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アファンタジア〜君の声は覚えてる〜

作者: 悠木 源基

 少し切なくて、それでも前向きに進む身分差のカップルの話です。

 話は全くの空想でモデルや参考にした国も宗教もありません。


 私は今、三年振りになだらかなこの丘の上に立っている。景色はほとんど変わってはいない。

 数日前まで設置されていたであろう、サーカス団のテントは取り外されて、そこにはただ草原が広がっている。

 爽やかな風に吹かれて、まるで緑の波ようにうねりながら。

 

 大きく息を吸い込むと、私は三年前に歌えなかったあの歌を歌い出した。

 するとまもなくして、私の声に合わせるように別の歌声が流れてきた。

 懐かしいテノールのあの美しい響きが……

 

 

 振り向かなくてもその声の持ち主はわかる。三年前まではここでよく一緒に歌っていたのだから。

 何も無ければ、今もこうして共に歌っていただろう。まるでそれが当たり前で自然だとでもいうように。

 

 しかし、現実は違う。

 

 三年前、彼は私ではなく別の女性を選んだ。そして大勢の人々の前で、その美しいハーモニーを響かせたのだ。

 

 私はもうこの声とハモるつもりはない。

 

 私は歌うのを止め、真っ直ぐに前を向いて歩き出した。

 すると後ろから手首を掴まれて、私は無理矢理に振り向かされて抱き締められた。

 そして三年前よりずっと広く逞しくなった胸に顔を押し付けられてしまった。

 

 その瞬間、従姉の美しい顔が浮かんで、もう忘れたはずの苦しみ、憎しみ、切なさ、そして選ばれなかった惨めな気持ちが蘇ってきた。

 

 

 ✽✽✽✽✽

 

 

 私の歌は人々の心を癒やすらしい。


 愛する人を()くした悲しみ、

 夢や希望を()くしまった絶望、

 病気や怪我による苦しみ、

 戦争や災害による恐怖、

 

 私の歌声は、そんな人々に少しだけ癒やしを与えているらしい。

 

「ありがとう。あなた様の歌声に救われました。また来て下さい。待っています」

 

 私は歌を歌うことが大好きだった。歌を歌うことだけが、幼い私に唯一許された楽しみだったから。

 しかし、自分の歌声では自分自身を癒やせなかった。だから、私は歌うことを諦めて修道院へ入った。

 ところがそこで歌を褒められ認められて、私は聖歌隊の一員となった。そして巡教師様達と共に、各地を慰問するようになった。

 

 やがて私の歌声に癒やしの力があることが判明すると、今度は聖歌隊とは別に、ソロの歌い手として色々な施設を慰問するようにと指示された。

 

 三年前までは何一つ役に立たない、邪魔者でしかなかった私が、今では多くの人々に感謝され、来訪を期待されている。

 なんて幸せでありがたいことだろうか。

  

 私が生まれたサーカス団も、人々に夢と生きる力を与えるために、国中を三か月ごとに移動していた。

 そして再び同じ町に巡ってくるのはその三年後だった。

 

 そして偶然、私の慰問も似たようなサイクルで回っていた。サーカス団が興業を終えて次の町へと移動した後、まるでそれを図ったかのように、その町の修道院へと移動をした。

 そのおかげで私は、サーカス団の親族や団員達と顔を合わせずに済んだ。

 

 

 ✽✽✽✽✽

 

 

 三年前のあのサマーフェスティバルの日は、サーカス団の最終公演日の翌日で、みんなは後片付けの真っ最中だった。

 そんな超多忙な日にそこを抜け出したら、戻ってきてどんな重い罰を受けるのか、それくらい私だってわかっていた。

 

 それでも私は、どうしてもフェスティバルの最大イベントである、その歌声コンテストに出てみたかった。

 

