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花の標べ  作者: 一ノ関珠世
第一章
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2 女神様の家

 サラはまたアルの手を握りなおして、今度はゆっくりと敷石の上を歩き始めた。深呼吸をして、空気を変えるように明るい声を出す。


「見てよアル。今の時期のお祖父様の屋敷の庭はとびきり美しいの。王都にある帝国風の庭とは少し違うんだけどね。あ、あっちは厨庭(くりやにわ)で、食事に使うハーブが多く植えられているの。もう少ししたら、こっちのバラも咲き始めるわ。蕾もいくつかつきはじめたもの。」


 王都にある貴族の屋敷の庭は今シンメトリーの帝国風にするのが流行っている。

 数年前にオーアジェント帝国の皇帝とこの国の王女が婚約したことにより、両国の交易は再開された。王都には帝国の文化が一気に流入し、もてはやされているそうだ。

 そんななかこの田舎のイグルートン家の庭は古式ゆかしく、昔ながらの自然の風景を大事にした造りにしている。


 サラは順々に指し示しながら案内していく。庭には春の優しい色合いの花が溢れており、真っ白な蝶は花から花へひらひらと舞い、蜜蜂は微かな羽音を響かせながら花に潜り込んでいる。


「ここの庭のお花はみんな元気でしょう?庭師のマリックが心を込めて手入れしてるのよ。彼が言ってたけど、手を入れすぎちゃダメなんですって。植物の声を聞いて生きる力を引き出してあげるそうよ。植物の声なんて聞こえるの?って聞いたら、聞こうとすることが大事なんですって言ってたわ。ちなみに私はまだ聞いたことがないわ。」


と言うとサラは拗ねたように口をとがらせた。その後も、ここが夏になったら気持ちいい木陰ができて休めるところとか、ここには鳥が巣を作ってるのよとか、害虫を食べる為に放してある鶏の名前なんかを楽しげに話した。アルはその一つ一つに頷きを返していった。


「さぁ、ここが女神様のお庭よ。」


 アイビーの這う石壁にくぐり戸のあるところでサラは立ち止まった。


「ここはね、庭師のマリックも手を入れないところなの。秘密の庭よ。」




 手を引かれ、くぐり戸をくぐると、そこには陽を照り返してキラキラと光る泉と、どっしりと大きな樹が生えた、庭と言うよりは森の一部の様な場所だ。園芸用の花はここには無く、雑草と呼ばれる花々が、思い思いに咲いているようだった。そしてその大きな樹の根元にはアルが知る女神様の家よりもふたまわり程もありそうな、大きさのものが置かれていた。しかもその造りも優美で、小さなお屋敷のような外観だった。



「すごく綺麗だ。」


 アルは思わず口から感嘆のため息が出た。

その女神様の家の外壁には草花の細かな彫刻に鮮やかな彩色もされており、美術品のようだった。



「そうでしょう。何代か前にこの国の王女様が降嫁した時にここを作ったそうよ。ねぇ、グノ爺?」


「ほっほっほ。そうじゃよ。姫様が王家の様式で作らせたのじゃよ。久しぶりじゃな、サラ。そろそろ女神様も待ちくたびれておったよ。」


 ぎょっとした顔でアルが声のした方を見ると、サラと同じくらいの背で、真っ白なヒゲが身体の半分程の小柄な爺さんが立っていた。上下ともにくすんだ檜皮色の服を着て、頬は日に焼けたように紅い。くりくりとした小動物のような焦げ茶の瞳がアルを見つめている。アルは、目が届かない場所などない程度の大きさの庭だったはずなのに、まるでポンといきなり現れた様に感じたこの老人に少し気味が悪く感じた。


「もう知ってるかもしれないけど、アランディルよ。お祖父様が養子にするそうなの。」


「初めましてアランディル。私もアルと呼ばせてもらおうかな。私はここ専用の庭師じゃよ。よろしくな。」


 アルは頭を下げながら差し出された手を握った。節くれだった手の皮は厚く、樹皮のようだった。グノ爺は挨拶を終えると、庭の奥へ行ってしまった。


「さ、まずは女神様の家を綺麗にしましょう。こっちに道具があるから手伝ってね。」


 その後アルとサラは屋根やバルコニーに落ちている葉を払ったり、泉の水を汲み上げて外壁を柔らかな布で拭いたりした。



 サラはグノ爺が持ってきた明るい山吹色の敷布を広げて、少し疲れを見せていたアルをそこに座らせた。その敷布は使い込まれているようだが、しっかりと手入れをされているようで毛羽立ってはいても肌触りは不快ではなかった。


「少しここで待ってて。女神様に捧げる花を摘んでくるわ。」


 黄色いタンポポに、シロツメクサ、紫紅色のヤハズエンドウ、深い紫色のスミレ。花瓶に挿しやすいように、できる限り茎は長めに同じくらいの長さで摘んでいく。花冠も作るので少し多めに束にした。


 最後に淡い青色のアランドの花が群れるように咲いているところへ足を伸ばした。

ふとアルの方を向くと、その淡い青色はアルの瞳の色にそっくりだった。縁が少し濃い色になっているところまで似ている。サラは出来上がった花束をアルに見えるように差し出した。


