20.コード=ドラゴン
少し長くなりました。
お屑さまがぴんっと伸び上がる。
――ささ、ニーノ! お主が知っておる技術とやらを話すのじゃ!
「お!」
すっかり忘れてた。
ニーノは普段通りの表情だけど、言葉が出るまでに時間がかかる。
「……前の世界の話です。何の参考にもならないかと」
――愚か者、参考になるかどうかはわしが決めるのじゃ! 知らないことを、わしは知りたいのじゃ! ぽはっ!
お屑さまはちょっとわがままです。
――ニーノ、話したくなければ話さずともよい。屑は言った端から忘れるゆえ、根に持たぬ。
竜さまが穏やかな響きで言う。
一休みしていたペロが、竜さま周りの散歩を再開した。
ニーノは姿勢正しく座っていて、しばらく考え込む。
「いえ。よい機会かもしれません。複雑で回り道もありますので長くなりますが、お許しください」
お屑さまに軽く頭を下げて、ニーノは始める。
「ある種の昆虫がきっかけとなって、前の世界で人間は意識の世界に目を向けるようになりました。その虫は、一つの個体の経験を同じ瞬間に他の個体も感じることができる。集合知を持つ虫は、一つ一つが別の個体でもあり、全体で一つの個体でもあります」
思いがけない話にぽかんと口が開く。
――なんじゃ、わしと似ておるな!
「え? おくずさまは他のおくずさまのこと、分かりますか?」
――うむ! 本体から散ったとは言え、わしは一つである! どこにいてもそれぞれの状況は分かるのじゃ!
ふわー! すごい! 同時に九百箇所以上に存在するってどんな気分かな?
「だから、お屑さまは、いつでも何につかまってても平気なんだよな」
――どこにいても見る物はあるのじゃ! しかし、千日、海の底におるときには、他の場所の景色はとりわけ心地よくあるぞ! ぽはっ!
システーナにお屑さまはぴこんぴこん答える。
なるほど、いつも一人じゃないのは心強い。
……あれ? でも、お屑さまは一人なのかな?
「確かに、お屑さまと似ているようです。しかし、周囲の招きに応じて行動なさるお屑さまと違い、虫は百いれば、百のやりたいことをします。――残念ながら、人と虫とは共生できず、敵対していました。人間は虫と虫の作る物を壊し、虫は人間と人間の作る物を壊しました」
うわー、また全然違う世界だ!
「とはいえ、私が生きた時代には虫との戦いは過去になっていました。人間は虫を殺しつくし、虫と戦うために開発した精神に干渉する方法だけが残っていました」
――殺しつくすとは空恐ろしいの。
目を細めた竜さまを見上げて、ニーノは重々しく頷いた。
「はい。そして、大変な愚行でした。虫を殺すために神経毒を世界中に振りまいた結果、人間は自ら作った建物の中でしか生きられず、人口と居住空間の兼ね合いから大多数の人間は、繭のような場所に寝て暮らすしかありませんでした」
「……寝て暮らすってどーゆーこった?」
システーナはぽかんとしている。
お屑さまも口を開けてふわーっと漂ってる。
「言葉の通りだ。自分の足で立って歩くことができるのは一部の人間で、他の人間は繭の中で横たわったまま、生きる。身体は動かない代わり、心は常に活動している」
「身体は寝てるのに、心は活動するってことは、夢を見てるってことですか?」
ジュスタが困った顔で首をかしげる。
「夢と似ている。しかし、皆同じ夢だ。そこには建物が建ち、人が行き交い、話し、暮らしている」
わー! ヴァーチャルだ! ヴァーチャルリアリティ!!
「そこでみんな生きますか? 楽しいですか?」
VRで楽しく夢を見ながら寝て暮らす、なんて、現代人の一部ではあこがれの生き方だよ!
