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Berry(旧)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
イブニング‐夕飯の町
28/39

1.夕飯通りにて

 夕飯ディナー通りに犬は連れてこないでくださいという注意書きがあった。


 昔は人間以外お断りと書かれていたらしく、それを巡ってたくさんの問題が議論されたと聞く。現在も、二足歩行の動物たちに偏見を抱く人は多い。

 私だって、全く差別や偏見など持っていないと胸を張ろうにも、実はちょっと自信がなかったりするのだ。


 たとえば、クーガー族。


 これまで私はクーガー族というのは頑固で無口で威張っていて何かあれば牙を見せつけるような恐ろしい人たちばかりだと感じていた。

 もちろん、そのモデルとなる人物はいる。私の故郷トワイライトで共に子ども時代を過ごした人の中に、クーガー族の少年がいたのだ。彼はそういう人物だった。彼の父母のことはよく分からない。ただ、身近な例が彼だけだったので、いつの間にか私の心の中にはクーガー族の特に男性についての輪郭は出来上がってしまっていたのだ。

 しかし、この男性――ライオネル=ウォードというクーガー族は、私が幾年かかけて築き上げてきたこの無意識のモデルを粉々に打ち砕いてしまった。考えてみれば当たり前のことだ。我々人間にだっていい人もいれば嫌な奴もいる。ただそれだけのことなのに、抱いていた印象と少しそれたくらいで物凄く驚いてしまうのだ。


 気づいてみれば、私の感じている日常は偏見だらけかもしれない。


 たとえば、この場所。


 ブルーとライオネルと三人でミルキーウェイを去り、呑気な旅のあとでようやく足を踏み入れたイブニングという町と、そこに住む人々についてもある程度の偏見がある。

 イブニングの住人は料理に口煩い。とりわけ、一日の疲れを取るための夕飯への情熱は計り知れない。もしも、あなたがイブニングの者と縁があり、花嫁としてあるいは花婿として移住することになったのなら、覚悟しておくように。毎晩毎晩あなたはその日の夕食についての熱のこもった感想と考察、明日以降への課題などについての発表を聞かされることになるだろう。

 そんな話を何度か聞いたことがある。実際にどうなのか、それは分からない。私がここへ立ち寄る時は、仕事として旅人に夕飯を振る舞う者としか関わらない。確かに、意識してみれば他所の村や町と比べて三食のうち、夕飯の時だけ説明がやや多いような気がする。しかし、囁かれている噂と比べれば些細なものに思うのだ。


「ああ……確かになあ」


 飲食店街を歩きながら、私はそんな話をライオネルにしていた。ライオネルは腕を組みながらうんうんと頷いた。


「この町にゃ、オレやカチナの知り合いもそこそこいるが、夕飯に関する熱弁なんざ聞いたことはない。まあ、その話から察するに、家族にでもならなければ熱意に触れることなんてないのかもしれんがねえ。あ、ひょっとして、ブルー坊だけは今頃聞かされていたりしてな」


 ちなみに、ブルーは宿で留守番している。可哀想だが、飲食店街は四足歩行の動物を連れて行ってはいけないと言われてしまったのだ。ブルーだけは特別にというわけにもいかないし、何より、ブルーにとっても危険だ。幸い、他の客が連れた犬やウマ、猫やタカといったものたちも一緒だから寂しくはなさそうだし、宿の人たちがこだわりぬいたご飯も用意してくれるようなので、過剰に心配する必要はないだろう。

 ただ、私個人としては、ちょっと寂しかった。


「それにしても、たった三十年前まではオレみたいなモンもこうしてこの通りを歩いちゃならなかったとは、恐ろしいもんだね。現代に生まれてよかった」

「現代でもまだまだ過激なことを言う人もいるようだけれど……」


 もちろん、そんな輩が今近くにいたとしても、嫌がらせや揶揄いの相手はクーガー族の男なんかではないだろう。そういう時にターゲットとなるのはウサギ族やネズミ族などのような力の弱いものばかりだ。ライオネルに対して強く出ることが出来る者がいるとすれば、その者もきっとクーガー族やクマ族のような体格に恵まれた人物だろう。


