6.竜に寄る者
涙は案外すぐに収まり、しがみつくのも疲れて、ぺとっと床に落ちた。
――エーヴェ、驚かせたな。大事ない。
顔を傾かせて、片方の目でのぞき込んでる竜さまを見上げる。
いつも通りの、きれいに透き通った金の目。
「はい……!」
「竜さま! どうしましたか!?」
洞に響き渡った声に、ぽかんと振り向く。
――およ? ジュスタが大声なのじゃ。珍しいのじゃ。
肩で息をしたジュスタが、洞の中を見回してきょとんとしてる。
「何も……、ない? 竜さまが大きな声を出すなんて、何事かと……」
「ジュスタ、大丈夫です。お屑さまが悪い提案しました」
――なんじゃと、童! わしの提案はとてもよいのじゃ! ぼんやりはこわくて逃げたのじゃ! とっても正しいことじゃ!
ぴこんぴこんするお屑さまに唇を尖らせる。
「エーヴェ、とってもびっくりしました! 周りのみんなも、とってもびっくりしました! ペロも固まってます!」
名前を呼んだからか、ジュスタが来たからか、ペロがのそのそ出てくる。そして、竜さまの周りをよろよろ歩き始めた。竜さま一周かけっこと違って、竜さまを縁取るみたいに通っていく。
――ペロ、わしは怒っておらぬ。
ペロは一瞬止まって、またよろよろ歩く。
――うむ……。皆を案じさせたな。
「何もないならよかったです」
隣に来たジュスタが、頭をなでてくれた。
顔をゴシゴシして、ぱっと立ち上がる。
「エーヴェ、とってもびっくりしました! りゅーさまのたてがみが赤ーく光りましたよ! 目も夕陽みたいでした!」
きれいな気がするけど、思い出した怯えに身体が震えた。
――聞き分けのない相手には、脅かしは役に立つ。
――わしも本体ならばできるのじゃ! わしは屑ゆえ、何もできぬ! ぽはっ!
九つの首を持ったお九頭さまが脅かししたら、きっととっても怖い。
想像して、ぷるぷるした。
――しかし、ニーノは遅いな。
竜さまが洞の入口へと鼻を向ける。
――ぼんやりはたくさん逃げたのじゃ! よいことじゃ! ぽはっ!
「どこに行ったか分からなくなったら、スーヒもニーノも困ります」
「スーヒ?」
ジュスタに、どうして竜さまが脅かしをしたのか説明する。
「はぁ……、それはまた、荒療治ですね」
――ぼんやりがぼんやりだからいかんのじゃ。
――うむ。しかし、訳も分からず逃げて、ケガなどしておらねばよいが。
竜さまはもう一度外を見て、瞬きした。
見ると、洞の入口から鳥が入ってきてる。
尾をぶんぶん振りながら、素早い足取りで近づいてきて竜さまを見上げ、もう少し歩いて竜さまを見上げる。
「――ぴぴっ!」
高く鳴いて、洞の外へ飛び出てしまった。
「――鳥さん、どうしたのかな?」
――わしの様子を見に来たようじゃ。
「りゅーさまを?」
洞の入口を振り向き、はっとした。
首をぶんぶん振って、洞の中を確かめる。
「おわ! テーマイ! テーマイがいません!」
きっとテーマイもびっくりして逃げたんだ!
「エーヴェ、ちょっと見てくるよ!」
ジュスタにお屑さまを渡して、走った。
洞を出たすぐのところに、脇にスーヒを抱えたニーノがいた。
なぜか木の側で立ち止まってる。
「ニーノ? どうしましたか?」
「エーヴェか。いや――」
スーヒが、後ろ肢をがしがし動かす。でも、ニーノからは逃げられない。
「――少し話をしていた。戻るぞ」
「ダメです! テーマイがいないよ!」
洞へ進みかけていたニーノが足を止める。
「テーマイか。――」
顔を上げてまた梢を見る。
なになに?
見上げてみる。ちらっと何か動いた気がした。
鳥かな?
「――また戻るだろう。行くぞ」
またスーヒが全身で空を蹴った。
でもやっぱり、ニーノの腕からは逃げられない。
「竜さま、遅くなりました」
竜さまに報告するニーノの脇で、スーヒが声を上げている。
「ぴゃっ! ……ぴゃっ!」
うーん、悲しそう。
――うむ……。これはあわれじゃ。やりすぎであった。
――じゃが、元気になったのじゃ! ぽはっ!
「元気じゃないですよ!」
両手を上げて、抗議する。
――いっぱい走ったのじゃ! 元気なのじゃ!
竜さまが鼻を寄せて、しばらくスーヒと挨拶する。
悲しそうな声が消えた。
――すこし落ち着いたようだ。降ろしてよいぞ。
「はい」
床に降ろされたスーヒは二、三歩離れると、しばらくして床の匂いをかぎ始めた。
「……スーヒ、だいじょうぶ?」
――匂いをかぐといろいろなことが分かるのじゃ! スーヒはここがどこか確かめておるのじゃ、よいことじゃ!
へえ、そんなものかな?
――本当は毛づくろいがしたいのじゃ! しかし、今は毛がないのじゃ! ぽはっ! 残念なのじゃ!
うーん、ちょっと気の毒だ。
「竜さま、お願いがあるのですが」
――珍しい。何ごとじゃ?
竜さまが首を立てて、ニーノに向き直る。
ニーノはちらりと背後に視線をやった。
「外に生き物が集まっております。竜さまが脅かしをなさったことで、竜さまが脅かすような相手がいるのか、竜さまがご無事か案じているようです」
――ぽはっ! 外にたくさんけはいがあると思うたが、さようなことか! ぽはっ!
お屑さまの言い分に首をかしげる。
「エーヴェ、ぜんぜん見えなかったよ」
さっき外に出たとき、ただニーノがスーヒを抱えて立ってるだけだった。
「当然だ。人に姿など見せない」
「おお……」
ニーノは改めて竜さまを見上げる。
「竜さまのお側は大きな獣が少なく、他の場所に比べて過ごしやすいようです。子どもを育てている者や小さい者が多く暮らしています。竜さまに何かあれば、生き物も他の居場所を探さねばなりません」
「……あ! さっき鳥さんが、りゅーさまを見に来ました!」
「それは勇敢だ。多くの者はそうではない」
竜さまは金の目をぱちぱちと瞬き、鼻息を上げた。
――ふむ。さほどに影響が大きかったか。安堵しよう。
頭を傾けて、しばらく押し黙ってから、竜さまは首を持ち上げ、後ろ肢で立つ。
少し羽を広げた。
クウォー――ン
優しい音が広がって、ふわっと力が抜ける。
久しぶりの竜さまの歌だ。
ペロが止まってぷるぷるしてる。
――なんじゃ! これはなんじゃ! いつの間に覚えたのじゃ!
歌の間、ぽかんとしていたお屑さまが急にぴこんぴこんする
どしっと前肢を床に降ろして、竜さまはお屑さまを見た。
――歌である。どうじゃ。歌えるのは屑だけではない。
付き人みんなで拍手した。
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