5.お披露目ティーパーティーの顛末は
――いい天気だ。
空を見上げれば晴れている。白い雲に青い空。
そして私は、無理難題に頭を悩ませている。
私は今、王太子宮のティーサロンでなぜかお茶会を主催している。
時をさかのぼって三日前。
私は正式にミレーネ侯爵の養女となり、さっそく侯爵夫妻と顔を合わせた。侯爵夫妻には男の子が二人いて、二人とも出仕しているという。娘がいなかった自分たちにこんな縁ができるなんて、と喜んでいたような、そうでもなさそうな。
そんな中で、ハリーは始終ご機嫌だった。
「ミレーネ侯爵令嬢として、デビューの場を設けないとね。早速お茶会を開かないと」
そう宣ったのは、私の“婚約者”ハリーもといフリードリヒ殿下だ。
「そうそう。ナスカがこれからもお付き合いしていくのにふさわしいご令嬢方に声をかけなければならないね。人選は僕の方で考えよう。
あ、ミレーネ侯爵夫人、ナスカにティーパーティーの作法を教えてやってくれ。社交はまだまだだからね」
ハリーは人の意見なんて聞きもしないで、それだけ言うと、
「じゃ、ナスカ。頑張って」
と、王子様そのもののスマイルで言うと、「あ。公務の時間だ」と帰っていった。
逃げやがった……。
で、
……。
…………。
………………。
どうしろっちゅうのよー!!
翌日には主だったご令嬢方に招待状が配られて、それが王太子宮主催で、王太子と縁をつなげたい女性たちはこぞって参加の意思を示したという。
……ハリーの自称婚約者が主催なんですけど、いいんですか?
「お招きありがとうございます、ミレーネ侯爵令嬢」
にっこりと微笑んでいるのは、アメリア公爵令嬢だった。相変わらず、真っ赤なドレスがお似合いのゴージャスな美人だった。
「あの、今日は楽しんでください」
ペコリと頭を下げると、後ろからぷっと吹き出す声が聞こえた。振り返ると、みんな顔を逸らして扇で口元を抑えていた。
「カーテシーもお出来にならないのね」
どこからともなく、そんな声が聞こえて、ひそひそと笑いあう声が聞こえてきた。
「それに、ご覧になった? お茶のサーブにも手が震えるようではね」
「仕方ありませんわよ。それに、あのお手。あんなにガサガサで、お手入れなど、されたこともないのでしょう? やはり、ねえ……」
扇で口元を隠しながら、聞こえるか聞こえないかの絶妙な音量で、バシバシ悪口を言われている。
うん。聞こえてるよ。
しかも名前も出さず、ちらちらと嫌味な視線が飛んでくる。
で、ご令嬢方が集まるのはアメリア公爵令嬢の方で、どこの馬の骨ともわからない私は、すっかり温室のツタのような存在になっていた。
「アメリア様、でも、正式に婚約破棄をされたわけではないのでしょう?」
「ええ。でも、殿下はわたくしをお望みになってはおりませんわ。陛下から宣下の取り消しを受けるのも仕方ないことなのかもしれませんね」
ほうっとため息交じりに目を伏せるアメリア嬢の憂い顔が、とても美しかった。
「何をおっしゃいますの? 殿下は今、少しお疲れなのですよ。王太子に即位し、あと二年で国王におなりです。公務もお忙しくて、つい、珍しい花を手折ろうとしてしまっただけではございませんか?」
