8 パーティー2
その後もサラがダンスに誘われたり、アルが友人や先輩達に誘われたりと慌ただしい。
サラはアルと同じクラスだという男性とのダンスが終わって、アルのところまでエスコートを受けると、アルは眉間にくっきりと皺を刻み、明らかに不機嫌さを隠しきれない様子になっていた。ぴかぴかに光る長靴は忙しげにつま先でリズムを刻んでいる。
見るからにアルの表情からは余裕がごっそりと抜け落ちている。サラと一緒にいた男性もそんなアルに気づいて苦笑気味に挨拶をしていた。
―ああ、これは拙いなぁ。
アルはギリギリと音が聞こえてきそうな程歯も噛み締めているもんだから、空腹で苛々している狼みたいだ。こういう人には出来る限り近づきたくない。
その様子を見ていると、出会った頃にアルと遊戯盤で勝負をしている時に負けそうになるとこんな顔をしていたなと思い出した。今にも盤ごとひっくり返したくて、放り出したいんだけど、必死で我慢している顔だ。
その後ルールをある程度理解すると、いつの間にか私に負けることは無くなって、得意そうな顔ばかりするようになったのが小憎らしいところだ。
横にいるラナンカスを見るとやはりそんなアルの様子に気づいているのか、あちゃーと声なく言っている。
どうしようかと思っていると、マルトとその婚約者のメリアが近づいてくるのが見えた。
「ちょっとアランを借りるね!メリアの相手をお願いしてもいいかな」
「ちょっ…」
アルは低く唸るような声でマルトに何か言おうとしたが、マルトはアルの腕をぐっと掴んだ。そんなマルトにアルは抵抗しようとしたけど、「まぁまぁちょっと頭を冷やしなよ」と言われながらホールの奥へ連れて行かれた。
その様子をふふふと笑いながら見ていたメリアはこちらを振り向くと、くりくりとした目で、矢継ぎ早に質問を繰り出し始めた。
「さてさて、サランディナ様はまだ婚約者はいらっしゃらない?お慕いしている殿方は?」
「ええ、どちらもいませんわ」
「アランディル様とはどういうご関係ですの?」
「仲の良い親戚でしょうか」
「結婚に関してはどうお考えなのでしょうか?早めに結婚して家庭を持ちたいと考えてます?それとも職を得て自立した女性になりたいと思ってらっしゃる?」
「ええと…来年にはメイリンダム貴官学校の入学試験を受けようと考えているので、まだ結婚については全然考えられないです」
隣りにいるラナンもメリアの剣幕に目を白黒している。
メリアはサラの返答に「優秀ですのね…」と呟くと、マルトがアルを連れて行った方向に視線をやった。
「今マルトがアランディル様に実践的な社交のいろはを教えていると思いますの。ですから私たちは少しこちらでお喋りを楽しんでいましょうね」
ひとしきりマルトと何かを喋った後、戻って来たアルは少しすっきりとした顔付きになっていた。
「サラ、おいで」
そう言って手を差し出すアルに自分の手を重ねると、少し強く手を引かれて、くるりと身体が反転した。
「ん?!」
私の腰にアルの手が添えられる。その手のひらの暖かさと、思った以上に踏み込まれた距離に頭が一瞬真っ白になる。これは恋人や婚約者との距離だ。
少し咎めるように視線を上げると、アルのにやにやした顔にぶち当たった。彼の瞳は何かしらの期待を孕んできらきらとしている。
「これはどういうことですかね。アランディル?」
「ここではこういうエスコートでないと、残念ながら仲人役と見られるそうなんですよ。サランディナ。」
アルは満足気にそう言うと、しっかりと捕まえるようにサラの腰に手を回した。
アルがマルトに聞いたところ、このパーティには婚約者や恋人ではない親戚筋の子を連れてきている場合、パートナーを探しに来ているとみなされてしまうそうだ。名門校のツテが欲しい親御さん達からすると、お見合いパーティーなのである。