 賞が取りたいとかそんなことを思った訳じゃなかった。自分の唯一得意な歌が、どの程度のものなのか、お客さんの反応が見たかっただけだった。

 ほんの少しでも拍手をもらえたら、どんなに嬉しいだろうと。

 サーカス団に生まれながら、私は一度たりともお客様から拍手をもらったことがなかったから。


 そして一生に一度でいい。憧れの人とのハーモニーを、多くの人々に聞いてもらいたかった。



 ✽✽✽


 父親は綱渡り、母親はトランポリンの曲芸師だった。そして兄も弟も幼い頃から玉乗りや一輪車を上手にこなして、お客様から大きな声援と拍手をもらっていた。


 それなのに何故か私だけ、運動能力が人並み以下だった。どんなに一生懸命に練習しても、人様に見せるだけの芸を何一つ習得できなかった。

 せめて団長の伯父のようにパフォーマンスができたらピエロになれたかも知れないし、伯母のようにトークが上手ければ、司会進行ができたかも知れない。

 しかし私は、大勢の観客の前に出ると、ただおどおどするだけだった。

 

 そう。私が得意だったのは歌を歌うことくらいだった。しかし、それはサーカス団には必要のないスキルだったのだ。

 

 芸のできない私はその代りに、動物の世話や、食事、洗濯、掃除、そして細々とした雑用などは一生懸命にやっていたつもりだ。

 

 だけど団長である伯父も両親も従兄妹達も、そして他の団員からも何の役にも立たない奴と馬鹿にされ、罵られ、小突かれ続けた。

 そんな環境で生まれ育った私は、幼い頃から自分に自信がなくて、ただいつも小さく背中を丸めていた。なるだけ人目につかないようにと。

 

 そんな私にとって、サーカス団の仲間である馬や驢馬(ロバ)、小型の魔物達に草を食べさせる役目は、正直ありがたかった。だって草原には誰もいない。

 私を罵り馬鹿にして、小突く人はいない。役立たずだと睨まれることもない。ここなら背を丸めずに、ピンと背を伸ばすことができる。

 

「君、綺麗な声をしているね。

 だけど、そんなに姿勢が悪いと、いつかその声が出なくなっちゃうかもしれないよ。

 だから、歌う時は背筋はピンと伸ばさないといけないよ」

 

 七歳の時に初めて草原で遇った時、この町の領主様のお子様であるキシール様がこうおっしゃった。

 

 だから、誰もいない時はなるだけ背筋を伸ばすようにした。

 初めて人様から褒められた声がちゃんと出るようにと。

 

 ✽


 馬や驢馬はともかく、魔物の世話をするのは、本来は魔物使いの仕事だった。だけど彼はショーの時以外、仕事をしなかった。


 彼に辞められたらサーカスの人気の一つ、魔物ショーができなくなってしまう。それが困るから、団長達は彼に無理強いができなかった。

 

 人間の二、三倍も大きな魔物の曲芸は迫力満点で、空中ブランコに匹敵する人気の演目だから、魔物使いは大切だったのだ。

 だけど、団員達はみんな魔物の世話を嫌がった。そして、芸の一つもできないのだからと私に押し付けた。

 まだ七歳だった私に。

 

 何故か私は動物だけではなく魔物にも好かれていた。だから彼らに傷付けられることはなかった。

 しかしそれはたまたまである。みんなは私と魔物達が触れ合っていたことなど知るはずもなかったのだから。

 

 両親も兄弟も伯父である団長も、私がもし魔物に襲われたしてもどうせ構わなかったのだろう。

 ただ空中ブランコの小さなアイドルだった、一つ年上の従姉のアリーアだけが反対してくれたけど。

 

 まあでもあの後、私は魔物の世話係になって良かったと思うようになった。

 誰の目も気にせず、思い切り大好きな歌が歌えたから。

 特にこの町に訪れる度に余計にそう思っていた。

 

 それは領主様のお子様のキシール様と一緒に歌が歌えたからだ。

 キシール様は専門の歌の先生に習っていたから、とにかく歌がお上手だった。

 そして、たまに行く修道院の聖歌隊のように澄んで綺麗な声をしていた。

 キシール様は、ご自分が習ったことをいつも私にも優しく教えて下さった。

 

 それから文字や計算も教えて下さった。キシール様は私より一つ年上なだけだったのに、とても頭が良くて何でも良くご存知だった。

 

 

「ここのご領主様のお坊ちゃんみたいな子を、天才というだろうな。しかも才色兼備だ」

 

「さいしょくけんび、ってなあに?」

 

「頭が良くて、しかも見た目も良いってことさ。俺らは国中を回っているけどよ、あんなに綺麗な方は見たことねぇもんな。

 大人になったら、きっと王子様みたいに立派になってよ、綺麗でかわいいお姫様みたいなお嫁さんが来てくださるんだろうよ」

 