「ねぇ、見て。アルの瞳はアランドの花の色と同じね。アルのお名前もそこからとったんでしょう?」


 サラは自分が気付けたことに少し得意そうな顔を、アルに向けた。


「うん。ここに連れて来てもらう時にヴァージェンス様が付けてくれたんだ。」


 そう言うと、アルはアランドの花を見ながら微かに笑みを浮かべた。


「私の名前もお祖父様がアランドの花の名前から考えたそうなのよ。お揃いね。」


 そう言いながら、サラはアルの隣に腰を下ろした。草の匂いと少し甘い匂いがアルの鼻腔をくすぐった。


「アル、私が今やることを見ていてね。アルにも作ってもらうから。」


 サラは、敷布に摘んだ花を広げた。そしてその中から、タンポポをとると、その茎の中央に爪で穴を開け、その穴にシロツメクサの花の茎を通していく。その後は同じように、ヤハズエンドウ、アランドの花を輪になるように繋げていった。


「ほら、これで花冠の出来上がり。お祖父様ならもっとしっかりしたのを作るんだけど、私はまだこれしかできないの。さ、今度はアルの番よ。作ってみて。」


 サラは作った花冠を自分の頭に載せると、アルにタンポポとシロツメクサの花を一輪ずつ渡した。

 アルは渡された花をじっと見ると、茎の中央に当たりをつけて、親指の爪で穴を開けシロツメクサを通していく。


「アルすごく上手。手先が器用なのね。前にお祖父様がいない時にお兄様が作ったんだけど酷かったのよ。いくつも花を駄目にしちゃったもの。」



 アルの手の中で出来上がった花冠は計ったかのように均等に花と茎が連なっていた。

サラは自分の花冠を持ち、アルの艶やかな髪の上に置いた。


「これはアルの分。正式には、この儀式を男女ペアで行うんだけど、男の人が作った花冠を女の人がかぶるんですって。アルは別にかぶらなくてもいいんだけど、せっかく作ったからね。」


 その言葉にアルは少し訝しく思った。

 昨年までは街で多くの成人前の若い女性が集い儀式を行っているのを見たのを覚えている。春訪祭の中で行われる春の女神様の儀式は女性が主役で男性は周りで見ているだけだったからだ。また花冠ではなく生花を髪にさしたり、花のモチーフの髪飾りを飾っていた。自分の母親もこの時期には客からもらった生花を飾って祭りを楽しんでいた。貴族と平民との違いなのだろうか。

 懐かしい思い出が一つ二つ浮かんできたが、それを振り切るようにアルはぐっと立ち上がった。


「そうなんだ。じゃぁ、どうぞ。」


 アルは、目の前の日を浴びて暖かそうなサラの茶色い髪に花冠をのせた。


 ありがとう、と言うとサラもすっと立ち上がった。敷布に置かれていた残りの花を集めて、女神様の家の前に置かれていた花瓶を持ち泉で水を汲むと、その花を生けた。


「これでよし。準備が出来たからそろそろ始めましょうか。まずは、泉で手をすすいで、その後泉の水を掬って飲むのよ。」


 サラは泉の淵に(かが)んで見本を見せると、アルも神妙な顔をしながら、同じように手をすすいだ後、水を掬った。

少ししか掬えなかったが、喉を通る水は爽やかで、何となくスッキリとした心地良さを感じた。



「アルはここで一緒に歌ってね。春を言祝(ことほ)ぐ歌よ。知ってるでしょ?そして私が今からやる事は、イグルートン家の者以外には秘密だからね。」


 そう言って女神様の家の正面に立つと、瞼を閉じた。視界を遮断すると葉擦れの音や遠くに鳥の声も微かに聞こえる。



 アルはその姿を後ろから見ていた。サラはすうーんと背筋が伸び、裾から覗く足は程よく筋肉がついていて、健康的な熱量が周りの空気に溶け出しているようだった。

その熱すら春の女神様に捧げられる供物の一つなのかと思った。



 サラは新鮮な空気が身体の隅々まで行き渡るように意識をしながら、深呼吸を一つした。


 空気がぴぃんと張り詰める。


 目を開けて始まりの手拍子を打ち鳴らした。


「春の女神様に感謝と豊穣を祈ります。」


 そう高らかに宣言した後、手を上に広げた。その手が不思議なことに光りはじめた。


 その光は、その後サラが手を打ち鳴らす度に、金粉のように弾ける。



歌が始まる。


「ナディヴァーチェが届ける

あたたかな春の風

とかしてほどいて

凍てつく大地が守った命の種

光が降り注げば

土が湧きたち芽吹く時が訪れる。」


 手から光の粉を散らしながら、サラは春になって伸びゆく若芽のようにのびのびと自由に歌い上げる。


 アルは目の前の出来事に目を見張りつつも、この儀式の流れを止めてはいけないような気がして、つっかえそうになりながらも懸命に合わせるように声を出す。



 サラの手から出た光の粉はどんどん増えて、サラの周りでキラキラと輝いている。

その姿は清らかで、侵しがたいものを感じた。


「ナディヴァーチェの歩む地には

アランドの青い花

のびてひろげて

凍てゆるみさらさらと流れ出す川

穏やかな日差しを受けて

命が孵り歓びの唄が聞こえる。」


 最後に茶色くて爪先の丸い靴を履いたサラの足が跳ねる様にステップを踏む。


 サラはまた再び目を閉じて、終わりの手拍子を打ち鳴らした。


 光の粉はその音が鳴ると、音も無く開いた女神様の家の扉にひゅぅっと吸い込まれていった。



 アルは夢の中の出来事のように感じられて、声も出せず、動くことも出来なかった。



厨庭は造語です。キッチンガーデンと書きたくなかっただけです。w

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