とはいえ腰に添えられたアルの手の温度に、どうも気持ちが落ち着かなくなる。こんなにも異性と近寄る事は最近では無いのだ。困ってしまって八の字になった私の眉に気づいたアルは言い訳がましく言った。
「サラと話したいから招待状出したのに、知らない女性を紹介されてサラとの時間が全然取れないなんておかしいだろ?」
「むしろアルは素敵なお嬢さんをありがたく紹介してもらった方がいいんじゃないかしら?」
「そんな知らない誰かと話すよりサラと喋った方がずっと面白いからさ。ね、あっちに行こう。まだ一回しかサラと踊ってないし、こっちにはサラが好きそうな苺の一口タルトがあったよ」
「わ!苺があるの?是非連れてって!」
先程ラナンカスと行った場所の対角線上に、デザートの一角があったようだ。ここはさっきの場所とは違い、一口サイズのこぶりな焼き菓子が揃っている。
苺のタルトを確保するとアルは少し座って食べられる席まで案内してくれた。もちろんその間もサラとアルの距離は近い。
私の知り合いがここにはいなくて良かった。こんなの知り合いに見られたとしたら恥ずかしすぎる。
四人がけ出来るようなソファで、子犬くらいしか挟めない距離にアルが座る。そんなアルは首をちょいと傾げながらこちらをすまなそうに見た。
「なかなか一緒にいれなくてごめんね」
開口一番アルは私に謝った。でもそんなのアルのせいではない。
「大丈夫よ。大好きなダンスも存分に楽しめたし、ラナンさんもとっても面白い話を沢山聞かせてくれたから!」
アルと同室のマルトさんやリックさんとも話したが、パートナーである妹さんがいなくなっているラナンさんと一番良く話した。彼から聞いた話をいくつかしていると、 アルの声のトーンが急に落ちる。
「へぇ…それは良かったね」
アルが今日のパートナーであるサラから離れた事を気にしないように、フォローの意味で話していたのに。何故かピリピリとした空気を出しながら会話を切り、そっぽを向いてしまった。
やっぱりアルは難しい。
とは言え、アルの機嫌が悪くなることは良くあることだ。別にそんなアルに合わせる必要もないので、サラはサラで楽しむことにした。
サラはさっさと気持ちを切り替えて目の前の皿に鎮座する苺のタルトにとりかかった。一口で食べられるサイズだけれど、大事に食べようと思い、そうっとフォークをタルトに入れた。苺がつやつやしていて宝石みたいだ。口に含むと、さわやかな苺の甘さとまろやかなカスタードクリーム、さくさくとしたタルト生地が渾然一体となって素晴らしいハーモニーを奏でる。
「美味しい……」
サラは余韻を味わうように、もう半分を見ながら呟いた。こんなにも美味しいタルトは初めてだ。初体験だ。
サラが感動に打ち震えていると、視界を横切るものがあった。アルの手だ。
アルは無言でタルトの半分を摘むと、そのままひょいっと口に放り込んでしまった。
「ちょっと!アル!」
「サラに隙があるのが悪い」
間髪入れずにそう言うと、アルは仏頂面でタルトを咀嚼している。
険のある言い方でこちらを非難するアルの態度に、サラも苛々してくる。苛々というものはよく人に伝染するのだ。行儀が悪いことも承知で、持っているフォークを刺すようにアルに向けた。
「言いたいことがあるならさっさと言ってくれる?回りくどいのは苦手なの。知ってるでしょう?」
せっかく王都まで来て、素敵なドレスを着て、気分良く美味しいものを食べていたのに、雰囲気を台無しにされるようでサラは少し頭にきていた。
アルはそんなサラの様子にバツの悪い顔で目を逸らす。