「お父さん、私がお姫様になってキシール様のお嫁さんになる!」

 

「ハハハッ! 確かににアリーアはこのサーカス団の姫さんだけど、間違ってもキシール様とは結婚できないな。

 貴族様と平民じゃ、天地がひっくり返っても一緒にはなれねぇんだ。

 残念だけどよ」

 

 昔、団長である伯父と従姉がこんな話をしていた。

 だけど三年前、キシール様はアリーアの手をとってステージに上がった。まるで愛おしくて堪らないという表情をして。

 

 輝く銀色の長い髪に、水色の瞳をした、繊細でガラス細工のように美しいキシール様。

 鮮やかな赤い髪に黒い瞳の華やかな顔立ち、そしてメリハリのついた素晴らしいスタイルのアリーア。

 

 正反対だけど、だからこそ周りの目を引いた。この世のものとは思えない、おとぎ話の世界のようにお似合いの二人だった。

 

 私は二人のハーモニーが聞きたくなくて、人の波に逆らうように、夢中で駆け出した。両手で耳を覆いながら。

 

 

 ✽✽✽✽✽

 

 

 てっきり私は、正式には結婚できなくても、二人は恋人同士になったのだと思っていた。

 空中ブランコのスターだったアリーアが表舞台から消えたと聞いていたから。

 

 でも、昨日この町に着いた時、アリーアの曲芸が凄かったと話題になっていたのを聞いて、私は本当に驚いたのだ。

 

 しかしそれと同時に次期領主様が婚約したらしいという噂も聞いたので、従姉はきっと身辺整理をされたのだろうと解釈した。

 奥様になる方の立場になったら、最初から愛人のいる男性と結婚するのは嫌だろう。アリーアには気の毒だけど。

 

 それにまあ、彼女は昔からとにかくもてて、彼氏が途絶えたことがなかったから、すぐにまた新しい恋人ができるだろう。

 それになんと言ってもブランコ乗りのスターだ。私と違って帰る場所がある。私なんかが心配するなんて烏滸がましいよね。

 そう私は思った。

 

 三年前まで、私は図々しくもキシール様と一番仲がいいと思っていた。そして、勝手に好きになって、勝手に失恋して苦しんだのだ。

 

 身分違いなだけじゃなくて、容姿も能力面でも私では不釣り合いだってことは、百も承知していた。恋人になりたいだなんてことは夢にも思ったことはなかった。

 

 ただ、キシール様と一番綺麗にハモれるのは私なんだって、勝手にそう思い込んでいたんだよね。

 それを思い出すと、今でも本当に恥ずかしくて、のたうち回りたくなるわ。

 

 だから、今回巡回慰問でここに来ることが決まった時、自分の気持ちに踏ん切りをつけるために草原へ行こうと決心したのだ。

 

 キシール様の婚約の話も聞いたし、丁度良かったわ。

 これからは、もっともっと心を込めて歌を歌うわ。人々の心を少しでも癒やせるように。

 それをあの場所で、自分自身に宣言しようと。

 

 ✽

 

 それなのに、何故またキシール様に逢ってしまったの。

 どうして私の手を掴んだの?

 どうしてこうやって私を抱き締めているの?

 

 わけがわからなかった。

 だけど、こんな所を誰かに見られたら大変だわ。婚約者様の耳にでも入ったら大事になる。

 それに私だって今は、修道院に身を置いている人間なのだ。しかもまだ見習い期間中だ。

 私はキシール様から離れようと必死に抵抗した。

 しかし藻掻こうとすればするほど、彼にきつく抱き締められた。

 

「リーフェ、やっと捕まえた。三年間ずっと探していた。

 もう絶対に離さない」

 

「止めて下さい。離して下さい。

 一体何なんですか!」

 

「リーフェ、リーフェ、僕のリーフェだ。間違いない。さっきの歌声は間違いなくリーフェだ。

 修道院から後をつけてきたんだ。その赤い髪が少し見えたから、もしやと思って……」

 

「はあ? それ、どういう意味ですか? 歌声を聞いてわかった? 姿形だけではわからなかったということですか?

