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花の標べ  作者: 一ノ関珠世
第一章
19/30

閑話 ヴァージェンスの独り言3

 刺すような寒さを感じて目が覚めた。暖炉の薪はもう殆ど白く灰になってしまっていて小さい火がチカチカと見えるか見えないかという程度だ。ヌースカの寒さはイグルートン領とは段違いだ。老いた身には些か辛い。骨身に染みる寒さだ。


 

 朝食後、紅茶を楽しんだらジョシュアとヌースカの領立図書館に向かう。道案内に一人青年をつけてもらった。

 彼の名はサミュエルという。お世話になっている屋敷の執事の息子でまだまだ見習いをしているらしい。笑顔の爽やかな気持ちの良い青年だ。 3人で雲間から降り注ぐ朝日を浴びながら出立した。


 このヌースカは縦と横の通りがゲーム盤のマス目の様に交わっているので、宿をとっている場所の通りの名を覚えて方角さえ間違わなければ、大体帰って来られるそうだ。ヌースカは街のどこからでも城とガラ山は見えるので、大体の方角も分かるようになっている。


 

 白壁に赤い屋根が特徴的な古い街並みが通り沿いに続いている。城から伸びる東西南北に伸びる主な通り以外は道が狭くて、馬車は通ることが出来ない。必然この街に住んでいると歩くことが多くなるそうだ。


 

 ドーム状の屋根が美しい図書館は、すぐに見つかった。受付で紹介状を渡すと実直そうで小柄な男性が担当についてくれた。


「ゼマインさんから話は聞いています。冥府の神について調べてらっしゃるんですよね。こちらへどうぞ」


 彼に案内され、窓の近くの閲覧テーブルに座る。


「いくつか参考になりそうなものをこちらでも目星をつけています。お持ちいたしますので少しお待ち下さい」


 利用者は少ないようで、館内は閑散としている。閲覧テーブル近くには大きな窓があり、よく磨き込まれたテーブルの表面に冬の穏やかな陽だまりが落ちていた。


 彼は戻ってくるとまずはヌースカの地図を広げた。



「こちらをご覧ください。これは古フィオレント王国が建国してから100年程経った頃のものです。正確な地図というよりもヌースカの名所を紹介するような地図ですね」


 今よりも測量技術が未熟な頃のものだろうか。王立図書館で見た地図よりも(いびつ)に見える。絵や文が書かれているが、綴りや文法の違いから、ヌースカに王都があった頃のものだろうと当たりをつける。



「ヌースカには冥府の神に関わる場所があるんです」


 彼の指が示す場所をみると、こんもりとした低い山の様な絵に「冥府の口」と書かれてある。頂きには岩の(うてな)があり、

その岩で冥府の口を塞いでいるらしい。


 なるほど、その丘の(いただき)には平べったい板の様なものが描かれてあった。


「ゼマインさんからミュラジの地誌にあったナディヴァーチェ様の出産譚の部分は目を通しております。この冥府の口という場所は、このヌースカの地誌によると冥府の神が地中に沈んだ所のようです」


「ん?王都で見た時にはヌースカの地誌にそんな記述は見当たらなかったが」


「ああゼマインさんなら、初版のものしか出さなかったのではないのでしょうか。実はですね、この冥府の口のことは王都がヌースカからブリュンヒルに移った後のものには載っているんですよ」


 そう言って彼は手元の本の頁をめくり、該当箇所をこちらに開いてくれた。


「そしてこの冥府の口は現在では人々の間で「死を悼む丘」と呼ばれています。墓が作れない程の貧民は未だにこの丘に死者を葬っているようです。ここだと埋葬料は取られませんし、許可も不要なんです。でもどこに埋められているか分かりませんし、日中でもここに近づく者は少ないですね」


「非公式な墓所ということか?」


「そうですね。ただ昔はもっと多くの人々がここに埋葬されていたのでしょう。初代王グラディウス王とウカーシュ王妃の骨の一部もここに埋葬されているようですし、この時代ではヌースカの西の葬送地と記述していますから」


