5.ショック療法
邸の前に来て振り返っても、テーマイの姿は見えない。
「私はテーマイを竜さまの洞へ連れて行く。貴様はスーヒを連れて来い」
「あれ? 邸で会いませんか?」
「ケガや病気の患者以外、邸には入れない」
そんなルールがあったとは。
「エーヴェ、スーヒ連れてきます!」
邸に入ると、ジュスタの部屋の扉に張りついてるペロが目に入った。
「ペロー、ジュスタは今遊べません! 一緒にりゅーさまのところ行こう!」
傍に寄って、鉢をこんこんする。
ペロは固まってから、そろそろっと邸の入口に移動する。
「その前に、スーヒを呼びますよ。スーヒ!」
スーヒは枯れ草の上で横になっていた。
「スーヒ?」
伸ばされた短い足がぴくっと動いた。
熟睡してる。
「スーヒ! 起きて! テーマイが来たよ!」
揺さぶってみる。
おっとり目を開けて、またすぐスーヒは目を閉じた。
「なんと」
スーヒは動く気がない。どうやって竜さまの洞まで連れて行こう。
「ペロ! スーヒ起こせますか?」
邸の入口でほよんとしてるペロを呼ぶ。何度も呼ぶと、ゆっくりこっちにやってきた。
「ペロ、スーヒが起きません!」
ペロはスーヒに近づいて、おでこに乗っかる。
スーヒは目を開けて、のそっと起き上がった。
ちょっと冷たかったのかな?
間近のペロをじっと見つめる。
初対面じゃないけど、お互い珍しいもんね。
「スーヒ、りゅーさまのところ行きますよ」
ぺちょ
あ、ペロが跳ねた。
やっぱりペロも早く竜さまのところに行きたいんだ。
スーヒの後ろに回ってお尻を押す。
「いきまーす!」
ペロがすささっと入口に移動し、ようやく気持ちが伝わったのか、スーヒがぽとぽと歩き始めた。
歩き方はイノシシに似てるけど、お尻の丸みや顔はカピバラっぽい。今はつるつるだけど毛もふさふさしてた。
このスーヒはゆっくりだから分からないけど、本当は足が速いんじゃないかな。
声をかけるより手を打ったほうが進んでくれるので、ぱちぱち拍手しながら追い立てる。
遠くに見える竜さまの前に、ニーノとテーマイがいる。
――やっと来たのじゃ! まったく、遅いのじゃ!
お屑さまの腕輪は、竜さまが小指の爪の先に引っかけてる。竜さまと比べると、糸くずみたい。
「お屑さまー!」
竜さまから受け取って、腕につけた。
「りゅーさま、テーマイです!」
――うむ。覚えておる。
「テーマイも覚えてる?」
竜さまの前で落ち着いてる雰囲気から、覚えてるのが伝わってきた。
「うっふっふー!」
「――テーマイ、これがスーヒだ」
テーマイはスーヒにちょっとずつ近づいて、鼻面を伸ばす。スーヒも鼻をふんふんする。たぶん薬の匂いがすると思うけど、挨拶できてるのかな。
しばらくしてから顔を上げ、テーマイは耳をふるふるした。
「――そうか」
「なになに? テーマイ、なんて言ってますか?」
「……穴の中で刺激がほとんどなく、じっとして生きてきたから、戸惑っている……というところか。外にいれば自然に慣れるだろう」
出られないって思って生きてきたから、ビックリしてるのかな?
――刺激がなかったなら、与えてみれば良いのじゃ!
お屑さまがぴこんぴこんする。
「周囲全てが刺激です。特別に与える必要もないかと」
――このぼんやりは怖いを知らぬ! それはとても危ういのじゃ! 山よ、一つ、怖がらせてみよ!
「ええ!」
お屑さまがまたすごい提案してる。
――わしが? なにゆえ、そのような。
――お主のように大きい物を見て怯えぬのは、おかしいのじゃ! テーマイも最初は尻込みしておったのに、ぼんやりはとてとてと入ってきおった! 心配じゃ! ぽはっ!
ぽはっ?
竜さまは首をかしげる。
――ふむ。まあ、やってみてもよいが。ニーノはどう思う?
ニーノはしばらく考え込む。
「――時間をかければ必要なことは学ぶでしょう。しかし、お屑さまがおっしゃることも一理あります。時間をかけること自体が、危うくもある」
――うむ、なるほど。
何かな? 何が起こるのかな?
竜さまとニーノとお屑さまを見比べる。
――では、少し脅かすぞ。構えよ。
ワクワクして、竜さまを見上げた。
……ん?
音の聞こえ方がおかしい。耳を手で探って、はっとした。
違う、急に静かになったんだ。
いつも周囲にある鳥の声や風の音が止まっていた。
不安になって竜さまを見ると、白銀のたてがみが溶けた鉄のように輝き、瞳も夕陽の赤に燃えていた。
どん、と強い、重い力が押し寄せた。
跳ね飛ばされそうなのに、その場に釘付けになる。
焦る。
すぐ側まで怖い物がせまってるのに、逃げ出せない。
逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ――
竜さまが口を開け、吼えた。
物も言わずに洞を走り出て、木の陰に飛び込んだ。
逃げる鳥や動物の声が、洞の周囲からどんどん遠ざかっていく。
それでも、なんだかずっと強い音がする。
どん、どん、どん
竜さまの声?
なんだ? なんだ?
どん、どん、どん、
はっとした。
心臓の音だ。
――怖いのじゃ! 山よ! 怖いのじゃ!
お屑さまがぴこんぴこんしてる。
「お屑さま」
――童! 大事ない! 山は怖いのじゃ! 大事ない!
お屑さまも少し混乱してるみたい。
――うむ? やりすぎたか?
首を伸ばして洞をのぞき込むと、普段の空気に戻りつつある竜さまと普段通りのニーノが見えた。
「いえ、十分な脅かしでした。スーヒが混乱して走り出ましたので、追って参ります」
洞の床を蹴って、ニーノが飛んで行ってしまった。
ぱちぱち瞬きして、おそるおそる洞に近づく。
おかしいな。体中疲れて重い。
いっぱい走った後みたいに震えてる。
――まったく! 怖いのじゃ! 久しぶりにとっても怖かったのじゃ! 山は怖いのじゃ!
お屑さまは怒ってるか、驚いてるか、感心してる。
岩の陰が光った気がしてのぞき込むと、ペロが固まってた。
「ペロー――?」
――しばらく怖がるのも仕方ない。
竜さまは長く鼻息を吹きだして、首や耳をぷるぷる振った。
――見事じゃぞ、山! 怖いのじゃ! もうしばらく見たくないのじゃ! 怖いのじゃ!
――うむ。それは何よりだ。
やっぱりお屑さまは感心してるのかな。
――大丈夫か、エーヴェ?
ぎくしゃくして竜さまの前に着くまで、ずいぶん時間がかかった。
「大丈夫です。とっても怖かった」
こういう怖さは、あまり出会ったことがない。
身体が勝手に逃げ出してた。
ふわっとあったかい空気に包まれて、目をぱちぱちする。
竜さまが顔を近づけて、鼻息をかけてくれた。
ぶわっと涙が出て来た。
「りゅーさまー! こわかったー!」
竜さまの鼻にしがみついて、しばらく泣いた。
竜さまの威嚇。
評価・いいね・感想等いただけると大変励みになります。
是非、よろしくお願いします。