 

 今の私は確かに修道女のかっこをしていますよ。でもまだ見習いのワンピース姿だし、髪もまだ長いです。

 三年前と顔形はそれほど変わっていないと思うのですが、何故すぐに私だとわからなかったのですか。

 

 顔も覚えていない女性を抱き締めるなんて、一体どういうつもりですか! 女なら誰でもいいんですか!

 まるで聖女様のように清らかなお顔は変わらないのに、いつそんなにふしだらな方になったんですか!

 

 まあ、私の従姉を愛人にして囲っておきながら、婚約者ができたらさっさとお捨てになる方ですから、きっと昔とは違うのでしょうね。

 

 でも、せっかく身綺麗にしたのに、修道女見習いに態々(わざわざ)手を出すのはお止め下さい!」

 

 せっかく綺麗な想い出として終わりにしようと思っていたのに、これはあんまりだ。

 キシール様がこんなにいやらしい男性になっていたなんて。しかも、私の顔も覚えていなかったなんて。

 

 しかしキシール様は一向に力を緩めずにこう言った。

 

「リーフェ、お願いだ。お願いだから僕の話を聞いて!

 誤解なんだよ。今も、三年前のことも」

 

「誤解? 何が誤解よ。

 三年前のフェスティバルの日、待ち合わせの場所で一時間もキシール様を待ったのよ。

 歌声コンテストの時間が迫ってきたから、もしやと思ってステージに向かったら、そこには既にキシール様が立ってたわ。

 しかも私の従姉のアリーアと一緒に。アリーアと歌いたかったのなら、何故私にも声をかけたの? 一緒にステージで歌おうだなんて!

 もし、アリーアがサーカス団から出られなかった時のために、私をスペアにしていたの?」

 

「違う。だから誤解なんだよ。

 待ち合わせの場所だと思っていた場所に僕が立っていたら、アリーアに声をかけられて、彼女を君と勘違いしたんだ。

 ステージで彼女と歌い始めた時、初めて君じゃないって気付いたんだ」

 

 私とアリーアを間違えたですって! 確かに姉妹なのかと勘違いされるほどよく似ていたとは思う。

 赤い髪も黒い瞳も顔つきも。しかし、私の顔立ちはもっと地味だ。

 

 確かに身長もほぼ同じくらいだ。しかし、あっちは空中ブランコの花形で、鍛えられた魅惑的な体型をしていたが、あの当時私は貧相な体型だった。

 十九歳になった今では、そこそこ女らしい体型になったと思うが。

 

 それなのに私達を間違えるか? 夜の暗闇の中ならその言い訳も通じるかも知れないけど、あの時は真っ昼間だったのよ。

 それにもし、それが本当だとしたら、そっちの方が酷いわ。私のことは冗談で誘ったのだと言ってもらった方がましだった。

 

 七歳の時に知り合ってから九年も経っていたのに、私とアーリアの区別がついていなかっただなんて。

 そりゃあ三年に一度、しかも三か月だけしかこの町に滞在していなかった。だけど、三年前の時には毎日のように会いに来てくれていたじゃない。

 

 それなのに私達の区別がつかなかっただなんて……

 結局私だけじゃなくて、アーリアのことだって何とも思っていなかったということよね?

 どうせサーカス団の娘なんて根無し草の流れ者だから、適当に遊んでやろうというつもりだったのね。

 

 なんて馬鹿だったの。こんな聖女様のような汚れなき見かけに騙されていたなんて! しかも二人揃って。

 アーリアはあの生き地獄のようなサーカス団の中で、唯一肉親の情(欠片だったが)を示してくれていたのに。

 

「最低ですね、キシール様。離して!」

 

 私は渾身の力でキシール様の腕を払おうとしたが、反対にギュウギュウ締め付けられて本気で苦しくなった。

 もしかして私を殺す気なの?

