美女で魔獣
「ついに追い詰めたぞ、もののけめ」
男が言うと、背の高い葦がガサガサ鳴った。その向こうには、黒鉄の獣毛に覆われた、なんとも形容しがたく異様なかたまりがいる。かたまりは男を振り向くと、シダのような尾を震わせた。
「見逃してくれろ。我氏は強くない。貴様は強い」
「ああ、この弓で仕留められなかった獣はおらん。命があるならば、もののけであっても同じこと」
「見逃してくれろ。我氏は悪いもののけではない。ヒトに憑いたり、便所にいたずらなんぞせん」
「その不気味な姿で里をうろつくことが罪なのだ」
男の言うことは、事実であった。里の者は男の前に大金を積み、若武者さま、どうかあのもののけを狩ってくれと依頼した。しかしなんの悪さをしたのかと問えば、彼らはみな一様に首を傾げた。
なんもされとらん、しかし見た目が気味悪く、あんじょう眠れんから殺してくれと。
そのまま伝えた男に、もののけは怒りも、嘆きもしなかった。
ただのそりと頭をもたげると、
「……では、この姿であれば?」
そう言って、緑色の煙を吐き出した。
男が二度瞬きをし、目を剥いたとき。もののけのいたその場には、妖艶な美女が立っていた。
男は怯んだ。その姿があまりに美しく、好ましいものであったからだ。もののけであった美女は身をくねらせ、若武者の胸にしなだれかかった。
「ニンゲンよ、貴様はなるほど逞しい。どうか我氏を助けておくれ。さすればこの身を貴様にくれてやろう」
甘い香りに勇者は蕩けた。惑わされたのでは無く、自らの意思で女の手を取り、その唇を咥えようと身を乗り出した。
その瞬間――
ぽん、と音を立て、美女はもとのかたまり姿に戻ってしまった。
男は目を点にして、眉を跳ね上げ、元美女のもののけに詰め寄った。
「おい! なんでまた醜いもののけに戻ってしまったんだ」
「ごめん。我氏、変化の術、実はあんまりうまくない」
「な、なに? 俺はおまえの願いを聞いて、里を捨てる覚悟を固めていたんだぞ」
「……えっそうなの? じゃあがんばる。えいっ」
「おおやはり、なんと美しい――」
「ふうっ」
「戻るのはやい! 早いっ!」
「だってしんどい。疲れる。これが我氏の限界……」
「待て待て、先ほどおまえ、この身を俺にくれてやると言ったではないか。それでどうやって俺を喜ばせるつもりだったんだ」
「抱きしめて、チューするくらいはできよう?」
「清純派か! 世捨て人となるのに全く釣り合ってないだろうがっ!」
「……でも苦手な物は苦手。むかしから我氏、もののけ学園ではおちこぼれだった」
「なんだもののけ学園て。ははあ分かったぞ、術が続かない理由は、おまえがただおちこぼれだからだな。なら、練習すれば長く化けていられるようになるのだな」
「う……うんそう。貴様が我氏のものになるなら、我氏がんばろうと思う」
「ああ、がんばってくれ。……ところでさっきからずっと気になってたんだが、その一人称、ワレシってなんだ。もののけのくせに妙なところで個性を出してくるな」
「ニンゲン、これからどうする? うちくる?」
「ノリが軽いな。そうだな、世話になろう。しかしおまえさんと同じ飯じゃないだろうな」
「そのとおりだが?」
「もののけってのは何を食う。まさか人肉とか言うんじゃないぞ」
「主にはコケ」
「わりと平和だな」
「たまに熊とか」
「献立の幅が広い。まあいい、飯くらいは自分で獲れるし。……寝床は?」
「あのへん」
「岩肌そのままじゃないか。ニンゲンはもののけと違い、布団か、せめて木の床でなければ体を休められんのだよ」
「そうなのか。でも我氏いつもそのまま寝る。我氏、毛深いから平気……ごめん……」
「……いや、無いものは仕方ない。ほかなんでも、柔らかくてとあたたかいものだったら良いんだし」
「やわらか、あったか……我氏の胃」
「眠れるかっ! ていうかおまえ、やっぱり人食いなのか?」
「食わぬよ。食おうと思えば食えるが不味いもの」
「反応しがたいことを言うなあ」
「はらわた取り出して綺麗に洗って、じっくり炭火で炙れば食えるがな」
「もののけって、わりと手間暇かけた調理をするのだな。まあ、いい。俺を取って食おうとしたら返り討ちにするだけだ」
「……ニンゲン、もしかして我氏と暮らすの、わりかし前向き?」
「……ああ。……まあ。実を言うとな……おまえさんに、俺ぁ一目惚れしちまったんだよ……」
「えっ……ほんと? あ、あたしなんかでいいの?」
「急に可愛い感じになったな」
「ほんとうにあたしでいいの? ずぼらだし、目玉もこんなにたくさんあるし」
「もののけの姿じゃないっ! さっきの美女姿に決まってるだろうがっ!」
「あああれか。先週、炙って食ったどこかの姫だ」
「はっはっは、こうなったらもう毒を食らわば皿までよ。絶対に、やることやるまではともにいよう。もののけよ、俺は一度里に戻る。藁を集めて寝床を作るから」
「えっ……そんないきなり。ニンゲンはいやらしい」
「だからもののけの姿は無理だって。おまえまだ、一晩中化けてはいられないのだろう」
「うん。しかし寄り添い抱きしめて、チューするくらいのことはできようぞ」
「…………」
「…………するか?」
「……する」
男は、女の細い腰を抱き寄せて、頬を擦り、顎を持ち上げた。
桜桃のように愛らしい、唇を咥え、ちうと音を立てる。
次の瞬間、女はまたもののけの姿に戻ったが、男は満足で、幸福であった。
全身を覆う獣毛を桃色に染めたもののけは、ほうと息を吐き、百と八つの目を閉じた。
「……そうか。ニンゲンの口とは、そこであったか」
「おまえの口はどこだったんだ」
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