな。
熱くて、ぐったり。いつもの軽い身体が嘘みたいだ。
「……エーヴェ元気ない。がっかり――」
せっかく、透き通った川で魚を捕るはずだったのに。
きらきらビジョンが目の前を横切る。――なんだこれは、本当にがっかりだ。
塩味がこみ上げてきて、でも、泣く元気もない。
竜さまの鱗を引き寄せて、端を口に含む。
鱗のでこぼこを舌でたどって、気をまぎらせた。
「すぐに元気になるよ、だいじょうぶ」
寝台の側にいたジュスタが、にっこりする。
「うー――」
「うーうー言わなくていいから」
「これを掛けておけ」
ニーノが来て、ジュスタに布を渡す。ジュスタが私をふかふかで包む間に、冷たい手が手首に触れた。
――これ、脈を取ってるのかな。
首筋にも触れられる。とても医者っぽい。
「――問題ない。ジュスタ、貴様はここにいてやれ」
「はい」
「うー――……」
ニーノを見送ったジュスタが椅子を寝台の側に引っ張ってくる。
のぞき込んでくる瞳がきれいだ。熱で蜂蜜がとろとろに見える。
「何も言わなくていいんだ。――目蓋を閉じて、ちょっとうとうとしよう」
とんとんと布が叩かれて、目を閉じる。
穏やかに、ジュスタの歌う声が聞こえた。
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