ちらりとこちらを見て、ピンク色のドレスのこれまた可愛らしいご令嬢が眉根をしかめる。
「皆様、およしになって。あの方も、あれでも一生懸命努力されているのではなくて? それを笑っては失礼よ」
困ったような口調で、唯一庇う声が聞こえてきた。綺麗な人は綺麗な声で、よどみなく皆様、おやめになってなんて、言っている。
いえ、私はここのツタです。どうぞ、お気になさらず。
そんな思いを込めて、素知らぬ顔をしてお代わりのお茶の準備をしていた。
「あの……」
そんな中で控えめに声をかけてきたのは、金色の髪にストロベリー色の瞳をしたご令嬢だった。
「この、レモンを浮かべた紅茶の茶葉がとても美味しいですね」
ご令嬢が微笑む。その笑顔が可愛かったので、私も思わず微笑み返した。
「ありがとうございます。私のいた村では、この『ボイヤック』という種類のお茶にレモンを浮かべて飲むのが当たり前だったのです。美味しいので、ぜひ皆様にと思ったのですが……」
王都ではレモンをお茶に浮かべて飲む風習がないらしく、誰も手を付けていなかった。
「ミレーネ侯領はよいお茶が取れるのですね。うちの領地ではワインが名産で、お茶には詳しくないので、美味しいお茶がいただけて、嬉しいですわ」
ほわっと微笑む顔がとても可愛らしくて、私も嬉しくなった。
「あら、ブランケル伯の……。およしなさいな。そのような方とお話しなさるの。
――先ほどから、こちらの方から何やら匂いがいたしますわよ」
ほわんとしたご令嬢に話しかけたのは、さっきまでアメリア嬢と話していたピンク色のドレスを着たご令嬢だった。
「ドレスも、なんだかくすんだ色ではございません? まあ平民出身の身分では身を整えるのも一苦労だとは思いますけれど、これが、王太子殿下の――とは、やはり考えられませんものねぇ」
ちらりと私を見ると、眉をしかめて鼻をつまんで見せる。
え? 臭い? 思わず自分の肘に内側を嗅いでしまった。いや、臭くないけど……。
そのしぐさに、ぎょっとしたように令嬢方が私を見た。それからどっと笑い声が起きた。
「ミレーネ候も気がふれたのではなくて? このような――」
そんな言葉が聞こえてきた。
わかってる。言いたいことなんて。ミレーネ候もよくこんな子を養女に迎えようと思ったわね。そう続けたいんでしょう。
――わかってる。自分がここに不釣り合いな存在なことも。貴族なんて名乗るのもおこがましいことも。
だけど――!
気がついたら、ツカツカとピンク色のドレスのご令嬢の前に進み出て、思いっきり頬をぶっ叩いていた。
パチンという肌を叩く音。
落ちた扇の音。
しんとした音の後に悲鳴が上がった。
悲鳴を上げたのは、叩かれた令嬢ではなく、その周囲の人だった。
叩かれた令嬢は何が起きたのかわからないような顔をして、目を丸くさせて、叩かれた方に向けていた顔をゆっくりと戻し、私を見据えた。
その眼には憎悪が映っている。
「何を、何をなさるの!!」
激高した彼女は、私につかみかかろうとする勢いだった。
「何を!? あなたが先に悪口を言ったんじゃないの!
私のことだけなら構わないけど、ミレーネ侯爵夫妻は、とてもいい方なのに。私を養女に迎えたからって、罵られていい方々ではないのに!
