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後編

 Z案件の開発プロジェクト発足当初、室戸が最も重要視したのは、コミュニケーションパスを整えることだった。開発現場で日々、発生する問題を室戸が全て精査することは出来ない。室戸はその代わりに、課題管理システムをこまめにチェックした。そして、未解決課題の多いチーム、または課題そのものの起票が少ないチームのリーダーとよくコミュニケーションを取り、状況の報告と改善を求めた。

 プロジェクトが始まって、帰宅が遅くなる日が続くことがあった。家族の理解が得られていたことは、室戸にとって幸いだった。

「芽衣の世話、任せっぱなしでごめんな」

 室戸の妻、美沙子は優しく笑って答えた。

「いいのよ。あなた、楽しそうだから」

 また数ヶ月が経った。Z案件の開発は佳境に入り、室戸は客先や現場を忙しく飛び回る日々を送っていた。自然、自社であるトーケンソフト社のオフィスを不在にすることが多くなった。

 九月のある週、室戸は木曜日に初めてトーケンソフト社に出社した。昼休み、席で弁当を食べていると、通り掛かった安藤が話し掛けてきた。

「室戸さん、Z案件、順調じゃないですか」

「まだまだ、これからだよ」

 室戸は箸を休めて、答えた。

「いや、すごいですよ。G社の開発リーダーが絶賛してました。『こんなに仕事がやりやすかったことはない』って」

「ああ、あの人か。あの人こそ、よくやってくれて、助けられているよ」

 安藤はふと思い出したように、手を打ち鳴らした。

「そうだ。室戸さんに相談したいことがあったんですけど、今度、また飲みに行きませんか?」

「なんだ、珍しいな。ええと……今週は難しそうだから、来週の水曜あたりでどうだ?」

「わかりました! ありがとうございます!」

 しかし、その約束は両者の都合がなかなか合わず、結局、雲散霧消してしまった。そのことを、室戸は一時、後悔することになる。

 それから三ヶ月後の十二月、室戸のZ案件開発プロジェクトは、無事にカットオーバーを迎えた。

 室戸は、デスマーチを出さないことを個人的な最低目標としていた。だが結果として、いくつか技術的に新しい試みも取り入れつつ、品質の高いシステムを納品することができた。誰が見ても、文句のつけようがない出来栄えだった。

 第一システム部の忘年会を兼ねた打ち上げの席で、室戸は同僚から口々に「おめでとう」と言われた。その中にはもちろん、安藤の姿もあった。

「安藤。そういえば、この前の相談って何だったんだ?」

「ああ、あれは大丈夫です! もう解決しました!」

「そうか。それなら、よかった」

 安藤はその夜、かなり羽目を外して飲んでおり、酩酊している様子だった。


 年が明けた後も、室戸は年末に納品したシステムに関する保守計画の打ち合わせや、運用チームへの引き継ぎなどで、再び自社オフィスを不在にする日々が続いていた。

 安藤とまた、すれ違う日々が続いた。彼も今は客先に常駐しているそうだから、仕方ない。室戸はそう思っていた。

 三月、トーケンソフト株式会社では毎年、全社会議が開かれ、その年度中に目覚ましい活躍をした社員が表彰されるという制度がある。第一システム部のメンバーは、よほどの緊急対応がない限り、全員その会議に出席することになっていた。

 その年、室戸は大型案件をやり遂げた充足感を持って、全社会議に臨むことができた。しかし、その会議でまさか、自分が表彰されるとは思っていなかった。

「本年度のMVPは、ビジネスソリューション事業部第一システム部、室戸孝治さんです!」

 室戸は、寝耳に水を浴びせられたように驚いた。彼は驚きと緊張のあまり、表彰台に上がる階段で足を躓き、転びそうになった。

「それでは、受賞のコメントをお願いします」

 司会の言葉の後、室戸は渡されたマイクを持ち、社員全員と向き合った。

「このような賞をいただき、誠に光栄です。……」

 第一システム部の面々は、思ったより表彰台から近くにいて、室戸は一人ひとり顔を識別することができた。

 ――あれ?

 室戸は気づいた。安藤がいない。安藤の顔は、何度探しても見つからなかった。たまたま、その付近にいないのか。それとも、客先でトラブルでもあったのだろうか……。

 翌日、出社した室戸は部長に訊ねた。

「部長、安藤はどうしたんですか? もう一月以上、姿を見ませんが」

 部長は一つ、大きな溜め息を吐いた。

「お前には伏せておいてくれと頼まれたんだが、もういいだろう。安藤は二月付けで退職したよ」

「なんだって」

「『室戸さんがいる限り一番になれない』そう言っていた。別の会社で、お前を越えるプロジェクトマネージャーを目指すそうだ」

「そうですか……。彼なら、なれるでしょう」

「いずれは、そうかもな」

 オフィスの窓から、公園を彩るソメイヨシノの姿が見えた。満開の桜は鮮やかに胸を掻き鳴らし、音もなく散って、去って行った。


 安藤に連絡をしよう。室戸はそう心に決めた。

 また、あのバルで。今度は、俺の話も聞いてもらおう。


(了)

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