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私はこうして詩を作る


 詩を書く人たちは、どうやって詩を作っているのだろう。この場合、職業詩人よりも趣味詩人から話を聞いてみたい。

 私の場合。

 何かしらのきっかけがなければ、どうしても詩を作ることができない。



 【詩を作りたい】→【考え出す】



 これが非常に難しい。創作欲求先行で強引に作ろうとすると、我ながら非常に幼稚な出来栄えに仕上がってしまう。これでは、作りたくて作ったのに不満が残り、とても無念でして。作りたいときに作れない。

 というわけで、きっかけなのです。



 【きっかけ】→【詩にしたい】



 これは何でも構わない……というより、何がきっかけになるのかわかりません。移動中の景色、人、見かけたCM、音楽、歌、言葉、フレーズ等々。それも、見た・聞いたその場ではなく、しばらく時間が経ってから、全く関係ないないときにふと思い出して「あ、書ける……」となることがあります。バイト中に高校の頃の何かを思い出して書きたくなったことがありました。バイト中なのでその場では書けませんでしたが。


 そうしたきっかけで浮かぶのは、大抵が一語、ワンフレーズ、その程度。

 そこから膨らませていく。


 勢い膨らませていくなどと言いましたが、しかしこの行程は、私の場合ちょっと恥ずかしいところがあるんですよね。

 作っている自分をして、きっかけの一言の他はほとんどがただ「知っている言葉を並べただけ」なのです。似たような意味、響き、印象の単語を組み合わせる。そんな組み立て方になってしまう。そんな自分を揶揄した、半ば自虐的な詩を書いたこともある。

 視覚的なところにこだわることもある。全てのれんの字数を揃えようとしたことがありました。まあ、いつでもできるものではないですけどね。

 それから、こだわりではないけれど、癖というか傾向として、音数を揃える向きがあります。五七五とか、そういう意味の音数だ。全体に、声に出して読んだときのリズム感を揃えたがる。我ながら中々な出来栄え、と密かに自賛している詩は、特にこの傾向があるように思いますね。何の気なしに詩を書いていたけれど無意識に音数を揃えていて、ふとそれがズレたときに音の揃えに気が付いて「ぬ」となる。そこまでするとどうせなら揃えたくなるのが人情。


 内容としてはどうか。


 初めの頃は、物語のような詩を作っていた。これは今でも作りたいけれど、そう易々とは作れない。

 それから、技巧的に何かしらの拘りを持っていた時期もある。先に述べた音数やら、視覚的なところ。この流れは今も引いていたりします。

 それ以外は、これといった特徴はありません。強いて言うなら、これが何とも言いにくいのだけれども、「自分とは関係ない詩」になる。

 きっかけは私の見聞きしたこと、経験などであるのは確かなのだけれど、二歩を踏み出したところでフィクションになる。

 この点が、他の詩を書いている人がどうやっているのか聞きたいところですね。いや、どうやってというよりは、何を思って、かな。

 自分の書いている詩に、自分の思想や信条を込めない。小説を書こうというときと同じように、フィクションとして詩を作る。だから私の書く詩には、女性的(というか、一人称が女性)なものも結構多い。

 込めないというよりも、込められないという方が正しいか。

 喜怒哀楽とか、感情、強い思い、主義、主張、信条を込められない。無理に入れようとすると、本当に幼稚になってしまう。それが酷くもどかしい。

 きっかけとしてそういったエモーショナルな要因があることは、勿論往々にしてある。けれど、詩にしようとしたときには既にフィクションになっている。

 だから悪い、とも思いませんけれども。自分の作った詩は、そりゃあ可愛い。というわけで、自分の詩の作り方にはそれなりの満足を得てはいる。


 と、そうは言ったものの、じゃあ「感情に乗った詩」は全く書けないのか? というと、これも否。絶対に書けないというわけではない。

 多分、感情の強さも関係あるんじゃないかと思います。

 大概の場合、一瞬訪れた感情というものは、一瞬だから、長く心に残ってくれない。ただでさえ形のない、捉え難いものですから、引き留めたくてもとどめられない。だから、去来した感情の残滓を必死に手繰り寄せて作ったものは、真実だけれども生きていない。ゆえに(勿論語彙力の問題でもあるけれども)幼稚な出来になってしまう。それが理由。

 ただ、極稀に、「生きた感情」のまま最後まで書き上げるに至ったものも、少ないながらもいくつかはあります。そういったものは、無理をしていないから、出来上がりを見ても不満を感じることはありませんね。

 まあいずれにしても、始まりはどれも本物なので、優劣をつけるものでもありませんが。



 ことのついでに、どうして詩を書くのか、と言えば。

 詩を書くのが好きだから書いている、という、これに尽きます。



 さて。

 では他の人たちは、どうやって、何を思って詩を書くのでしょう。

 何か伝えたいことがあって詩を書くのだろうか。

 思想や信条、溢れ出るパッション、社会風刺、あるいは。

 聞いてみたいものです。



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