 そう私が本気で不安になった時、苦しそうにキシール様が言った。

 

「初めて君と逢った時から、僕はずっと君が好きだった。

 だから君にもっと早く伝えておけば良かったんだ。あんな失敗する前に。

 だけど嫌われるのが怖くて言い出せなかった。

 お願いだから逃げないで、僕の話を聞いて!」

 

 キシール様の声が本当に真剣で、しかも泣きそうだったので、私は体の力を抜いた。

 すると私をガードしていた彼の両腕の力も少しだけ緩まった。

 

「僕ね、普通の人とは少し違うんだ」

 

「確かに違いますよね。領主様のお子様で貴族だし、男なのに聖女様の様に綺麗だし」

 

「そんな表面的なことじゃないんだ。僕は、物の形が頭の中でイメージができないんだ。だから人の顔の判別がつかないんだよ。

 相手が身内ならば、性別や髪や瞳の色、声、そして喋り方で、すぐに判別できる。

 だけどいくら僕の親しい友人知人だとしても、彼らにもし容姿が似ている兄弟姉妹がいたとしたら、目の前で並んでくれないと、僕には彼らの区別がつかない。

 外で単独で会ったら、友人なのか彼の兄弟なのか、会話をしてみないとわからないんだ」

 

「えっ?」

 

「例えば絵を描けと命令されて、それが目の前の人物や景色なら人並みにスケッチはできる。 

 けれど、直に目で見えないと、たとえそれが過去にどんなに目にしていた対象物でも、絵に描くことができないんだ。その映像を思い浮かべることができないから。

 

 三年前、待ち合わせ場所は大通りのオシャレな街灯の前だと君に言われた時、僕にはその場所がイメージできなかった。もっと詳しく聞こうとしたら、君は人に呼ばれて行ってしまった。

 あの日僕は、君の言っていた街灯のある通りの、その反対側の街灯の前にいたらしい。だから近くにはいたけれど、人混みが凄くて君を見つけられなかった。

 そこへアリーアに声をかけられて、僕は彼女をリーフェだと思い込んでしまったんだ。

 

 そしてステージの上に立って彼女が歌い出した時、ようやくリーフェじゃないって気付いたんだ」

 

「そんな……」

 

 キシール様は見目麗しいだけではなく、才気煥発な方と評判だった。何の欠点もない完璧な人だと。

 だからこそ、その真逆にいる自分を可哀想に思って、同情心で面倒を見てくれているのだと思っていた。

 

 能無し、役立たず、出来損ない……そう呼ばれていた私に、いつも彼はこう言っていた。

 完璧な人間などいない。そして何の取り柄も無い人間もいないんだと。

 

『リーフェの歌声は優しくて、人の心の濁りを消してくれる。辛さを取り除いてくれる。本当に素晴らしいよ』

 

 そう言われた時に、キシール様も何か辛い思いをしているのだと、何故私は気付けなかったのかしら。

 

 

「途中で止めるわけにもいかず、歌を歌い終わった後、すぐにリーフェを探したけど、広場にも大通りにも、そしてサーカス団でも見つけられなかった。

 サーカス団は君を放って翌日次の町へと向かってしまった。その後何度も使いを出したが、結局君はサーカス団には戻らなかったよね。

 

 しばらくしてアーリアから手紙が届いた。リーフェはサーカス団でとても辛い思いをしていたから、恐らく戻ってこないと思う。別の所を探した方がいいって。

 

 そう言えば、サーカス団は君がいなくなって初めて、君のありがたみがわかったらしいよ。

 君がいないと全く片付かないし、食事の準備は遅いし、動物や魔物の世話をする者がいなくなったから、みんなもうてんてこまいだったらしいよ。

 なんでも魔物達が魔物使いの言うことをきかなくなったんだって。

 恐らく君の歌声が、魔物達をおとなしくさせていたんだろうね。

 結局君任せにしていた魔物使いや団員達は、ろくに面倒もみていなかったんだろうね。彼らに襲われては大怪我をしたそうだよ。

 

 リーフェの居場所が見つかったら教えて欲しいと頼まれたが、教えるつもりはなかったよ」

 

「アーリアはサーカス団を抜けたんじゃないんですか? キシール様の恋人になって一緒に暮らすために……」

 

「そんな訳がないだろう!

 僕が好きなのはリーフェなのに。まさかそこまで誤解されていたなんて!」

 

 キシール様は私から手を離して頭を抱え込んだ。

 

「だってアーリアが空中ブランコのショーに出なくなったと噂で聞いていたから、てっきりこの町で、キシール様と愛の巣を構えているのかと」

 

「止めてくれ……」

 

「半年くらい前からまた空中ブランコのショーに復帰したと聞いたから、てっきりキシール様が婚約したから捨てられて、サーカス団に戻ったのかと」

 

「本当に止めてくれ。君の中で僕はどんな冷酷非道な奴なんだ!

