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花の標べ  作者: 一ノ関珠世
第一章
14/30

13 晩夏の思い

 

 アルは剣と弓はジョシュアから、座学はヴァージェンスから学び、無事に騎官学校への合格を勝ち取った。アルは持ち前の勤勉さを発揮して、朝も早くから、夜も遅くまで、周りを心配させるほど武も学も磨いた。その甲斐もあって、座学はその年の首席だったようで、合格を知らせる手紙には、直々に学長からのメッセージまで付いていたそうだ。その事をサラがヴァージェンスから聞いた時、周りにいたイグルートン邸の使用人達も一様に誇らしげな顔をしていたのが印象的だった。



 アルは騎官学校卒業後はイグルートン領に帰り、領内に司令部がある第五師団に勤めることを希望している。直接第五師団に入隊することも出来るが、ヴァージェンスは騎官学校に入学することを勧めた。アルは軍人になるには勿体ないくらい勉学も優秀なので、少しでも高等教育を受けて欲しいとヴァージェンスは思ったからだ。そして直接第五師団に入隊するよりも騎官学校を卒業した方が箔も付く上に昇進にも有利だ。貴族の次男、三男では騎官学校に入り、卒業後は長男の治める領地の守りに就くのはよくある話だ。


 イグルートン領でも次期領主はヴァージェンスの長男マクスウェルの息子が継ぐ予定なので、アルが騎官学校に入ることは暗に領主争いに参加しないと表明することとなり、親戚まわりでもその進路はひっそりと歓迎された。


 授業は露月(つゆづき)から始まる。寮に入る準備をするので、南風月(はえづき)の終わりには出発することになった。



 サラはアルを見送りにイグルートン邸に来たはずだが、何となくアルに顔を合わせ辛くて、女神様の庭に来ていた。ここ最近は出発の準備が忙しいだろうと気を回して、イグルートン邸からは遠ざかっていた。もう一か月ぶりだろうか。明日にはアルは発ってしまうので、もう一緒に過ごせる時間なんてわずかしか無いことは分かっている。それでもサラは自分の中で踏ん切りがつかなくて、少し一人の時間が欲しかった。


 去年のように一緒に近くの川で足を浸けて遊んだり釣りをしたりすることも無く夏が終わろうとしている。サラが踏み入れた庭は獰猛で荒々しいエネルギーが満ち満ちていた。サラの腰程まで草が生い茂っており、天頂に近づく太陽に熱せられ、青々しい匂いを立ちのぼらせる。セミは僅かな命を惜しむように盛大に鳴いている。


 サラはそこを掻き分けながら女神様の家の裏手にまわり込んで、膝を抱えて座る。周りの草に自分が隠されているように感じて、少しほっとする。まだまだ暑さは残るけれど、日陰に入ると汗が浮かぶ肌に風は涼しく、秋の香りがする。


 手持ち無沙汰に、目に入った雑草をぐっと力を入れて抜いていく。ずぼっと土のついた細かな根が抜ける度に固まった気持ちも解れるようだった。なんだか小気味の良い気持ちになって来て、どんどん手当たり次第に手をかけていく。地面は穴がぼこぼこ空いて、そこだけが剥げてしまったかのようだった。その近くに無造作に置かれた草は力なく大地に身を投げ出している。


 サラは大きく息を吸って、吐くと、庭の奥からがさがさと急ぐような足取りで誰かが近づいてくるのが分かった。くぐり戸からでは無く、奥からなら大抵はグノ爺だ。そう思ったところで、グノ爺のちょっとしわがれているけれども愛嬌のある声が聞こえてきた。


「おやおや、女神様のお庭でやたらめったらに生えてるものを抜くだなんて何て乱暴な事をしているんだい、サラ?」


 乱暴と言われる程の事はしていないだろうと、サラは一瞬ムッとする。抜いていたのも表の庭では手入れの際に処分されてしまう雑草ばかりだ。とはいえここは表の庭とは少しルールが違うということは感じていた上に、グノ爺の言葉が窘めるようなものだったので、何となく気まずく思って顔を上げることは出来なかった。


 それと同時に、昔祖母と散歩をしながら話したことを思い出した。「ここはね、女神様の庭なのよ。イグルートン家の敷地にあるけれど、厳密にはイグルートンのものではないの。ここに生えるものは全て女神様のものなのよ。」そう言っていた祖母の優しい声が聞こえるようだった。


 サラは大水の後に打ち上げられた魚のように並んだ雑草をじっと見た。じわじわと後悔が忍び寄ってくる。けれど、一度荒立った感情は逃げ場が無くて、口だけは生意気な事を言ってしまう。


「ここでは雑草の処理は必要無いのかしら?」


 何度もその意地っ張りな性格で損をしている癖に、ここぞというところでまた顔を出してしまうのだ。そして言った後で、その言葉を打ち消したくなることは分かっているのにやってしまう。今回もサラは出てしまった言葉に自分が打ちのめされるような気持ちになりながら、唇の端を引き絞った。


 グノ爺はサラの返答を聞くとくりくりした目をぎょっとしたように見開いた。


「雑草?!雑草だって?!どこに雑草なんて名前の草があったかな?」


「じゃあ、これは雑草じゃないの?」


 ぐったりと横たわるようにして地面に置かれた草を指差す。


「おお、それはギシギシじゃないか。これはオヒシバだし、これはアレチノギクだぞ。それぞれがそれぞれの場所で生きているんだから、それを何も考えず抜いてしまうだなんて乱暴じゃよ。力があるからといって、間違った使い方をすると誰かの運命を曲げてしまうんじゃ。力というものはよく考え、適切に使うところを考えなければならないんじゃよ」


