14 始まる物語
「おっそいわねぇ! 待ちくたびれたじゃない!」
「無事で、良かったです」
気が付くと、膝丈くらいの草が生い茂る草原の中に立っていた。背後には、十メートル以上あるだろう、巨大な石の壁が佇んでいる。
どうやら、エイベルの述べた通り、街の外に辿り着いたようであった。
「すみません、久しぶりに通ったもので、時間がかかりました」
自分たちの仕事を終えた後、ここでエイベルの到着を待っていたのだろう。メアリーとドロシーの姿もあった。
そして、三人が並んでこちらに正対する。
俺達も、同じように肩を並べた。ドロシーは、目の前に立つエトナを見て少し怯えているようであった。こんな幼い少女にトラウマを与えてしまうとは・・・・
俺は、自分の監督不届きを猛省した。
辺りはまだ暗い。太陽が昇るまでまだ時間がありそうだ。夜空に浮かぶ満月と、数多の星々が放つ光が草木の表面に照り、ほのかに灯を宿していた。
「本当に良かったのか? せっかく『英雄』になれる機会だったかもしれないのに」
「はい。確かに僕は、逸早くあの方の役に立てるほどの力を手に入れたいと思ってはいますが、自分の信念を曲げてまで強くなるつもりなどありません。まぁ、少し惜しい気持ちもなくはないのですが、ここで貴方の首をとれば、きっと僕は『勇者』として、大切なものを失くしてしまう気がするのです。だから、後悔はしていません」
「そうか、なら良かったよ」
「そういえば、まだ正式に自己紹介をしていませんでしたね」
「ん? そうだったか?」
「貴方は、そちらの兎人族の方の鑑定で、僕たちのことを知ったようですが、僕はまだ貴方たちのことを知りません」
「あ、言われてみれば・・・・」
「では、改めて、僕はエイベル・カーティス。そしてこちらが、メアリー・エースと、ドロシー・グルーバー。二人とも、僕のかけがえのない仲間です」
「俺は、シャーロット・レッドメイン。で、こっちが、エトナ・オズボーンと、ラビ。二人とも世話の焼ける問題児だが、お前の仲間に負けないくらいに大切な存在だ」
「お嬢様・・・・」
「姉御・・・・」
背後で、二人の感嘆の声があがる。
「お互いに、良い仲間を持っているようですね」
「そうだな」
そして、エイベルが右腕の籠手を外してから、こちらに手を差し伸べた。
「この出会いを祝して」
俺も、それに応じる。
「あぁ、この出会いを祝して」
がっちりと組まれる『勇者』と『魔王』の右手。いや、違う。これは、二人の『冒険者』の右手だ。
互いの瞳をしっかりと見つめ、にっと笑みを浮かべる。
「次会う時は、きっと刃を交えることになるでしょう」
「その時は、どういう結果になっても恨みっこなしだな」
「はい」
「あ、最後に一つ聞いても良いか?」
「はい? 何でしょう?」
「お前が、ちょくちょく言っていた『あの方』っていうのは、誰のことなんだ?」
「あぁ、それなら、きっと貴方も御存じだと思いますよ。私に『冒険者』としての信念を教えてくれた素晴らしい御方です」
「へぇ、それは、どこかで会ってみたいものだな」
「はい、是非。その方の名は、『覇王』シグっ!?」
――――ぐしゃっ
風が俺の前髪を揺らした。
直後、俺の視界を『何か』が遮断した。と、同時に耳に届く不快な音。
ばしゃっと、体の前面に多量の水しぶきがかかるのを感じた。それが、妙に生暖かく、鉄臭い。
「え?」
驚愕で思考が停止した。周囲の皆も声を失っている。
自然と心臓が跳ね回り、全身が小刻みに震えだす。ぽた、ぽたっと、俺の前髪の先端から雫が垂れ落ちた。闇の中を落下するその液体は赤黒い。
思わず、数歩後ろに後退する。ぱしゃぱしゃと、それに合わせて音がした。
騒がしく鳴いていた虫はおろか、風でさえも息を潜める完全なる静寂。俺の心音と、荒い息遣いだけが耳に残った。
眼前に落下した『何か』を、改めて確認する。それは、純白の柱。形は直方体で、星の光を浴びて、薄く発光しているようであった。
その根元は飛び散った紅で染まっている。
そして、手元に視線を落とした。
「あ、あ、あ・・・・」
上手く声が出ない。何が何だか分からなかった。
しっかりと握られたエイベルの右手。その手首より先が、無かったのだ。
「うっ!」
俺は、込み上げてくる吐き気を我慢できず、両膝から崩れ落ちた。そして、ばしゃばしゃと胃の内容物をぶちまける。
地面に広がる血と、吐瀉物が混ざり合う。
ちょっと待ってくれ。嘘だろ? 何が起きた? まさか、そんな。
エイベルが、死んだ? 突然出現した白い柱に押しつぶされて・・・・
何で? 俺のせいか? 誰がやったんだ?