それに、これは――このドレスは――!!」
私に向かってくる彼女の三倍は怒りを持った私は、まっすぐに彼女を見据えたままそう怒鳴りつけた。
向かってきたら、もう一発叩いてやる! そんな勢いだった。
「これはこれは、花のようなご令嬢方。楽しんでおられるか?」
私たちがどうなるのか、固唾を飲み込んで見守っているご令嬢方でしんと静まり返っているサロンの扉が不意に開かれて、全然不似合いなのんびりした声が聞こえてきた。
カツカツと靴の音が響いて、後ろに続いていた従僕たちがひざまずく。
声とともに姿を現したのは、ハリーだった。
ハリーはまっすぐに私のもとに来ると、私の手を取ると左手の甲に口づけを落とす。
「うん。やっぱりこのドレスを選んで正解だったね。ナスカ、温室の外を見てごらん」
ハリーの指の先には、バラ園が広がっていて、クリーム色のバラが満開だった。
「ここの庭園のバラは、王妃陛下のお気に入りのバラ園なんだ」
ハリーはそういうと微笑んだ。
その言葉に、ご令嬢方は目を丸くして顔を見合わせていた。
「ああ、そういうことですのね」
ハリーの言葉に答えたのは、さっきのホワンとしたご令嬢だった。言ってから慌てて口を噤み、扇を口元に当てた。
そのしぐさに、ハリーが笑う。
「気楽にして構わないよ、レディ・セシリア」
ハリーがご令嬢の名前を憶えていたことに、周囲が色めき立つ。
「恐れながら殿下。ナスカ嬢のご衣裳は、若草色のジャガード生地にボールネ公領の名産品であるホルネ織のレースを幾重にも重ねられたドレスでございます。
――まさに、あのバラのような」
すっとセシリア嬢が指さしたバラ園のバラと確かに同じ色合いだった。
ハリーは満足そうにセシリア嬢に向かって頷いた。
「ご名答。君は、各地方の名産品に詳しいようだね」
それからサロンにいるご令嬢方を一人一人見る。
「お茶会を楽しんでくれているかな? ナスカはまだまだこの王宮に慣れていない。無作法なこともあると思う。だけど、ここに集まるご令嬢方は立派な教育を受けたレディ方だ。是非、ナスカに力を貸していただけることを期待しているよ」
ハリーはそういうと、私の額に口づけをする。
ちょ、公衆の面前で何をするですか!
「アメリア嬢。君は私の婚約者として、今までよくやってくれた。これからは、ナスカを盛り立ててくれるように、その力を貸していただけるとありがたい」
そういうと、控えていたグリードの目配せをした。
控えていたグリードは立ち上がる。
「フリードリヒ殿下。以前も申し上げました通り、まだ陛下はわたくしを婚約者にと望まれております。その証に、婚約を解消するという宣下はなされていませんわ。ですから、そこの平民を婚約者に据えるということは、無理がございます」
眉をひそめてそういうアメリア嬢の表情は必死で、もしかしたら――と思った。
アメリア嬢は本当にハリーのことが好きなの?
思わずハリーの服の裾を引っ張っていた。
ハリーは思わず掴んでしまった私の手を見ると、優しく微笑む。
それからすぐにアメリア嬢の顔を見つめて、その綺麗な顔で誰もがうっとりするような笑顔を作った。
「アメリア嬢、あなたと婚約をしたことは、本当に光栄なことだ。完璧な淑女、当代一の血筋、容姿、教養、どれをとっても優れたアメリア。ボールネ公にも感謝の念は絶えないよ。だけどね、私が就く王という地位を支えるのは、あなたの知識だけではない。あなたの父君の御威光だけではない。それは、私が王という地位につけばおのずとついてくるものだ。私が王妃となる人の間に築きたいものは、信頼なのだよ」
「わたくしでは信頼できないということですの?」
「いや、ナスカに出会わなければ、あなたを王妃として大事にしただろう」
「ならば、なぜ!」
ハリーはその言葉には答えなかった。寂しそうにアメリア嬢を見て少しだけ微笑んでいた。
誰もいなくなったティーサロンに一人、佇んでいた。
ウエルカムティーはミレーネ領で取れる最高級の『セリラン』という種類のお茶。色とりどりのお菓子を厨房にお願いした。ガビオラ夫人に教えられたとおり、季節のお茶をはじめとして、ストレートティー向けのもの、ミルクティー向けのもの、フレーバーティー向けのものと種類をいくつかそろえたし、テーブルクロスは清潔感が溢れる白。甘いものだけではなく、サンドイッチも用意してもらったし。