 こちらを、と言いながらヌースカの地誌で通りの名前の由来を説明している頁を開く。


――

千個の灯(ティシチャーグニ)通り

ヌースカ中心地から西の葬送地である冥府の口に向かう通り。グラディウス王とウカーシュ王妃の遺骨の一部を運ぶ際、通りの両脇に千個の灯がともされたことからついた。


――


「それにしても、王家の墓所はあるのに何故ここに一部の骨を移したんだ?」


「私もそこが気になって少し探してみたんです。公式な文書では確認出来なかったのですが、このグラディウス王の伝記には今際(いまわ)の際に、自分が亡くなった後はウカーシュ王妃と自分の骨を分骨して西の丘に埋めて欲しいと言い遺したという記述はありました。ただこの伝記は史実に完全に基づいている訳ではなく、かなり誇張された話が多いので、真偽は不明ですけど」


 彼からグラディウス王の伝記を受け取り、自分でも該当箇所を確認する。またゆっくりと読んでおきたいと思ったので貸し出しをすることにする。


「この冥府の口がある山はここからだと遠いだろうか?」


「そんなに距離はありませんよ。高い山では無く小高い丘のようなところなので、登って下りるだけなら半刻もかからないのではないでしょうか」


 自分の覚え書きに冥府の口のことも付け加える。明日はこの冥府の口にも行ってみよう。


 あとここで調べるべきことはミュラジのことだろう。

 ナディヴァーチェが出産した産屋や、ミュラジにも冥府の神にまつわる場所があるかどうかも調べたかった。


「ミュラジの地誌も初版は確認したがそれ以後のものもお願いしたい。あとミュラジに伝わる伝説や昔話について書かれているものがあればそれも」

 

 然程待たされる事なく持ってきてくれた資料を、どんどん確認していく。ナディヴァーチェの産屋があったとされるところには大きな女神様の家が建てられているようだ。ジョシュアと相談して近日中にも行ってみたい。

 

 集中していると時間は驚くほど早く過ぎた。


「お気をつけて。今はとても物騒ですから。御身を大事になさって下さい」


 彼の温かな言葉に、礼を告げ図書館を後にした。


 サミュエルとジョシュアが門のところに迎えに来てくれていたので合流し、今日の成果を簡単に話した。


「明日はその死者を悼む丘まで行ってみようと思うんだ」

 

 そう言うと、サミュエルは顔色を変えて話に入ってきた。


「話を遮るようで申し訳ございません。本当にあちらに向かわれますか?あの辺りはお世辞にもお勧め出来る場所ではこざいません。そもそも死を悼む丘は墓を用意出来ない者達が遺体を埋める場所です。今は飢饉と疫病で治安が悪い上にヌースカ最大の売春街も近くにございます。カランギルス様も一緒に向かわれると思いますが、非常に危険な場所です」


「そうか。君の心配ももっともだと思うが、私たちも長く滞在できるわけではなく、悔いが無いよう自分の目で見れるものは見ておきたいと思うんだ。危険は重々承知の上で、途中まででもいいので道案内もお願いしたい」


 彼に頭を下げると、慌てたように「頭を上げてください」と言って、少し考えた後、申し出を了承してくれた。


「亡くなった奥さんの遺志でここに来られたんでしたね。私も出来る限りお手伝いしましょう」


 そう言って気遣うように目を合わせてくれた。ジョシュアの方を見ると、分かってますよというような肯定的な笑顔を浮かべていてほっとした。

 




 屋敷に戻り、借りてきた資料を部屋で確認した。日中の仕事の者たちが帰る五の鐘が鳴る頃、来客があった。


 昨日話した商人が早速大工と話をつけ、仕事終わりにこの屋敷に寄ってもらうことになっていたのだ。


 定刻に現れた男はよく日に焼けた赤毛の男で、(なま)りの強い口調で、話し始めた。


「ああ、女神の家の中身ですかい。この辺りは大体二体です。他んとこはどうかは知りませんがね。割と素朴な彫刻で、色も塗られてます。髪が黒くて目を青に塗ってるんが冥府の神で、髪を黄色に塗って目は緑なんが女神様です」