「だって……。サラは僕のパートナーのはずなのに、ラナンはサラに対して馴れ馴れしすぎる。サラはサラですごく楽しそうに話しているし。ラナンは今日初めてサラに会ったけど、僕とサラが友達になった年月の方が遥かに長いはずなのにおかしいと思わない?」
語尾がどんどんと小さくなっていく。アル自身もめちゃくちゃな事を言っていると言うことは分かっているのだろう。
「あら?つまり私が他の人と仲良くしていたことに対して嫉妬しちゃったってこと?」
アルががばりとこちらを見る。目を見開いて、みるみるうちに顔が赤くなった。肌の色が白い分、首筋までほんのり色づいているのが分かる。思いっきり図星だったようだ。
「アルってば、パーティーに出るのが初めてだからそう思うのよ。パーティーというのは沢山の人々と交流して、見聞を広めたり、振る舞いを学ぶところなの。パートナーとずっとべったりしているなんて、洗練された振る舞いとは言えないわ」
アルはこの歳になるまでこの様な社交の場に出ることが無かった為に、まだまだ経験が積めていないのだ。サラは養い親である祖父を思い浮かべていた。浮世離れしている祖父に社交のいろはを教える事など、難しいだろう。これはリンドーク家でフォローすべきだったかしらとサラは思案する。しかしサラは淑女側の事しか習っていない上に歳下だ。あとは実践あるのみだし、何か困れば助けてくれる友達もいるから大丈夫だろう。
サラはそう結論づけた。
ただそうやってアルに諭してみても、先生に叱られてる悪ガキみたいに納得の言ってない顔で、不貞腐れている。徐にサラの右手を自分の膝のところに置くと、親指から順に曲げたり伸ばしたりし始めた。何をしてるのか訝しく思いながらもサラはされるがままにした。少しこそばゆい。
そんなアルは、小指まで曲げて伸ばすと、最後にぎゅっと握った。伏せられた淡い青の瞳は不安げに揺れる。
「べったりなんて言うほどサラと一緒にいれてないじゃないか」
アルは握った手にまた力を込めた。なんだかこのスネ具合が、アルが祖父の後ろをついて回っていた時の事を思い出させて、サラは少し可笑しくなる。
サラが祖父と楽しそうに話していると、アルは自分の方を向いてもらいたくて、キュッと祖父の袖を引っ張っていた。自分のものが取られちゃう言うかのように。
アルの手を握り返して微笑むと、安心したみたいにアルも目元が下がる。
「そうね。しっかりいろんな方に挨拶もしたし、あとは二人でゆっくり楽しみましょうか」
「うん」
アルは嬉しそうに破顔した。その上、「さっきの苺のタルト持ってくるね」と立ち上がる。
こういうところがなんだかお子様っぽいのよねとサラは心の中で独りごちた。こうやって人の気をひきたがるところがあるからどうしてもアルは年上のはずなのに弟みたいに思えてしまうのだ。
その後のアルは慇懃無礼に周りからの誘いをかわし続け、サラを微妙な気持ちにさせつつ、冬の陽はゆっくりと翳っていった。
◇
帰りの馬車に乗る頃には、すっかり薄暮が辺りを包んでいた。光を失った空気は、ぞくっとするほど冷えている。
楽しんだ後の心地良い疲れは、サラの瞼をとろりと重くさせた。馬車の振動も、サラの身体をどんどん座面に沈ませる。その様子を見たアルは口元を緩めた。
「疲れたね。少し横になってもいいよ」
そう言って、アルは自分の膝を差し出してくれたので、躊躇せずサラは自分の頭を預けた。もう家に帰るだけなので、髪型が少々崩れようが、ドレスが皺になろうが、侍女やお父様から些かお小言を頂戴するくらい何でもない。まだまだ淑女見習いなので、気を抜く時間も必要なのだ。
アルの匂いがする。その匂いに安らぎを感じて、サラは目を閉じた。
子どもみたいに頭を撫でられていると、だんだん身体もあったまってきて、いつの間にか意識を手放していた。