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」
一呼吸遅れて、メアリーたちの悲鳴がこだました。顔を上げると、二人して謎の柱を押し倒そうとしている様子が目に入った。
「待て! 俺が蘇生する」
胃酸で痛む喉。俺は、震える足を殴りつけて立ち上がると、脱獄の際に保管庫から取り戻したポーチに手を突っ込んだ。一本とか二本とか、数える余裕などない。手にとった数本の蘇生薬を、蓋も明けずにエイベルが居た空間に投げつけた。
これで、エイベルは蘇る。その後は、この状況を作り出した原因を探り、対策を練るのだ。
――――しかし、幾ら待っても、蘇生薬がその効果を発揮することはなかった。
「な、んで?」
俺は、さらにもう一本、蘇生薬を取り出し、今度はきちんと蓋を空けて使用した。
――――が、またしても反応はない。
「どうして? どうして発動しないんだ!!」
さらに、もう一本。
――――やはり駄目だ。
さらに、もう一本。
――――駄目だ。
それを繰り返している内に、ついにポーチが空になった。
絶望が、脳内を支配した。
エイベルが、死んだ。確かに、死んだのだ。あの一瞬で。
「うわぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁ!!」
メアリーたちが泣き叫び、エイベルを殺害した柱を半狂乱で殴りつける。その拳は潰れて真っ赤になっていた。
俺は、自分の非力を呪った。目の前で恩人を見殺しにしてしまったのだ。こんな情けないことはない。こんな惨めなことはない。
――――すると。
「諦めなよぉ。彼の魂ごと押し潰したんだ。もう蘇ることはないよ」
遥か頭上から、心の奥を見透かされるような、そんな不気味な声がした。
咄嗟にその方向を見上げる。
エイベルを葬った柱の最上部、そこに声の主が立っていた。
純白の鎧とマントに身を包み、背中には巨大な弓を携えている。一目見た瞬間に、『こいつは化物だ』と、頭の中で警笛が鳴り響いた。それほどまでに、禍々しい圧力を放っていたのだ。
「そんな・・・・」
俺と同じように、頭上を見上げたラビが恐怖で顔を歪めていた。
「何で、こんなところにいるんすか? 『覇王』シグルス・ゴールドバーグ!!」
ラビの放ったその言葉に俺は愕然とした。
『覇王』
それは、『大英雄』や『大魔王』さえも超える称号である『覇者』のさらに上に位置する、正真正銘の最強の証。現在、その称号を持つ者は、世界に一人だけしかいないとされている筈だが・・・・
そこに居るのが、その一人だとでもいうのか。
全身を強烈な脱力感が襲う。あまりにも強大な死の予感に体が抗うことを拒否しているようであった。
「僕がここにいる理由は、今の君たちには到底理解できないだろうねぇ。だーかーらー、教えてあげない。ふふふ」
逃げなければ、殺される。いや、逃げても殺される。この男の視界に入った瞬間から、未来は確定している。
殺されるのだ。エイベルのように・・・・エイベルの、ように?
そこで、俺は自身の胸奥に蠢く、恐怖とは別の感情に気付いた。ふつふつと沸き立つその情は、一度認識してしまったが最後、見る見るうちに大きく、どす黒く、成長していく。
「・・・・どうしてだ?」
この気持ちの名を俺は良く知っていた。
「ん? 何か言ったかい?」
「・・・・んでだよ?」
固く握られた彼の右手をそっと外し、地面に優しく置く。
「声が小さいなぁ。よく聞こえないよ」
「何で、エイベルを殺したんだって聞いてるんだよ!! このクソ野郎!!」
それは間違いなく、憤怒であった。ぎゅっと唇を噛みしめて、シグルスが乗る柱を右手で掴む。
「それは簡単だ。彼が、僕の描いたシナリオを無視して、勝手な行動をしたからさ。おかげで、計画を練り直さなければいけなくなったよ・・・・本当に、使えない人形だ」
腸が煮えくり返ってしまいそうであった。全身の血液が沸騰してしまいそうな怒りを覚えて、「くそがぁぁぁああああぁぁ!」と、叫び右指に力を込める。
ばきばきばきっと、一瞬にして柱に亀裂が走り、こちらに傾いていった。
「おっとっと。ははは。すごいね。『神の脚』を破壊するなんて」
バランスを崩して、シグルスが落下してくるのが見えた。俺は、すぐさまその到達地点へと走って、彼を待ち構える。
狙いは一つ。戦力差は圧倒的だ。まともに戦っても勝ち目はないだろう。ならば、相手が油断している間に一発で仕留める。
瞬く間に、シグルスとの距離が縮まる。
「お前は、絶対に許さない!」
何かをしようと空中で、こちらに手を伸ばすシグルス。俺は、その手を掻い潜って、彼の喉元を掴んだ。
そして、ぼぐっ。
鈍い音を響かせ、『覇王』の首をへし折った。ごぼっと、その口元から大量の血反吐を吐き、ぐったりとするシグルス。
まさか、倒したのか? こんなにも、あっさりと、あの『覇王』を!
などと、瞬間的にそんな甘すぎる考えが頭をよぎる。
だが、当然現実はそんなに甘いものではなかった。
すぐさまシグルスは折り曲げたはずの首を起こして、こちらを凝視した。
「はははははははは。良い動きだ! さすがは、管理者に選ばれし『覇王』候補だ。マーゴットに会ったら、よろしく伝えておいてくれよ!」
「っ! なぜ彼女のことを!?」
そして、俺の顔の横で人差し指を立てる。ぽうっとその先端に、白い球体状の魔力塊が出現した。
「お嬢様!!」と、エトナが叫んでこちらにかけてくる足音が聞こえた。
俺は、大声で叫んだ。
「全員、逃げろ!!」
「もう遅いよ。ここが、君たちの冒険の始まりにして、終着点だ。それでは、また、遠い遠い、遥かに遠い『現在』で会おう。特級魔法『希望の光』」
ぱっとシグルスの指先の球が弾ける。それと同時に、全ての感覚が消失した。
物語は、ここから始まります。
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