17.お九頭さまと
――ああ、すっかり変わっておる。見ろ、あの地平線を!
――空が広いのは良きことじゃが、かようにおどろおどろしいさまでは気が滅入る。
お屑さまは顔を寄せ合って会話しながら、朽ちたビルの間を歩いて行く。
「おくずさま、どこに行きますか?」
お屑さまの背中は大きいけど、お尻のほうが頭側よりずっと低いので、首にあるヒレみたいな突起をつかんでいる。
前の夢は竜さまのたてがみに触れなかったけど、今度はお屑さまに触れるみたい。
――どこ? ふん、知った世界ならどこと言えるであろうな。
――何もかもが見知らぬ世界なら、どこに行くなど決められぬのじゃ。
「え? おくずさまもここがどこか知らないですか」
――わしの生まれた世界じゃ。しかし、様変わりした。
――このように変わっては、眷族の気配も見えぬ。
お屑さまが首を持ち上げ、遠吠えのように声を上げた。
ぐぉぉおおおおー――ん うぅぉおおおおー――ん
大きな声だけど、さっきよりちょっと優しい。
私がいるから、控えめにしてくれたのかもしれない。
お屑さまは少し何かを待つように、周囲を見回す。
――うむ。好きに行くしかあるまい。
――気の合わぬ場所じゃが、致し方ない。
お屑さまはゆったり歩き出す。ゆったりだけど、身体が大きいから、私が歩くよりはだいぶ速い。
「おくずさま、おくずさまって古い名前ですか?」
さっき気になったことを聞いてみる。紫色の目をした顔が、こっちを向いた。
――お主らがつけた名じゃが、童は知らぬか。
「知らないです」
――ふん。お主はヒトに見えるが、わしの知るヒトとは違うのかもしれぬ。わしらがヒトの目より隠れるよりすこぅし昔、水の守り手、知恵の主として、わしを九頭竜と呼ぶヒトの群れがあった。
――あのときは面白かったな。ヒトがわしらそれぞれに話を聞きに来るのじゃ。
――一日、別の人間と話しておったゆえ、飽きるということがなかったのう。
それぞれの首がそれぞれの思い出を話している。おしゃべりな気はするけど、小さいお屑さまと同一人物の感じがあんまりしない。
――他の場所が見たくなって、しばらく留守にして戻ると、ヒトの群れはいなくなっておった。別のヒトの群れはわしを見てずいぶん恐れておったゆえ、面倒になって他の場所に移ったのじゃ。
「おくずさまは、水の守り手ですか!」
やっぱり、竜さまは水を治めたり、操ったりできるんだろうか?
――何も。一度、山の水が溢れたとき、腹が減っておったので波を食らったのじゃ。波を食らえば、氾濫は止まる。それがヒトには水の守りに見えたらしい。まあ、ヒトはよく勘違いをしおる。わしらは偉大ゆえ、それも致し方ない。
周囲のお屑さまの頭も、一斉に同意する。
「おお!」
波を食べるっていったいどういうことなのか、想像できない。
――童、お主はわしを知っておるのか?
「はい! エーヴェはお屑さまと仲が良いです!」
両手を上げて、宣言する。
いくつかの首が横に振れたり、かしげられたりした。
――エーヴェ? 知らぬ名じゃ。
――しかし、側人があるは吉報じゃ。眷族がおるということじゃ。
――眷族があれば、世界がかつての潤いを取り戻すも可能であろう。
――探さねば。
――会わねば。
こくん、こくんとうなずき合い、お屑さまはゆったり歩く。
……もしかして、お屑さまは竜さまたちに会うために、小さなお屑さまになって世界中に散らばったのかな?
景色は相変わらず重苦しい。
荒廃の世界は、生き物の気配も死の跡もない。風だけがびょうびょうと吹いて、鉄錆混じりの砂を吹き上げる。
――エーヴェ。
急に誰かが名前を呼んで、背筋が伸びた。
「お屑さま、エーヴェの名前呼びましたか?」
――呼んでおらぬぞ。
――おおかた、探し手であろう。
お屑さまの言葉に、目の前に視線を戻すと、そこにはペロがいた。
ふよん、と空中に浮かんでいる。
「ペロー!」
手を伸ばして触れた瞬間、ぴりっと身体に声が走った。
――エーヴェ、そこはエーヴェの時間ではない。戻って参れ。
「りゅーさま!」
思わず声を上げた。途端に、お屑さまが色めき立つ。
――竜がおるのか?
――我が眷族に会えば、少しは状況が整理できよう。
まるでこっちが見えてるみたいに、竜さまの声が響く。
――わしはそこに行けぬ。九頭竜に暇を告げてペロについて来るがよい。
「分かりました!」
――なんじゃ?
きょろきょろしてるお屑さまを見上げた。
「お迎えが来たから、エーヴェ帰ります! 竜さまはここに来られないんだって」
――来られぬ?
――ああ、時が違うのじゃ。
――致し方ない。
――残念じゃ。
紫色の目のお屑さまが目を細めた。
――迷い子は親の元に返るのがいちばんじゃ。気をつけて参れ、童。
「ありがとうございます、おくずさま! またあとでね!」
挨拶して、ペロに手を伸ばす。
ふわっと目の前が光で満ちた。
竜さまの鼻息がふわっとほっぺたをなでた気がする。
水の感触に目を開けた。頭が重い。
目を上のほうに向けると、ペロがおでこに寄りかかっている。
――おおお! 童が目を開けたぞ! ニーノ! 疾く参れ!!
ぎゃんぎゃん言うお屑さまの声が、一人分に戻ってる。
「エーヴェ、帰って来ました」
呟くと、ペロがおでこから降りて、寝台の端でリラックスモードになった。
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