あなたにこうして詠んでほしい
前節で、こんな感想はせっかくもらっても扱いに困る……という、まあ贅沢な、我儘な話をしましたが。これはその続き。
じゃあ、どんな感想が欲しいの? という話です。
畏れ多くも詩のジャンルの末席を汚している身分で、勿論えり好みするわけではありませんよ。いただいたものは何だって嬉しいですし、全て有り難く頂戴し、真摯に感謝いたします。
で、それはそれとして、「じゃあ自分はどんな感想がほしいの?」と改めて自問自答してみるわけです。あるいはこれは、私が誰かの詩に感想を付けたいときに指針としたい覚書。
さて。
引っ張ってますが、まだ核心まで行きませんよ。
先に、私にとって詩とは何か。
思想や主義、信条の発露ではありません。何か伝えたい強い思いがあるわけでもない。社会風刺なんて及びもつきません。
だから、私は詩を作るけれども、その詩に何か思いを込めたりしているわけではない。誰かに何かを伝えたいわけではない。
詩にしても小説にしても、それは自己発露の表れであろうと言う人もいることでしょう。それも別段、否定はしません。自分の得たもの、あるいは内なるものを何かしらの形で表出したい、表現したいという欲求。それは勿論あります。思いついたから書き始めるものであり、書いたからには折角だし誰かに見てもらいたい。恥じるような感情ではありませんね。
話を戻しますと、詩を作るときは無からひねり出すわけではありませんから、何かしらの感情といったものはあります。それが、もし伝わるのならば、それは素晴らしい。
けれども、別に伝わらなくても構わないのです。
詩を通して、誰かに何かを伝えようとは、取り立てて思っていない。そもそも伝えたくたって、それが十全に伝わるとは思っていません。
「これはこういう気持ちなんですね! 共感します!」と教えていただいても、実は私がその詩を作った感情は全く違ったりすることがあります。けれど、別に「違うよ!」と言うつもりはない。私の作ったものから得てくれたものを、否定したりはしない。
何かを伝えるつもりはない。
けれど、何かを感じてもらえれば、それが一番嬉しい。
私の詩を読んで、何かの感情を得てもらえれば。何かを思い起こしてもらえれば。昔見た景色を思い出したり、かつて得た感情がうっすらとでも感じられれば。
私の詩を読んだことで、その人の何かを喚起することができれば、それが一番嬉しいのです。それが、私が詩を作った感情と全く関係なくて構わない。
詩を作ったのは私だけれども、その詩を読んだのは貴方で、得られた感情は貴方のものだ――もっと言ってみれば。
あなたが読んだその詩は、もう貴方のものだ。
私の作品は、貴方を通して貴方の感情となる。貴方のものを、どうして私が否定できようか。……気取った言い方になったのであえてはっきりと明言しておきますが、これは盗作してもいいとか無断転載してもいいという話ではありませんからね? もっとも、私の作品にそこまでさせる力があるかはわかりませんが。
とにかく、そういうことです。
私に、貴方の気持ちを否定する権利はないし、貴方にも、私に否定される謂れはない。
だから、教えてほしい。
私が書いた詩を読んで、貴方が何を思ったのか、誰を想ったのか、教えてほしい。
何を思い出した?
どんな気持ちになった?
どこを思い描いた?
何でもいい。
言葉が貴方の心を動かし得たのだと、教えてほしい。
とは言ったものの、申し訳ないことに、それでも私は返信に困るでしょう。各人のことだ、私の踏み込んでもいい領分ではない。読んでくれてありがとう、感想をありがとう。それしか応じられないかもしれない。だから、私の語彙力のなさを許してほしい。
だから、どうか。
私のことは考えずに、貴方の気持ちを、貴方の言葉で教えてほしい。それが、一番嬉しい感想だ。
とは言え、別に厳しい言葉はいらない! というわけでもないですよ。それはそれでありがたくいただきます。添削は本当に扱いに困りますが、アドバイスでも(詩に対するアドバイスって何なのかちょっと想像つきませんが)、苦言でも。
我儘だと思いますか?
いいじゃないですか。誰だって、ほしい感想がほしいものですよ(笑)
なんてね。
と、そんなお話なのでした。