 そもそも僕は婚約なんてしていない。するわけがないだろう、君が好きなのに。

 婚約したのは一つ下の弟だ」

 

 キシール様は疲れ切ったように呟いた。

 

「でも、次期領主様が婚約したと聞きましたが」

 

「次期領主は弟だ。

 人の顔と名前を覚えられないようなやつが領主になんてなれないだろう。

 社交界に出る前は、従者が側でフォローしてくれていて大きな問題は起きなかったが、領主になればそうもいかない。

 大体僕は、人付き合いが苦手だ。できないわけじゃないが、無理するとストレスが溜まって体調を崩すことを家族も知っている。

 だから、子供の頃から後継者は弟に決まっていたんだ。

 僕は今、王城で文官をしている。

 弟が爵位を継承したら、僕は平民になる。婿入りする気もないしね」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「あっ、それともう一つ君は大きな誤解をしている。

 アリーアは君がいなくなった後、すぐに同じサーカス団のブランコ乗りと結婚したよ。

 あのコンテストに参加したのも、独身時代の最後の思い出作りのためだったらしい。

 暫くショーに出なかったのは、もちろんおめでただったからだよ。無事に女の子が生まれて、最近サーカスに復活したみたいだけどね」

 

 キシール様の話を聞いて、私はただただ絶句していた。アリーアに真剣に付き合っている恋人がいたなんて気付かなかった。

 

 何もかもが私の勘違い、思い違いだった。誤解して、自分勝手に悲劇のヒロインになっていたんだ。なんて馬鹿だったんだろう。

 とにかくキシール様に迷惑をかけたことを謝らなければならない。

 

「本当にごめんなさい。勝手に色々と誤解して、キシール様を悪人に仕立てて、自分は哀れなヒロインになっていました。

 恥ずかしくて地面に穴を掘って埋まってしまいたい気持ちです。

 しかしそれもままならないので、今すぐ修道院へ戻って懺悔し、一生キシール様のお幸せを天に祈り続けようと思います」

 

 両手を組んでキシール様を見ながら、私がこう謝罪すると、彼は深いため息をついた。

 

「君が悪いわけじゃない。誰だってあの日同じ目にあったら誤解するだろう。

 約束をした相手が別の者の手を取っていたら。もっと早く君に正直に話しておけば良かったんだ。

 だけど、君にがっかりされるのが怖かった。見掛け倒しの欠陥ばかりの男だと思われて嫌われるのが……」

 

「それを言うのでしたら、私だっていつも不安でした。

 だってそれこそ私は毎日周りから、役立たず、無能だと蔑まれていたんですから。

 でも、キシール様が欠点だけの人間なんていない、完璧な人もいない、そう教えて下さったから頑張れたんです。

 それに、私の歌声に癒やされるとおっしゃってもらえたから、私でも誰かの、いいえ、キシール様のお役に立てるのだと嬉しかったんです。

 たとえ顔を見ただけでは判別ができなくても、声を、歌声を聞けば私だとわかって下さるのでしょう? それならそれでもう十分です」

 

「ねぇ、リーフェ。

 歌声だけじゃないよ。君の香りや君の温もりを覚えたから、絶対にもう違う女性とは間違えたりしないよ」

 

 そう言うと、キシール様は再び私をギュッと抱き締めてから、私の額や頬や鼻先、そして唇に優しくキスを落としていきました。

 

「君が今、癒やしの聖女と呼ばれているのは知っているよ。歌声で人々を癒やしている修道女見習いがいるという噂を聞いて、すぐに君のことだと気付いたから。

 僕はこの場所で君とまた出合ってやり直したかった。だから休暇をとって、王都からこの町に戻って待っていたんだよ」

 

 これからも僕達は、一生二人でハーモニーを響かせていこう……

 きっとその歌声が僕達自身だけではなく、周りの人々の心と癒やしてくれるだろうから。

 

 緑の草原の中で、爽やかな風に吹かれながら、キシール様にそう囁かれて、私は大きく頷いたのでした。

 話はオリジナルで特定の国や時代や宗教はありません。モデルもいません。しかし、ヒーローの抱えている特徴【アファンタジア】は実存するものです。

 

 読んで下さってありがとうございました! 

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