 そう言うと、グノ爺はそっと抜かれた草を優しく手で包んだ。


 グノ爺が言っているのは単純に雑草を引き抜く力かもしれないけれど、サラが持っている少し不思議な力のことも言っているように感じた。すぐに身がじりじりする程の羞恥と罪悪感で顔が熱くなる。この力は何のために持って生まれてきたのかは分からないけれど、他の人と違う力はきちんと考えた上で正しく使わなければならないし、責任を持った行いをしなければならない。きっとこの力は女神様がくれたものなのだから。


「ご、ごめんなさい。私が間違っていたわ。小さな命でも大切にしなきゃいけないのよね。ごめんなさい」


「分かれば、よいのじゃ。そしてここの庭は〝あるがまま〟でいることが大事なんじゃ」


「あるがまま?それじゃあ、その草は元のところに埋め直せばいいの?」


 そう言ってグノ爺の手にある草を指させば、グノ爺は手元の草の声を聞くようにぐっと耳に寄せた。そして「……ほうほう……そうかそうか」と言いながらにっこりと笑って、サラの方を見た。


「この子達は女神様に献上されたいそうじゃ。サラ、いつもの女神様の花瓶に挿して、泉で清めた後、歌を歌っておくれ」


「分かったわ。……もしかしてグノ爺は草とも話が出来るの?」


 サラは先程のグノ爺の姿を思い出しながら言った。


「本当は誰でも出来るんじゃよ。聞く耳を持たないだけで」

「…へー…私にも出来る?」

「聞こうとすればじゃな」


 そう言うと、グノ爺はにっこりと笑った。


 サラはグノ爺のように草に耳を近づけてみたけれど、草はうんともすんとも言わなかった。


 サラはすぐに、「何も聞こえないわ」と言ってグノ爺を見ると、「ほっほっほ」と笑いながら納屋に向けて歩いて行ってしまった。女神様に捧げる時に使う花瓶を取りに行ったのだろう。


 サラはため息を一つつくと、自分を清める為に泉に向かった。汗がにじむ手のひらに清水が気持ちいい。口に含むと、思った以上に喉が渇いていたことに気づく。グノ爺から花瓶も手渡されて、そのまま直に花瓶の口をつけて、水も汲んだ。先程引き抜かれてしまった草も土のついた根を丁寧に洗い、花瓶に挿した。


 準備ができたので、深呼吸をする。春以外の季節で、こんな風に女神様に歌を歌うのは初めてだ。少しの期待がサラの胸を過ぎった。


「歌は何の歌にすればいいかしら?」


「うーむ、もう夏の盛りも過ぎたからのう。歌は晩夏の(よい)にしておくれ」


「分かったわ」


 晩夏の宵はゆったりとした寂しげなメロディの歌だ。サラは春の儀式よりも柔らかく手を打ち、歌い始めた。


 手を打つ度に、小さな小さな光が無数に弾け始めた。その光は女神様の家の前の花瓶に生けられた草達に集まってくるくると踊るように廻っている。

 


「夏草茂る草原で 貴方と出逢った

 風涼しくて秋を思う 晩夏の宵は独りで歩く


 汗ばむ髪を濯いで 貴方と心を交わした

 空蝉(うつせみ)を見て秋を思う 晩夏の宵は独りで眠る


 郭公(かっこう)の鳴き声が響いて 貴方は別れを告げた

 紫苑(シオン)の花が咲いて秋を思う 晩夏の宵に(おもかげ)探す」


 

 深呼吸をする。歌の寂しさがひたひたとサラの身体に染み込んでくるようだった。セミの鳴き声もぴたっと止まっていた事に気づく。光の色も春の頃とは違って少し青みがかっているように見える。


 お終いの拍子をタタタンタンと打つと、その光はひゅーっと女神様の家に吸い込まれていった。



――ザザッッ




 大きく女神様の家の方向から風が吹いてきて、周りの草もサラの髪も同じ方向に靡かせていく。風の音とともに、耳元で「ありがとう」と若い娘達が笑いさざめくような声が聞こえた気がして振り返ったが、そこにはいつもの風景に静寂しか落ちていなかった。


 音が戻ってくる。


 途端にうわんうわんと反響するように騒がしいセミや鳥の気配が感じられる。


 グノ爺はぱちぱちぱちと手を叩きながら、近寄ってきた。

 

「ほほ。喜んでおったな。ありがとう、サラ。アルももうすぐここに来るじゃろう。サラもそろそろ素直におなり。時間というものは疾く風のように過ぎてしまうのじゃよ」


 そう言って、グノ爺はサラの頭に手を置いて撫でてくれた。そう言われてしまうと、なんだか意固地になって積んでいた壁を土台から突き崩されたようで、目の奥が熱くなってきて、ぽろっと涙が溢れてしまった。


「分かってるわ」


 急いでぐっと唇を噛み締めたけれど、一度出た涙は次々に出てきてしまう。


「分かっているのよ」


 グノ爺は「そうじゃな……うんうん」と相槌を打ちながら、撫で続けてくれる。


―こうやっているうちに、アルと過ごせる時間はどんどん少なくなってしまう。一刻も早く気持ちの整理をつけて、アルに会いに行きたいのに。


 サラはそう思えば思うほど涙は止まらない。


 サラにとってアルは何でも対等に話せる大事な友達だった。サラは学校でも成績は上位で、今後は上の学校にも進学したいと思っている。学校にも友達はいたが、アルほど知識に貪欲で本のことについて話せる人はいなかった。またアルは友達である以前に親戚でもある。毎週のように週末は一緒に過ごしていて、母や父よりも程良い距離感で、兄よりも年齢が近くて甘えられる存在なのだ。

 


「ほら、アルがやってきたぞ」


 グノ爺がそういうと、アルがくぐり戸からやってくるのが見えた。サラは涙を拭うのもそこそこにアルの方に駆け出した。

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