1.ようこそ、エーヴェ
イチゴとマスカットとピーチとマンゴーとパインが、生クリームの上に彩りよく飾りつけてあります。ホールケーキ、美しいのです。
「はー、おいしそう」
今日は私の生誕祭。最初で最後の“ケーキホール食い”をいたします。お財布力と胃力を考えたら、もう今日しかないと思って、予約しました。
デパ地下のローストビーフと、彩りサラダとシャンパンのディナー。パエリアも美味しかったです。これからデザート。素敵な豪遊です。
もうすぐ派遣年数リミットになる非正規雇用で、恋人なし。独身だから残業やら休日出勤やら依頼されます。四十過ぎれば控除も増えるし、年取って親の面倒見ながら、何も成さず会社と部屋を往復する人生とか、今はもう考えたくありません。
――ただ、食うのみ!
三と九のローソクに火をつけます。
「く……ふふふ、美しい」
おっと、思わず素の笑いが出てしまいました。
炎に照らされたのは、このためにあの店にしたと言って過言ではない、特注の飴細工ドラゴン様です。フルーツケーキの中央に、堂々たるお姿。グリーンドラゴンはマスカットの黄緑と対応して、とてもいい色合いです。飴ならではの、羽や身体の透明感。爪や角のディテールによだれが出ます。
腹が張り裂けるまで食って、後ろに倒れて眠り……。
――そこで、記憶は終わっている。
広い空間に、いつからか繰り返す音がある。
遠くから、響く。ソナーのように幾度も――。
「んぎゃあ、ぎゃあ!」
というか、赤ん坊の泣き声がうるさい。近距離過ぎる。なんだ、これ。
暖かい――熱い空気を感じる。ぱちぱちと身体にあたるのは、砂の感触?
風に飛ばされた熱い砂が、身体にあたっているらしい。
世界が明るい。
水でうるんだ視界に、青さとまぶしさばかり感じて混乱する。混乱すると思った瞬間、赤ん坊の声がひときわ大きくなった。
――おや? ……これ、私の声では?
んー、どういうことだ? 周りを認識できなすぎる。赤ちゃんの世界これなの? なんなの、もしかしてこれ前世の記憶があるやつですか、あ、そうか転生?
くらりとめまいを感じて、泣き声が一層かん高くなった。
転生かー、あんまり読んでなかったけど、マジかー。
いやいや普通に輪廻したのか? いつ死んだか分かんないんですが。後処理とか大丈夫だったのかなぁ。まあ、もはやどうにもできないし。
前世の記憶を持ったまま、また人間に生まれたのかぁ。徳高くて良かったなー。
いやぁ、でも、いい加減、誰かいないの? 親、親的な存在を感じてよくないですか?
そもそも、ここ、野外っぽさある。
脳内の言葉は表現できず、ただ泣くのみ。
さっきはめまいかと思ったけど、これは空腹かもしれない。
自分の泣き声がうるさくて、泣きたい悪循環――。
ふっと涼しさを感じた。何かで、空がさえぎられている。
「――いたか」
落ち着いた声。
ついに親ですか?
ふいに身体が浮かび上がった。泣き続ける耳に、風がごうごうと響く。
どこに向かっているのだろう。安全で、ご飯を食べられるところにお願いしたい。
どのくらい経ったのか、うるみまくってぐちゃぐちゃの視界が、一気に吹っ飛ばされた。
夢に似た感覚。クリアな世界認識。静まりきった闇の中に、強大なオーラがあった。中心は太陽の輝きと熱を持っているのに、直接触れる空気は冷たい。那智の滝を目の前にしたときの感覚に近い。
オーラが揺らめきたち、絡まって、ひとつの形が結ばれる。
それが何か分かって、目からぶわっと涙があふれた。
ドラゴンー――――――!
オーロラで構成された竜。
長い首と、かぎ爪のある四肢を持つドラゴン。コウモリに似た二枚の羽がゆらりと立ち上がる。私を見るために首を下ろしたのか、目が合った。
奥が常に揺らめいている、金の瞳。
ぞっと鳥肌が立った。
――美しい!
なぜ。赤ん坊は、なんで発話できないんですか。
もどかしさで、手と足がぶんぶんする。
マジでオーラがパない! 瞬間最大風速六十メートルくらいの神々しさを感じる!
どうして竜がここにいるんだろう? どうして私を見ているんだろう?
もしかして、食べられちゃうのかな?
こんなに小さい身体では食べ出がないと思うけど、生で竜を見られたから、まあいいや。ああ、でも、できれば肥え太らせて食べたほうが、私も長い間竜を見ていられるし……。
――人よ。
わやわや考えていた私は、空間全体に響いた言葉に、硬直する。
え、今、話しかけられました?
――人よ、わしの山に来るか?
息が止まる。
頭が真っ白になった。
それはどういうことでしょうか? こちらの竜さまのお側にいて、いいと言うことでしょうか? 肥え太らせて、食べるんでしょうか?
――はい! イエス! ダー! シー! ウィ! ネー! ヤー!
思いつく限り、肯定した。
否やなし!
ドラゴンの目がすう、と細まる。
はああああ、は虫類っぽい切れ長の瞳孔が、美しすぎてうっとりする。
――諾。ならば、居れ。
頭にどんっと重い衝撃があった。
音だと分かる。耳で聞く間もなく、身体全体を突き抜ける衝撃波。
……ディクゥーメ……シャ……ンタハ
可聴範囲、そんな感じ。
そこで、私の意識は切れた。
次に気がついたときは、快適だった。ふかふかで温かい。
これはいい。すぐにも寝ちゃいそうだ……けど。
相変わらず、ぼんやりした視界に二つの人影が映る。
「貴様はこれから竜さまの付き人だ」
影からの声。落ち着き払った感じ、聞き覚えがある。
ん? 付き人とはなんだろう。餌じゃないのか。
「さーあ、この二つからどっちか選びな」
今度は明るい透き通った声。
何かが目の前に近づく。ぴらぴらしている。
余談だが、私は左右の選択を迫られた場合、たいてい右を選ぶ。これは竜という漢字の尾っぽが、右を指した矢印っぽいためである。ちなみに、「りゅう」の発音には「ゆう」は有っても「さ」はない。つまり、竜が指し示すのは右! さらに言及するなら、「りゅう」には「優」はあっても「差」はない。それは、すべての竜が等しく素晴らしいという証左である。
右側の薄いのをぎゅっとつかんだ。
――ああ、これは紙だな。
私の手から紙を取り、中身を確認して、二つの声が重なった。
「ようこそ。エーヴェ」
――エーヴェ。
竜は餌に名前をつけるのか。それとも、従者になれたのか。え、そんなことある?
でも、その時の私は、疑問や眠気より、ずっと強い食欲に泣き声を上げたのだった。
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