でも、ニーノの顔には、楽しさのかけらもなかった。
「楽しいと思わせるのが私の役目だった」
「思わせる?」
細く長い息が、ニーノの口からもれる。
「矛盾に満ちた世界でした――。毒に汚染された大地で食料を作るのは機械。機械が壊れれば修理するのも機械。一部の選ばれた人間は、建物の中の汚染されていない土と空気で育てられた食料を得て、身体の感覚を享受し生きている。眠っている人間は荷物のように積み重ねられ、できるだけ早く減ることを望まれていました。間違っても夢から――繭から起きないように、ほどよい現実感と達成感を与えるのです。
夢の世界にはそれぞれに課題があり、課題に応じて望みが叶います。夢の中なのですから、望みなど無限に叶っておかしくないのに、夢の中で他者と比較させます。獲得した対価の多寡が比較の対象です。対価は彼らの夢での暮らしになくてはなりません。彼らは、季節の花が咲くのを見るのにも、対価を払わねばならないのです。対価が払えないならば、広告付きのうっとうしい景色を見続けなければならない。広告が洗練されたものだという認識を与えれば、彼らは受け入れてしまうのですが……。
しかし、認識を与えるより簡単な手段がありました。それがより深い階層の意識に働きかけることです。形などない、自分が自分だと気づくこともない――ペロの思念のように古くからの意思が息づいている場所。おそらく、竜さまがたがまどろみどきと呼ばれる場所でしょう。
それに与える刺激によって、彼らは性格すら変えました。場合によっては、死を選ぶこともあった。しかし、繭にいない人の気持ちは変わりませんでした。楽しい夢を見せて、早く死なせろ」
ニーノの視線が下を向く。
「全ての人間が起きるには、建物は狭く食料も足りません。かといって、ただ殺すのは胸が痛むという。楽しい夢を見せて命を全うさせることは、繭にいない人にとって罪悪感の少ないやり方だったようです。私にとっては、人格を変えてまで夢の世界に留めることは罪悪感を覚えることでした」
「ニーノは繭にいない人でしたか?」
ニーノは静かに首を振る。
「私は技術があったので、繭には入っていなかった。しかし、技術に関わるのをやめれば、繭に入れられたはずだ」
「おおお……」
「――いや、入れられたのかもしれない」
ニーノの瞳がにぶく、強く輝く。
まるで怒ってるみたい。
「人間が規定の数まで減ったとき、汚染は害のない程度に薄まり、人間はまた建物の外の世界で暮らせるというのは、私には楽観的に思えました。汚染のない環境で生きている人間に、繭の中で夢を見ている人間に、新しい世界で生き残る多様性が残っているのか? 飢えるほどの生への執着が残るのか? あまつさえ、繭の住人は早く死ぬことをのぞまれているのに。
……私は一つの刺激を設計しました。疑念を抱き、世界を知りたがり、生きることを無意識に選ぶ――」
ニーノは竜さまを見上げて、微笑んだ。
「そのコードには名前をつけました。人間が血と肉と知恵で生きた時代に、人間をねじ伏せる力を持った存在に敬意を表して」
雪解けみたいな笑顔は一瞬で消えた。
「コードを使ったのかは覚えていません。早く死ぬこととは逆のコードです。良い結果にはならなかったでしょう」
竜さまがぱくりとニーノの上体をくわえ、ひょいっと背中に乗っけた。
急なことに、ぽかんとする。
ん? いや、いろいろなことでぽかんだけど。
――ニーノ、今日はここにおれ。たいそう疲れる話であった。
「……申し訳ありません。迂遠な話をいたしました」
顔は見えないけど、ちょっと慌ててるのかな。
――いや。ニーノがエーヴェを案じる理由がよく分かった。なるほど、大変なことである。
――うむ! 息の詰まる話であった! さっぱり分からんが、身が細まるのじゃ!
お屑さまはぴこんぴこんする。
「んー、生きてんのか死んでんのか、分かんねー世界だなぁ」
頭をぼりぼりかいてるシステーナに、ジュスタは頷いた。
「俺のいた世界とは、悩みの質が違いそうです」
はっと気がついて立ち上がる。
「エーヴェ、ニーノがここに来てよかったです! ニーノ、ようこそ!」
ニーノの顔は全然見えないけど、両手を上げて叫んだ。
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