take1 日陰の僕は知る、日向の彼女を
電話から三十分後、僕はスーツ姿の若い女性を前にしていた。
「うちの白石を助けていただき、本当にありがとうございました。」
「いえいえ、目の前で苦しそうな人がいたら助けるのは当たり前のことですので。」
僕はごく自然なことを言ったつもりだった。
「今のご時世、何かの犯罪に巻きこまれてしまうのではないかと私どもは心配でしたので。尾上さんのような親切な方に助けていただいて、本当に感謝をしています。」
深山さんは安堵の表情を浮かべて答えた。僕はその顔を見て安心したと同時に犯罪という言葉に僕はピクッとした。そういえば、カメラを向けていた人もいたんだ。よく、こういう状況で写真を撮れるよなぁと思う。犯罪なのに。
「そういえば、深山さんはマネージャーさんとお聞きしていますが、何か芸能関係なのでしょうか。」
あっ、と思った時には遅かった。ちょっとでも疑問に思ったことは聞いてしまう。僕の悪い癖だ。
「他言無用でお願いしたいのですが、大丈夫ですか。」
深山さんの目つきが険しくなった。僕は目線を外さずに頷いた。目線には目線で応えなければ。
「実は白石は声優をやっているんです。今はまだ新人なのですが。」
「そうだったんですか。てっきり、僕はアイドルかと思っていました。」
「マネージャーがつくとアイドルというイメージがありますものね。」
「マネージャーがつくということは、白石さんは結構多忙なのではないですか?」
またやってしまった。白石さんの顔色を見ると、貧血というよりも疲労感がにじみ出ていた。僕は今回の件が、多忙によって倒れてしまったのではないかという推測を立てて、それをぶつけてしまった。
「お恥ずかしい限りですが、その通りです。私のマネージメント不足のせいです。申し訳ありません。」
「すみません、失礼なことを言ってしまいまして。」
「いえ、いいんです。そう思われて仕方ないかと思います。声優業界はかなり…」
深山さんは言い淀んだ。あまり話してはいけない内容なのだろう。僕はそれを聞いて
「話題を変えましょう。あまり重い話をしては、横で寝ている白石さんに悪いですし。」
「そうですね。白石へのお気遣い、ありがとうございます。」
深山さんは深く頭を下げた。深山さんは白石さんのことをとても大切にしているんだなと思った。
「目が覚めるまで私がついていますので。また改めてお礼のほうをさせていただきます。連絡先をお聞きしてもよろしいでしょうか。」
きっと、ここで断れば何も起こらないのだろう。この人たちと無関係のままで終われるのだろう。その考えを打ち消すように、好奇心が自分を突き動かした。
「わかりました。」
「こちらが私の名刺です。」
深山さんが名刺を差し出した。
「ありがとうございます。」
僕は名刺を受け取った。名刺には中野プロダクションと書かれている。
「それでは、電話番号をいただけますか。」
あの夏以来鳴ったことのないスマートフォンの電話番号を僕は伝えた。
「ありがとうございます。いつ頃、お電話を差し上げればよろしいでしょうか。」
「そうですね…。昼間でしたら、すぐに電話が取れます。もし電話が取れなくても、講義が終わればすぐにかけなおします。」
「講義ですか…。もしかして、尾上さんは大学生ですか?」
「そうです、近くの古都大学です。」
「ということは、私の後輩ですね。ちょっとした偶然ですね。」
今まで暗い顔をしていた深山さんが少し明るい顔になった。
「私は社会学部の商業マネジメント学科出身なのですが、尾上さんは何学部ですか?」
「僕は理工学部で、化学科です。」
「理工学部って、すごいじゃないですか。化学がお好きなんですね。」
「そ、そうですね。化学は好きです。」
「そういえば、私が入っていたサークルはまだあるかなぁ。」
「どこに所属されていたんですか。」
「メディア放送部だよ。」
「まだありますよ。というか、僕もそこに所属してますよ。」
「そうなんだ、すごい偶然だね。ということは、君は私の後輩だね。ふふっ。」
深山さんから笑顔がこぼれた。本来はこの顔が自然体なのだろう。僕も思わずつられて笑った。
「今のサークルがどうなっているか気にはなるけど、それはまた今度にしましょうか。」
「そうですね、またお会いするときにでも。」
「そうね、今日はこの辺にして…。本日はどうもありがとうございました。」
深山さんが深々とお辞儀をした。僕もそれに合わせてお辞儀をした。
「それでは、また後日に。」
僕は休憩室を後にして、ホームに向かった。
実歩side
「うーん…。」
二人の会話が遠くで聞こえる。話の雰囲気は明るい感じだった。やがて、ドアが閉まる音がした。
「実歩、起きてる?」
美穂さんの優しい声が聞こえた。
「はい、さっき起きました。」
「起き上がれそう?」
「何とか…。」
私は上半身をゆっくりと起き上がらせた。
「ごめんね、私が無理させたせいで。今度からは仕事の量を少し減らすわね。」
「すみません、ありがとうございます。」
「いいのよ、身体が資本だから。無理して身体を壊したら、仕事に影響が出てしまうもの。今夜はゆっくりしましょうね。」
「はい。」
「それと、今日助けてくれた人、尾上さんって言う人なんだけど。今度、お礼をするんだけど、実歩はどうしたい?彼、この近くの大学にいるみたいだから、連絡さえつけば近いうちに行くけど。」
「美穂さんから見たら、その人はどうでしたか?」
「うーん、そうね。あなたのことは知らないみたいだし、会っても大丈夫かもしれないわ。新進気鋭の声優の白石実歩さん。」
からかうような声で美穂さんが言った。
「美穂さんが言うなら、直接会ってお礼を言いたいな。」
「わかったわ。場所はまた調整しておくわ。」
「お願いいたします。」
私は頭を下げた。助けていただいた以上、何らかの形でお礼はしておきたかった。
「それじゃあ、帰りましょうか。外に車を止めてあるから。」
「はいっ!」
私は元気よく返事をした。
泰典side
「ふぇっくしょん!」
帰りの電車をホームで待っていた時、盛大にくしゃみをした。今日はとても冷える夜だなと思った。
(白石さんか…。声優をやっていると聞いたけど、どんな作品に出ているのだろう。)
学部の授業が忙しく、ここ一年のアニメを追えていない。僕は検索サイトで調べ始めた。そうすると、今期のアニメが検索でヒットした。
(えっ……。)
僕は目を疑った。
(メインヒロインを演じてる…だって!?)
他にも今年の夏や秋アニメで、数えればたくさんの作品に出演していた。
(そりゃあ、多忙だよな…)
僕はスマートフォンをポケットにしまい、家に録り溜めてあるアニメを見ようと決めたのであった。少しでも、白石さんという声優さんのことを知ろうと思ったのだ。