07 喪失感を纏って、夜の街を歩く
外はすっかりと暗くなっていた。風がふいていないこともあってか、非常に蒸し暑い。
どれくらい歩いたのだろう。特に目的地も設定せず、足の向くままに進んでいたが、気付くと周囲には人の気配がしなくなっていた。大通りに面した『月亭』から、大分遠くまで来てしまったようだ。
四方には倉庫らしき建物が並んでいる。居宅が存在しないためか、街灯もまばらだ。
エトナに、すぐに帰ると告げた手前、これ以上繁華街から離れるのはまずい。俺は身を翻して、辿ってきた道と正対した。
ふと、漆黒の空に浮かぶ黄色い円が目に入った。
「綺麗な満月だな・・・・」
それを掴みとるかのように、右手を広げてかざす。『探究の刻印』が瞳に写った。
マーゴットよ。お前は一体何を思って、俺から剣の道を取り上げたんだ? 『剣士』になることを勧めたのはお前だったはずなのに・・・・
一度死の淵を彷徨ったせいか、単純に時間が経ったからか、不思議と苛立ちは消え失せていた。
代わりに胸を満たすのは、ぽっかりと穴が開いてしまったような『喪失感』。
英雄級の冒険者となれる可能性が、一瞬にして閉ざされてしまったことに対する『絶望感』。
未練がないかと問われれば、首を縦には振れない。悲しくないのか、悔しくないのかと問われれば、号泣したいくらいにつらい。
だが、まぁ、こうして一人になって冷静に考えてみれば、ある程度の諦めはついた。なに、どれだけ不条理な展開が襲ってこようとも、社畜をこじらせていた前世よりはましだ。あの時は、こうやって自分のために時間を使う余裕さえなかったのだから。
――――と、考えるとずいぶん楽になった。
それに、未来の選択肢が一つ潰れただけで、決して冒険者ができなくなったわけではない。エトナが言うように、『剣士』以外の道だって存在するのだ。
「よし。切り替えるか」
持ち上げていた右腕を胸の前に下ろし、ぎゅっと力強く拳を握る。完全ではないが、気持ちの整理もついた。また心配させると悪いので、そろそろ仲間の元へ帰るとするか・・・・
と、その時だった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
静寂を突き破るような悲鳴が轟いた。音源は、かなり近い。それにこの声には、覚えがあった。
「ラビ!?」
俺は、音のした方向へ駆け出した。
いくつかの建造物を通り過ぎ、暗闇に閉ざされた狭い路地裏に辿り着く。漆黒が支配する空間を数メートル奥にいったところ、こちらに背を向ける格好でラビが立ち尽くしていた。
彼女が左手に持つランタンの灯が揺れるのに合わせて、壁に映し出されたシルエットが不気味に踊る。
「お前、どうしてこんな所に?」
呼びかけてみたが、返事はない。俺は、ぼりぼりと頭を掻いて、建物同士の隙間に足を踏み入れた。
ぴちょりと、靴の裏から水気を感じる。
あれ? 雨なんか降ってたっけ?
水たまりを踏んでしまったかのような感触に、違和感を覚えるが、構わず歩み寄る。そして、「おい、こんなところで何をしてるんだ?」と、背後から肩を叩いた。
すると、「ぎゃあああああああ! ごめんなさい! ごめんなさい! ラビは何も見てないっす! 何もしてないっす!」
「だぁぁっ! うるさいな! 俺だよ、俺! そんなに驚くなよ」
さすがは兎人族というべきか、垂直方向に二メートル近く飛び跳ねて、大声をあげるラビ。鼓膜が破れてしまいそうな大絶叫に、咄嗟に耳を塞ぐ。
「あ、姉御!? 良かったぁ」
「お前、治療師を送りに行ってたんじゃないのかよ?」
「は、はい。そうなんすけど、送り届けた帰り道にふらふらと出歩く姉御を見かけて、後をつけてきたんすよ。で、ちょっと驚かしてやろうと、物陰に身を潜めたんすけど・・・・」
「お前、後で叱られることが分かりきっていて、よくそんなことしようと思ったな・・・・」
なぜか青ざめた面持ちのラビを、ぎろりと睨みつけた。しかし、そんな俺のことなど意にも介さず、「姉御ぉ!」と、勢いよくしがみついてくる。
「おっと。いきなり飛びついたら危ないだろ!」
軽く体勢を崩すが、すぐに立て直し、ラビの華奢な体躯を両腕で抱きかかえるようにして支える。ひどく怯えているようだった。
「どうかしたのか? お化けでも出たか?」
冗談半分で尋ねてみると、彼女は路地裏のさらに奥の方を指さした。ランタンの明かりが、かすかに届くぎりぎりのライン。そこに、何かがいた。
「ん? あれは・・・・」
目を細めて、その深淵を凝視する。そして、その正体に気付いた時、俺は驚きで声が詰まった。
「っ!?」
路地の最奥に積み上げられた廃棄物の山、それに背を預けるような恰好で座り込む人影。
特筆すべきは、首から下の右半身だった。そこにある筈の胴体が無かったのだ。抉り取られているという表現が正しいのかもしれない。
強力な魔法によるものか。切断面からは、どくどくと、とめどなく体液が漏出していた。
そこで、俺の足元を濡らすものが、血液であることを悟った。立ち込める死の匂いにあてられて、胃酸が逆流してくる。左手で、口元を抑えて、半歩後方に退いた。
「人か!? なんて惨い・・・・」
血が乾いていないということは、そう古い事案ではないのだろう。俺は、万が一の事態に備え、姿勢を低くして、辺りを警戒した。
ラビは、首を忙しく横に振りながら、俺の服の裾をぐいぐいと引っ張る。そして、震える声で告げた。
「いや、人じゃなくて、『魔王』っす」
「は?」
すると、死んでいるとばかり思っていた人影の首が持ち上がり、こちらを見据えた。そして、にやっと不気味に笑う。
「くくく。『第七界大魔王』、不倒の『覇者』メルダスとは、わしのことよ。ふむ、良い『絶望』だ。『魔王』の称号を冠する素質があるな。お主、わしの代わりに『魔王』を継ぐ気はないか? ごほっ」
息も絶え絶えに言葉を紡ぎ、最後に大量の吐血をするメルダス。その首筋に赤く浮かび上がる、ねじれ角の紋章は、確かに魔を統べる者の証『魔王の刻印』だった。
やっとで、ここまで来ました!
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