9.ジュスタの工房 一
竜さまが出ません……
「どうだ?」
朝食を並べながら、ニーノがジュスタに声をかけた。
「川の水量が増えているし、ぬかるみもひどいですね」
「では、今日も鍛錬は無理だな」
布で髪をぬぐいつつ、そうですね、とジュスタがこちらを見た。
「エーヴェ、今日は俺の工房を見に来なよ」
一瞬、はてなが頭に浮かんだけど、すぐに気がつく。
「ガラス?」
「他にもいろいろ」
「――それがいいだろう」
椅子に座るように目で促して、ニーノも座る。
今日の朝食はおかゆだ。
木の器によそわれるだけで、すごく滋養がありそうな気がする。塩味がつけてあるので、中華がゆに近いだろうか。赤い物が散らばっていて梅干しを思い出したけれど、食べてみるとほのかに甘かった。干しナツメっぽい。ますます中華だ。
小皿にのった木の実を指でつまむ。
「エーヴェ、りゅーさまのところ行きたい」
口に運ぶ。噛みしめると、クルミに似たコクがある。
「竜さまのところに行くことだけが、竜さまを知る方法じゃないよ」
「貴様が知る世界の深さが、貴様が理解できる竜さまの深さだ」
この二人、しばしば哲学的だ。
でも、確かに工房は気になる。あの後、ガラスを仔細にのぞいてみたけど、細かな気泡は含まれていても、植物や動物の破片は混じっていなかった。
――あの話が本当なら、葉っぱのかけらや虫の足が入っていてもおかしくないのに。
考え考え、さじでおかゆをすくう。また、汗が浮いてくる。
二人とも、よく温かい料理を作る。
でも、本人たちは汗をかいていない。
分からないことがたくさんある。でも、これが不思議なことなのか、そうじゃないのか分からない。ん? そんなこと、考える必要あるんだっけ?
私は子どもなのだから、何を聞いたって不思議じゃない。
ニーノが汗を拭いてくれる。
「ニーノとジュスタは、どうしてあせ出ないの?」
「あ――、はっはっはっは!」
ジュスタが肩を揺すって笑う。ニーノは指で木の実の殻を割った。
「大人だからだ」
「いやいや、俺も汗は出るよ。ニーノさんだって、ときどきは」
「工房へ行け。ジュスタの汗が見られる」
「はぇー?」
また、ジュスタが吹き出す。ぽかんとしている私に、にっかり笑った。
「エーヴェは、汗じゃないものが見たいよなぁ?」
「うん……。はい!」
気がつくと、工房へ行くことで話がまとまっていた。
朝食の後片付けを終えると、ジュスタと一緒に工房へ向かう。その前に、私は部屋から竜さまの鱗を持ってきた。ジュスタは蜂蜜色の目を丸くして、すぐに微笑した。
「転ぶなよ」
「はい!」
いろいろな物を透かし見ながら歩いた。オレンジシャーベットの邸も、午前中の澄みきった空気の森も、鱗の凹凸に光がにじむ。空に浮かぶ雲だって、ちょっとした彩雲だ。
きれーを連呼していた私の、足が止まった。
たどってきた道は、竜さまの洞を正面に見て、右側の方向に進んでいた。アーチ状に掘り抜かれた岩の向こうに、見覚えのある景色が透かし見える。
鱗を頭上にかかげた。間違いない。
「たんぼだ」
正確には、棚田。斜面により多く作付けするための、あの形状。五枚だけだったし、よく知る田んぼより雑草が入り交じっているけど、間違いない。
――そういえば、おにぎり食べてるっけ。
「今朝食べたのはこれだよ。実るには、まだ百日かかるけど」
「これ、ジュスタのこーぼー?」
「――の、一部だな」
畦にはトウモロコシも植えてある。イモや豆どころか、麻、綿花、コウゾ、染料も栽培している。もちろん、私はどれがどれか分からないので、ジュスタの説明で“はじめまして”したわけだけど。
「食べるのも着るのも使うのも、物だろ」
「ジュスタ一人で作ってるの?!」
「ニーノさんも、だな。でも、これは俺のほうが得意なんだ」
まったく人間業じゃない。竜や魔法とは、別の意味でチートだ。
――緑の親指みたいなやつですか?
ジュスタは植物をなで、声をかける。
どうも、私が知っている栽培や農業とは違う。
「どうして話しかけるの?」
バナナの木に話しかけるジュスタに、尋ねる。
ジュスタは首をかしげた。目の色のせいか、ジュスタが微笑むと「とろける」という言葉が頭に浮かぶ。
「そうだなぁ。知り合いには、話しかけたくなる。こうしたほうが、みんな元気に育つしな。――エーヴェも話してみるか?」
やはり、植物との意思疎通はできないらしい。
バナナの木を見上げる。大きな赤いつぼみがお辞儀をしているようだ。
うーん、なんと声をかけるべきなのだろう。
「こんにちは、エーヴェだよ。きれいな緑だね」
「ああ、とてもきれいな黄緑色だ」
ジュスタが大きな葉をなでる。真似してなでた。
――思いのほか、満足感がある。
「こんにちは! エーヴェだよ。白い花がきれいだね」
「ジンジャーだよ。黄色のしべもきれいだな」
なでなで。
葉の手触りの違いなんて、ずっと感じたことがなかった。
繰り返すうちに、だんだんテンションが上がってくる。
結局、森のふちの畑中、ジュスタと一緒にあいさつしてまわった。
評価・いいね・感想等いただけると励みになります。
是非よろしくお願いします。