「ひ弱な人間の坊ちゃんが選民思想的なことを言っているくらいなら可愛いもんさ」


 ライオネルは笑いながら言った。


「むしろ問題があるとすれば、力のあるオレのお仲間でそう言う輩がいるところだろうかと思うがね。どんな一族だって同じだ。いい奴もいれば、嫌な奴もいる。もともとクーガーってやつは誰かを食って生きてきた。だから、自分よりも弱い奴を殺したって罪じゃないと本気で言う危険人物もいるそうだ。ほら、歴史に名を刻むほどの殺人犯ってやつにも、クーガー族はいるだろう? まあ、これはクーガーだけじゃないんだがね」

「クマ族やオオカミ族にも有名な殺人鬼はいるものね。でも、人間がそうならないわけでもないし、力の差を道具や毒物、ベリーなんかで克服したパターンとしては、ネズミ族やウサギ族の殺人犯もいるわ」

「んまあ、そういやそうだな。確かに、深く考えてみりゃ、現代は純粋な肉体の力差なんて道具なりなんなりで簡単に覆るわけだ。結局、ヤバい奴はどの種族もヤバいし、冷静に見て見ればそうじゃない奴の方が多いかもしれないなあ」


 それでもやっぱり、暴力的なことを考えているのがクーガー族かネズミ族かでだいぶ印象は変わる。

 同じ暴言――たとえば、殺してやるなどという過激なことを言われたとしても、ネズミ族ならば殆どの人間が舐めてかかるし、クーガー族に言われたら怯えきってしまうだろう。

 この感覚を完全に消し去るのは不可能だろうと思う。それが絶対にいけないとは思わなかった。ある程度は仕方のないことかもしれない。しかし、その違和感に気づくだけでも、今後の視野が広がるような気がした。見える範囲が広がるだけで、見逃していたチャンスを拾えるようになるだろうと思うからだ。


 さて、今の気付きで、私の視野はどれだけ広がっただろうか。あまり変わらないような気もした。


「世の中って広いのね。世間は狭いというけれど、見渡せない場所ばっかりだわ」

「お嬢ちゃんのように若い人は特にそうだろうさ。いや、ラズ嬢は旅をしている分、同じ年頃の姉ちゃんに比べればよく見ているとは思うけどね」

「そうかしら。一か所にとどまっていない分、隅々まで見ていない可能性もあるわ」

「ほう、というと?」

「例えば、故郷のトワイライトですら、隅々までよく知っているわけではないの。平均的に各地を知っていたとしても、実家でずっと暮らしている家族に比べれば、トワイライトに関する知識は全然ないって言ってもいいかも」

「なるほどねぇ。うむ、よく知っているようで実は知らないってものは多いよなあ。場所もそうだが、人もそうだ。ずっと身近にいても分からないことは多い。オレもカチナのことについて、まだまだ知らないことがいっぱいあるなあ」


 一人笑うライオネルを横目に、私は考えた。


 身近な人か。なるほど、確かに私が知らないものといったら場所やベリーだけじゃない。追いかけている兄ブラックについても分からないことだらけだし、そんな兄を許そうとしないのクランの心も同じだ。母や祖母、姉もそうだし、亡くなった父だって同じ。血の繋がる家族だからって何でもかんでも分かるわけじゃない。


 そうだ。共に旅をするようになって長くなってきたブルーだって同じ。


 分かっているようで分からないこともある。言葉にしない感情を察するのは難しい。ただの犬猫と比べて、ブルーは喋ることが出来る分、有利に思える。だが、喋ることが出来るという特徴に甘えて分かろうとすることを疎かにしてしまえば、見落とすことだって多くなるだろう。

 ブルーは今、何を思いながら待っているだろう。宿に一人残されて。せめて、いいお土産を持って帰ることは出来ないだろうか。


「あ、此処だよ、此処」


 と、ライオネルが指を差して立ち止まる。

 見れば、先ほど紹介された通りの看板があった。ベリーを使った料理が有名で、旅人の多くが利用するのだという店だ。兄ブラックが立ち寄っている可能性も十分あるだろう。客は多くもなく少なくもない。座ることが出来るだけでもありがたい。


「ブルー坊へのお土産も考えなきゃだなあ。あ、そうそう、お土産って言えば、知り合いには各店のお持ち帰り用の容器のコレクターとかもいるらしい。この店の容器も、お持ち帰り用もお店用も、なかなか個性的で面白いんだ。楽しみにしているといいかもね」


 ライオネルは上機嫌でそう言うと、ずかずかと店に入っていった。その後に付き添って入ると、店内の客たちがちらほらとライオネルの姿をやや怯えた様子で見ていることに気づいた。