 ナディヴァーチェ様の絵は神館で見たことがあった。神館に架けられていた絵には髪は光の色、瞳は芽吹きの色で描かれていたが、冥府の神が描かれているものは見たことが無かった。ミュラジの地誌で瞳の色はアランドと同じ淡い青色だろうことは分かったが、髪は闇と同じ色ということだろう。



 中身を見せてもらう事は出来ないか聞いてみたが、よそ者のましてや男に中を見せることは難しいだろうと言われた。女神様の家の中は女神様のプライベートスペースなので、男性が中を見ることは厭われるらしい。男である大工は修理をする日時まで厳密に決まっていたそうだ。大人しく本物を見るのは諦めた。


 報酬にイグルートン産の小麦粉の小袋を渡す。大工は「こんなにもいただいちゃっていいんですかい?女房子どもが喜びます」そう言って何度も何度も頭を下げて感謝された。




 次の日、持ってきた服の中で一番古いものを身につける。ここに向かう時にジョシュアに勧められ、古着屋で購入したものだ。ぷんとカビ臭い匂いが鼻についた。治安が悪くなっているという情報は得ていたので、追い剥ぎに狙われなくするようにということだそうだ。


 早めの昼ごはんを簡単に済ませ、死を悼む丘に向けて出発することにする。サミュエルの勧めで、少し遠回りになるが売春街を出来る限り迂回するルートをとった。しかしティシチャーグニ通りの入り口は売春街の端に接しており、どうしても通らなければ行くことは出来ない。

「少し離れているので馬をかしだす事も出来ますが?」とも言われたが、歩いた方が見落としは少ない気がして断った。自分の人生において重要な場所に行く時、歩く速さが一番ちょうど良い速さだと思っている。落ちている物も見つけやすい。



 

 売春街に足を踏み入れた途端、強い視線を感じる。


 時折すれ違う人々は薄汚れた衣服を纏っており、この街全体が体臭と何か消毒液のような薬品の臭いと排泄物の臭いが入り混じった空気が立ち籠めている。首巻を口元まで引き上げて、臭いを遮る。真昼間に通っていても少し気味の悪い場所だ。彷徨(うろつ)いている野犬さえあばらが浮いている。ちらりと見えた細い通りには蹲っていたり、転がっている人の様なものも見えた。


「私たちはここでは異物のようだね」


と隣のジョシュアに小声で話しかけると、彼は小さいながらも鋭い声で、


「出来る限り周りの人達と目を合わせず、堂々と、しかし早足で抜けてしまいましょう」


と言った。サミュエルはやや困った様な声で、ぼやくように呟く。


「だってこの辺りは荒くれ者の鉱夫が多く出入りする所ですから。ちょっとヴァージェンス様は身なりが綺麗すぎるんですよ」


 お世辞にも綺麗とは言い難い服装をしていると自分では思うが、サミュエルからするとこれでも綺麗すぎるらしい。


 後で聞くとここの娼婦の一晩の値段は王都の相場の半分の値段だそうだ。「僕が女を買うなら西のギヨンに行きますよ」と彼は眉間に嫌悪を滲ませていた。


 

 そこを抜けると、茫々(ぼうぼう)たる草原が道の両側に広がっていた。冬の草原は緑が抜け落ち、色褪せてしまっており、余計に寂しげだ。所々に朽ちかけた廃屋が通りに沿って見える。当時は千を越す灯りが道を飾ったようだが、今は人っ子一人見当たらない。確かに葬送地に向かう道に好き好んで家を持つものも、なかなかいないだろう。



 死を悼む丘はこの道の先にこんもりと盛り上がって見える。そこでサミュエルとは別れた。道さえ分かれば後は暗くなる前に帰ればいいからだ。



 ティシチャーグニ通りから、その丘の頂に向かう道も整備されていた。どこに埋められているか分からないと言っていたので、出来る限り道から外れたくは無い。ここは常緑樹が多いのか、冬でも葉を落としている木は少なく、分厚い葉叢(はむら)が陽光を遮っている。半刻も登らないうちに頂上に着いた。