うん、うん。上出来。
あの時は、そう思っていたのにな。
お披露目のティーパーティーは散々だった。
何を言われても我慢するつもりだったのに。
それはもう、ガビオラ夫人からもさんざん言われていた。「淑女たるもの、何があっても優雅な微笑みを絶やしてはいけません」って。
ピンク色のドレスのご令嬢、伯爵家のご令嬢だそうだ。アメリア嬢と一番仲のいいご令嬢。その方の頬を叩いたと言ったら、ガビオラ夫人が卒倒した。
こんなんで、本当に私が婚約者でいいのだろうか。
ハリーの気が知れない。当の私が知れないんだから、周りの人たちはもっとだろう。
「ナスカ! ここにいたの?」
やってきたのはハリーだった。
後ろに控えているグリードが笑いを堪えている。
「ちょっと、グリード?」
「ごめん、ごめん。ナスカの顔を見たら、さっきのご令嬢が真っ赤になって怒りを堪えている姿とか、肩で息しているナスカの姿とか、思い出しちゃって。ご令嬢の澄ましてないときの姿って、僕らあまり見たことないからさあ」
グリードはたまらなくなったように吹き出した。
「ハリー、ごめんなさい。やっぱり私には無理なのよ」
ハリーが私のために贈ってくれたドレスも、宝石も不釣り合いだ。グローブで隠しても、あかぎれの手はガサガサだし、節の太くなった指は他の令嬢よりも日焼けして色も黒い。
みんな、綺麗だった。
ひらひら花みたいに綺麗なドレスに、色とりどりの宝石。真っ白い肌によく映えて、こんなに煌びやかな人たちが存在するんだなあってしみじみした。
でも……。
「なぜ?」
ハリーが私の手を取る。
「なぜって、ご令嬢の頬を叩いたのよ。罰せられても仕方ないわ」
肩を小さく丸めて、項垂れる。呆れられても仕方ない。
ハリーは優しく私を見ると、頭を撫でた。
「君は、ミレーネ侯爵令嬢だ。君が頬を叩いたのは伯爵家のご令嬢。身分の上ではミレーネ候の方が上だ。その侯爵家のご令嬢に無礼な発言をしたんだ。君が責められる謂れはない。むしろ、罰せられるのは彼女の方だ」
ハリーの言葉に、目を丸くする。
「君の出身が平民だったとしても、公の席では君は“ナスカ・ド・ワイヤック・ミレーネ侯爵令嬢”だ。それを面と向かって侮辱するなんて、それはワイヤック家を侮辱しているということだ。侯爵家を敵に回すということなんだよ」
「それに、ナスカ、君が怒ったのは、ミレーネ候が侮辱されたからだろう? それに、僕が贈ったそのドレス――」
そういうことだろう?
と、優しくハリーが微笑む。
「私、ハリーがくれたこのドレス、とても嬉しかったの。ハリーが私のためにって考えてくれたんでしょう? その気持ちが嬉しくて。
私、贈り物なんて初めてだったから……。
だから、このドレスを馬鹿にされたのが、悔しかったの。ハリーの気持ちも全部馬鹿にされたみたいで……」
泣き出しそうな私に、ハリーはもう一度頭を撫でた。
「そういうところが、大好きだよ」
ハリーがそういうと、後ろでグリードが咳をした。
「二人が愛を育むのは結構だ。だけどね、実際問題、アメリア嬢との婚約は確かに解消されていない。王も王妃もまだ棚に上げたままだ。
それを、どうするんだ? 二人とも」
グリードに言われて、ハリーが唸る。
「そうなんだよなあ。
でも、四の五の言ってられないしなあ。まあ、ナスカがアメリア嬢に劣らない令嬢だということが分かればいいんだろう? 誰もが納得するような」
ハリーとグリードは二人で、二人で納得しあっている。そして、二人同時に私を見た。
「ナスカ――」
先に声を上げたのはハリーだった。
「確かに、今日のお茶会の様子を見ると、お妃教育が順調とはまだまだ言えないようだね。ということで――」
にっこりと、ハリーが笑う。
「ボールネ公爵家に、行こうか?」
――はい?
「大丈夫だよ、ナスカ。僕も一緒に行くから」
何が大丈夫かよくわからないけど、グリードがそう付け加えた。
ん? ん?
――はい?
二人は私を見ると、同時に笑顔を作って見せた。
嫌な予感しかない。