 店員は人間もいるが、多くはエルク族だった。若い雰囲気の店員も客と同じくライオネルの姿にやや怯えていたが、ベテランとみられる店員は違った。


「おう、ライオネルさんじゃないですか。久しぶりですね。いつ、イブニングに?」


 カウンターに座るライオネルに向かって、親しげに話すのはエルク族のベテランらしき店員だった。


「今日来たばかりさ」

「そちらは?」


 蹄の手で指さされ、隣に座る私はやや緊張した。知り合いの知り合いという微妙な関係が、ある種の居たたまれなさを産んでいる。


「旅のお供だよ。一緒にカチナの所に向かっているのさ」

「おや? カチナさんは一緒じゃないだ。いいんですかぁ? カチナさんの見ていないところで女の子と二人きりだなんて」

「あんたまでそう揶揄うか。二人旅じゃないさ。もうひとり、宿でお留守番している仲間がいるんだ。そいつがこのお嬢ちゃんの正式な連れでね」

「おやま、一人でお留守番ですか」

「ええ、ちょっと理由があって」


 まさか四足歩行の喋るオオカミだなんて言えるはずもなく、私はそう誤魔化した。


 それにしても、親しそうだ。


 私も各地を回るようになってしばらく経つけれど、こうして友人を増やしていくようなことはあまりなかった。全くいないわけではないが、お店のこともあるし、暇な時間はほとんど兄のことばかり考えていた気がする。

 クランはどうだろう。彼の性格的に、ライオネルみたいに友人が多いのだろうか。姉として心配なのはその逆だ。無駄に敵を作っていないかという点。


 ぼーっと考えていると、店員と談笑していたライオネルがふと私を窺ってきた。


「どうした、ラズ嬢。疲れたかね」

「いえ、ちょっと家族のことを考えていて」

「家族……? 宿に残したブルー坊のことかい?」

「違うわ。私と同じように旅してまわるベリー売りの弟のことよ」

「ああ、前にちょっと言っていたね。お兄さんを恨んでいる弟君。たしか、名前はクラムだったかな」

「惜しいわね。クランよ。ちょっと間違っただけで気にする神経質さんなの」

「はっは、手厳しいね。それだけ自分のもらった名前大事にしてるってわけだ。家族思いなんだねえ」

「……そうだったら、尚更、兄さんのことを許してあげてほしいわね」


 素直に納得できなかったものの、確かにクランはクランで家族思いなところもあるのかもしれない。それなら兄のことについても協力してほしい気持ちはあるけれど、想いが強すぎるあまり、身勝手にも帰って来てくれない兄のことが許せないのだとすれば少しは理解できる。

 私も各地の店に伝言を頼んで、それから進展がないことに悩むたびに、兄を嫌いになってしまいそうなことがあった。それではいけない。家族は彼の帰りを待っているのだ。ここで私まで拒絶してしまえば、本当に兄は帰る場所を失ってしまう。それはきっと、死んだ父も望んでいないだろう。


「ラズ嬢も家族思いだね。きっと将来はいい家庭を築くんだろうね」

「そんな予定はないわ。出会いもないもの。出会ったとしても、兄さんのことが最優先よ。恋している暇なんてないの」

「おや? そりゃ残念だね。誰かいないのかい、気になる人とかは」

「うーん、いない。私が恋している相手はベリーくらいのものだもの。四六時中一緒にいるのもブルーだけだし」

「ブルー坊か。彼は恋人候補にはならないのかい?」

「――えっ?」


 よく見ればいつの間にかライオネルの手元にはグラスがあった。私はまだ頼んでいないのにいつの間に頼んでいたのだろう。慌ててメニューを確認し、私もまたブルーアイズを頼むことにした。他にもアルコールの入っていないベリー入りカクテルがいくつかある。ご当地カクテルも数種類。そのうちの一つはお酒じゃない。次はこれを頼もうか。