 頂上と言えども木々が大きく繁っており、見晴らしは悪くやや薄暗かった。


 岩の台と書かれていた通り、頂きにある岩は大きな楕円形であった。平べったくもあるが、縁が少し高くなっているので、まるで船のようだった。周りを歩いてみると私の歩幅で30程だった。

 

「この岩は御影石かな。こんな大きな御影石をどうやって持って来たんだろうか」


「神様が蓋をしてくれたんじゃないですか。こう片手でひょいっとね。あ、ここ何か書いてますよ」


 先程一周してみた時には見落としていたらしい。ジョシュアが屈んでいる横に同じように屈んだ。


 そこには確かに文字が彫り込まれているようだったが、岩自体の風化がすすんでいるのもあって判別しがたいものだった。かなり古いものなのだろう。見たことの無い文字もあるようだ。一度持って帰って王立図書館で調べたいと思い、ジョシュアの背負い鞄から紙と鉛筆をだしてもらった。


 その紙を彫り込まれた文字に押し当て鉛筆で(こす)り写しとった。


 グラディウス王とウカーシュ王妃の骨も埋められているならば、どこかにそれと分かるような碑のようなものでも無いかと思い探してみたが、見当たらなかった。


 高貴な身分の方の骨なので、丘の裾の方にあるとは考えづらい。頂上付近にあるのではと考えたが、案外その岩の台の下にあり、岩に書かれた文字にそのことが書いてあるのかもしれない。


 そう、ここは葬送地だ。この丘は遥か昔から数多の人々の遺骸が埋められ、沢山の嘆きの声を聞いてきたのだろう。


 私は目を閉じ、胸に手を当て、ここに眠っている全ての死者を思い、知っている鎮魂歌を唸るように口ずさんだ。周りの木々たちの葉擦れの音も私と唱和してくれているように感じる。恥ずかしながら歌は不得意だ。途中からジョシュアの声も重なった。



 歌い終わると、風も止んだのか、しんとした静寂に包まれた。溜息を一つついて、またもう一度目の前の岩に手で触れた。ミレーヌの探し物が見つかりますようにと、この下にいるかもしれない冥府の神にも心の中で祈った。


 そんな私をよそに、ジョシュアは私達が登ってきた道から少し離れた所にもう一つ道を見つけた。最初の道よりも道幅は狭いが、その道沿いに何かしら手掛かりは無いかと思い下山はその道を使うことにした。


 冬は陽が落ちるのが早い。気づけば木漏れ日は随分弱く、赤みが強くなっていた。空を見上げると散らばる雲が茜色に染まっている。


「ヴァージェンス様、少し急ぎましょうか」


 ジョシュアの声に同意し、足を速めて降りていると、じゃくじゃく土を掘り返す音が聞こえた。音のする方に顔を向けると、木々の間に小さな影が見えた。


「ん?誰かいるのかな。ジョシュア、少しあちらに行ってみよう」

「ありゃ、子どもですかね。周りに大人もいないみたいですし、もう陽が暮れちまいますよ」


 近くまで寄ると男の子が一人で埋葬する穴をシャベルで掘っていた。すぐ横に置かれている台車には毛布が人型に盛り上がっている。毛布の端から見える髪の長さからすると彼の母親の遺体だろうか。


 彼は必死にシャベルの刃を大地に立てているが、見るからに骨の浮いた肩も腕も肉が薄くて、なかなか(はかど)っている様子では無い。


「君一人で掘っているのかい?」


 思わず挨拶もすっ飛ばして声をかけてしまった。


 振り返ったその男の子はこちらに驚いて大きな目をさらに大きく見開いて声が出ない様子だった。寒さのせいか顔色は真っ青で、唇は乾き、ひび割れて血が滲んでいる。沢山着込んでいるようだが、着古した服は所々穴まで空いており、少し長めのパサパサとした黒髪が一つに結わえられて背にかかっていた。


