春を売る女神
土染みた雪がうっすらと残る森の奥から、一人の女神がやってまいりました。
「春はいりませんか?」
コートのポケットに深く手を入れた老人は、嬉しそうに女神の問いかけにこたえます。
「ぜひとも。ずっと待っていたんですよ」
そう言うと、老人はコートを脱いで春の日差しの中を駆けてゆきました。
「春はいかがですか?」
杖をついたお婆さんに女神が話しかけました。
「やっとかね。腰が冷えて冷えて痛くてねぇ」
お婆さんは喜んで、春の息吹をかごいっぱいにして帰って行きました。
「春はどうですか?」
女神は小さな男の子に話しかけました。
「いらないよ! だって、ウチのお婆ちゃん、春までもたないってお医者さん言ってたもん!! 春が来たら婆ちゃん死んじゃうからいらない!!」
女神は驚きました。
今まで喜ばれた事はあれど、怒られたり悲しまれたりすることなんか、一度たりとも無かったからです。
「ごめんなさい」
女神は謝り、とぼとぼと帰って行きました。
それからしばらくして、春がやって来ました。
村の雪は溶けましたが、男の子の家の周りには、雪が残ったままです。
「坊や、春はまだかね……わしゃあ、もう、疲れたよ」
布団に寝転んだ老婆が弱々しく話しかけると、男の子は障子を開けて外の景色を見せました。
「婆ちゃん、まだ雪がこんなにあるよ。まだ冬だよ」
「そうかえ、そうかえ」
遠くからその姿を見た女神は、とても困りました。
しかしいつまでも男の子の家の周りだけを冬のままには出来ません。
冬の女神が眠ってしまう前に、仕事を引き継がなくてはならないからです。
そしてついに、男の子の家の周りにあった雪は、全て溶けて、春の草花たちが芽を出し始めました。
「どうして春にしたんだ! お婆ちゃんが死んじゃったじゃないか!!」
ドンドンと、女神を叩く男の子に、かける言葉が見付かりませんでした。
それでも季節は巡り、男の子は春がやってくる度に少し寂しい顔をするのでした。