 まあ、それはいい。それよりも、ライオネルだ。

 いったい何を言い出すのだろう。水の入ったグラスを手に取りながら、冷えを味わう。妙に火照った体にはちょうどよかった。


「へっへ、今日はおっさんの雑談に付き合ってもらうぞ。オススメのうまいもんも頼んどいたから楽しみにしていてくれ」

「酔っぱらっているの、ライオネルさん?」

「いい酒だからな。だが、ほろ酔い程度だ。いいじゃないか、くだらない質問したって」

「別に悪いわけじゃないけど……そうね、ブルーはいい子よ。でも……うーん、いまいち想像がつかないわね。ブルーが恋人か……」

「いつも一緒にいるし、息もぴったりじゃないか。嫌いなわけじゃないだろう?」

「もちろんよ。ブルーのことは好きよ。でも、好きにも色々種類があるじゃない」

「種類ねえ」

「たとえば、両親や兄弟姉妹への好きって、恋愛の好きとは違うでしょう? 友達もそうだけど」

「なるほどねぇ」

「……ブルーは確かに家族ね。でも、仮に彼が人間だったとしても、恋人ってイメージはあまりないわ」

「ラズ嬢はどんな相手と恋人になりたいんだい?」


 グラスを傾けながらライオネルが訊ねてくる。私は考え込んだ。

 そう言えば、あまり真面目に考えたことがなかった。トワイライトの友人たちとろくに恋話なんかもしないうちに旅立ってしまったせいもあるし、暇な時間もほとんどベリーについて調べたり、知ったりすることに費やしてしまったせいでもある。そういえば、私はどういう人が好きなのだろう。改めて考えると、自分でも不思議だった。


「よく分からない。でも多分、ベリーに詳しい人だと思う。尊敬できる人かも。きっとそうだわ」

「相手は人間の男性?」

「たぶんそうね」


 そう答えたものの、ふと疑問を抱いた。

 恋人というものは当たり前に同種族を想定していた。でも、なんだかんだあって二足歩行の動物と結婚する人もいると聞くし、二足歩行の動物たちも異種族同士で結ばれることもあるらしい。

 ライオネルだって、異種族であるカチナをパートナーにしているのだ。クーガー族とネコ化の呪いの犠牲者と聞くと近しい存在かもと思いがちだが、意外とそうでもない。それでも、ふたりは結ばれ、こうして離れ離れで行動していても思い合える関係を築けているのだ。そこには異種族間という壁など存在しない。

 もちろん、何もかもうまくいくというわけではないのだろうけれど、改めて考えてみれば感心してしまうものだった。


「ブルーがもしもオオカミ族だったら、ちょっとは想像しやすいかも」

「なるほど、オオカミ族か。で、そうだったらどうなんだい?」

「……そうね。うーん、どうだろう。戸惑うかもしれない。たぶん、私の中でブルーの位置が決まっているからだと思う。私の中で、ブルーは無邪気なワンコだし」

「オオカミ族自体はどうなんだい?」

「別に嫌ってわけじゃないわ。そうね、惚れるような機会があったら、オオカミ族のブルーも恋人になっているのかも」

「問題は、ブルー坊がオオカミ族じゃないってところか」

「そうね。やっぱり四足歩行のオオカミを恋人にしている姿って想像できないわ。話が通じているといってもね」


 自分で言っていて、引っかかるものがあった。

 夕飯通りに犬を連れてこないでください。その注意書きを見たとき、そして、その前に宿の店主に忠告されてブルーを置いていくことになったとき、私は寂しい気持ちを抱いたのだ。ブルーに申し訳ない。可哀想だと思ったのだ。それなのに、こうして考えてみると、私だって何処かで線引きしている。


 これは思っているよりも根深い問題なのかもしれない。かといって、どうすればいいのかという答えはすぐに見つかりそうでもなかった。ぼんやりと考えていると、さきほど頼んでおいたブルーアイズが、ライオネルの言った通りかなり個性的な杯に入れられた状態で差し出された。その青みを見つめていると、ブルーの顔が脳裏に浮かんだ。


 ユニークなオオカミのブルー。彼はその目でどんな世界を見つめているのだろう。想像しようにも、想像力の足りない私には何も浮かばなかった。


 しばらく考えながら、ブルーアイズの味を確かめる。グラスのデザインを目にしながら、ライオネルのくだらないと自ら言う雑談に付き合いながら考えていると、いつの間にか頼まれていた料理を差し出された。この辺りの土地でよく採取される十五種類のベリーを砕いて混ぜたパイである。差し出された直後、エルク族の店員がこの料理について語り始めた。料理が冷めないうちに、そんな言葉が少しずつ死んでいく中、私は考え続けた。


 ブルー。

 彼の目から見た未来はどんな色をしているのだろう。そして、そんな愛すべき相棒と、私はどんな関係を築いていきたいのだろう、と。

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