 手伝いを申し出て、彼の手からシャベルを受け取った。ジョシュアはそんな事を言い出した私に何か言いたげだったが、敢えて気づかないフリをした。


 その痩せっぽちの子どもは少し安堵したのか、張り詰めたものが緩んだのか、垢じみて()げた頬に静かに涙がつたっていった。

 その無垢な涙が美しくて私は思わず見入ってしまった。


「この辺りに住んでいるのかい?」


 彼はこくりと頷いた。彼は一生懸命に掘り返したであろう穴はまだまだ人を埋めるには浅すぎる。小さなシャベルに力を入れて足をぐっと掛ける。


「この人は君の母親かな?」

 

 また彼は頷いた。母親が亡くなったのに彼は一人で埋葬していることを考えても、父親や兄弟は無いのだろう。これから庇護してくれる大人は近くに居ないのでは無いか。


「一人で疲れただろう。よく頑張ったな、そんなガリガリの身体で。こっちに座ってちょっと休憩しろよ」


 ジョシュアが(ねぎら)いの言葉をかけると、彼は少し視線を彷徨わせた。しかし身体は限界だったのだろう。その場にくたりと座り込んだ。


 少しここにいるらしいと見てとったジョシュアは「ちょっとこのままじゃ寒くなってくるんで薪になりそうな枝拾ってきますよ」と森の木立の中に入っていった。


「私たちはこの辺りに伝わる冥府の神に関わる場所を調べていてね。その調査の一環でこの「死を悼む丘」に来たんだ。ここを上に行ったところに石碑があるだろう?そこを見てきた帰りなんだよ。ここには以前にも来たことがあるかい?」


 彼は力なく首を横に振った。


 その後も私は土を掘りながら、初めて会った彼に自分がどうしてこのヌースカに来たのか、道中何があったかをせっせと語った。冥府の神と女神ナディヴァーチェ様が夫婦である話や、この近くの農村に伝わる話など。話しているうちに少しこちらに慣れてくれたのか、ぽつぽつと返答が返ってくるようになってくる。


 彼はもう10歳で洗礼も受けているようだ。でも2歳下の孫娘のサラと同じ位に見える程小柄だ。母一人子一人の生活は非常に苦しいものだったのだろう。また今回の飢饉も追い討ちをかけたに違いない。




 今冷静に考えると不思議で、私自身そんなに子どもが得意な方ではないし、喋り好きな訳でも無い。困っている平民の子など今の時代掃いて捨てるほどいるのだ。一人一人に手を差し伸べることなど物理的に無理なのだから、いつもなら傍観を決め込む。


 なのに彼を見た瞬間、「何か力にならなければ」と思ってしまったのだ。




 そうやってその少年と打ち解けてきた頃に、ジョシュアはひと抱え程の枝を拾って帰ってきた。早速手際よくたき火の準備を始める。松があったのか、まつぼっくり数個にマッチで火をつける。煙が出るが、上手く枝にも火が燃え移ったようだ。


 ある程度火が安定したところで、ジョシュアは私からシャベルを奪い取り、私がやるよりも余程効率よく掘り進めた。


 少年の前に座り、かじかむ手を温めるように火に手をかざす。彼の手も凍えているだろうに、膝の上でぐっと握り締めたままだ。


 踊る火の光が彼の顔を照らす。


 淡い青色の瞳に黒い髪。

 その瞳の色はアランドの花の色、髪は闇を溶かし込んだような黒い色。


 その時私の頭に昨日大工から聞いた話と彼の顔がぴったりと重なった。



「これから身を寄せる親戚はいるのかい」


 彼は少しの逡巡の後、年齢に似合わぬやや大人びた表情で自嘲するように言った。


「親戚はいません。最悪自分の身を売ればどこかに寝ることはできるでしょうけど」


 その言葉にぎょっとしたが、人身売買の言葉がするりと出る程度にはそういった打診を受けてきたのだろう。


 確かによく見れば整った顔をしている。今は肉が落ちて大きな目ばかりが目立っているが、鼻も唇も形良く品の良さが感じられる。


「そうか。では一緒に来るのはどうだい。ここで出会ったのも何かの縁だろう。家に帰っても、我が家には家族は誰もいないんだ。子どもはもう結婚して外に出てるし、妻には先立たれたしで独り身なんだよ。部屋は沢山空いてる。なんなら養子になってもいいしね」


 その子は目をむいたまま固まってしまった。「え」と小さく漏れた声のままに口は半開きになっている。


 ジョシュアはジョシュアで焦るようにこちらの話に入ってきた。今まで二人だけで話していたが、内容はきちんと聞いていたらしい。


「え?!何言ってるんですか。今度は子どもまで拾うんですか?!」


「何を人聞きの悪いことをいうんだ。またお前は私がなんでもかんでも道に落ちてる物を拾ってるみたいに言う。私は深謀遠慮の末、これだと思うものを拾っているんだ」


 そうジョシュアに言っていて、おやと思った。随分と拾い物をしていないことに気づいたからだ。ミレーヌが亡くなってから、拾い物をするのは彼が初めてだ。最近では何か心惹かれて思わず手に取るということが全く無かった。それだけの心の余裕が無かったのだろう。この旅を通して、少しずつ自分らしさというものが戻って来ているような、そんな気がする。


「いやいや、いつも拾ってるモノと一緒に出来ないでしょう。人間の男の子ですよ」


 ジョシュアは色々言ってはいるが、なんだか可笑しな気持ちになってきて、どっこいせと重くなった腰を上げる。もう決めた。


「自分で言っててとても良い案に思えてきたよ。これも女神様のお導きだ。ほら妻の最期の言葉はこのことだったんだよ。この子の瞳はアランドの花の色じゃないか。そしてこの黒髪。この場所で出会ったというのも神に仕組まれた運命みたいだ。しかも今は冥府の神が支配する黄昏時だよ」


 そう言った後、彼に冥府の神の事を説明した。


 初めて出会った私たちに対して臆することなく質問する姿勢が見える。今は大きな悲しみの中にいるだろうが、利発そうな子だ。


 私は殊更おどけた身振りを意識して、ジョシュアに手を広げた。


「ほら、ジョシュア・カランギルス。考えれば考えるほどぴったりじゃないかね?」


「ぐ…確かにそうかもしれないですけど、養子にするのは行き過ぎじゃないですか?使用人として雇えばいいでしょう」



 使用人では足りない。自分が手ずからこの子を育てたい。こんな諦めたような顔ではなく安心して子どもらしく笑う姿を見てみたい。そんな気持ちが溢れてきて、自分でも驚く。でも、そう、気持ちのままにだ。ミレーヌに関する事はそうじゃなきゃいけない。これは理屈ではないんだ。


「いや、この子を養子にするよ。大きくなった時にまた平民に戻りたければ戻ればいいし、教育を与えるにも養子にした方がやりやすいだろう?その逆は難しいんだから、選択肢が増える方がいいに決まっている。爵位は息子にもう譲っているから、今さら後継者争いにもならないだろう」


 ジョシュアは呆れたようにため息をついて、空を見上げた。よしよしその調子で諦めてくれ。人間諦めが肝心だ。


「まぁ、ヴァージェンス様がそれでいいならいいですけど。どうせ前イーグルトン伯は変わり者で有名ですからね。また一つ噂が増えたところで大したことはないでしょう」


「さぁ、ここまで聞いてどうかな。一緒に来ないかい」


 そうして私は彼に向けて手を差し出すと、彼は慌ててその小さな手を乗せてくれた。冷えた手を少しでも暖めてあげたくて、ぎゅっと握ると彼もまた握りかえしてくれる。小さくて冷たいガサガサのその手がとても愛おしく思えた。


「はい、お願いします」


 彼は顔をしっかりと前に向け、そう言ってくれた。


「そうだ、名前を聞いて無かったな」


「アルートです。宜しくお願いします」


 彼の母親を埋葬した後に、ジョシュアがどこからか折ってきた赤いカメリアを供えた。


申し訳ないですがあと一話だけヴァージェンスの独り言をアップします。年寄りの独り言が長くなってすみません。それが終わってちょっぴし時間を置いて来年位から第二章を始めたいです。

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