7.心配していた赤ずきん
ベリー市の一角に雷が落ちた。
暗くなりつつあるミルキーウェイの空は雲一つなく、星が瞬いている。月は出ているだろうか。出ているとしたら美しいだろうか。そんなことを思いつつも、そんなことを確認することが出来ないまま、ボクは両耳を倒し、尻尾をお腹に巻き付けていた。
見上げた先ではラズのおっかない目が見える。ナッツのような色の目が、ボクに対して激しい怒りを覚えている。なんてこった。目を逸らすことも出来ないまま、ただただ謝ることしかできなかった。
「まあまあ、ラズ嬢」
と、そこで能天気な声でかばってくれたのは、ライオネルだった。
「ブルー坊はアンタの為を思って……」
「急いで追いかけなくたって、よかったの。オハレ場長に聞けばいつだってスターライト劇場に行けたわ。ブルーが一人きりで突っ走る必要はないの!」
ラズが怒っている理由、それは、ボクが勝手に飛び出し、暗くなるまで帰ってこなかったからだ。ボクは伏せた状態でラズの言葉を受け止めていた。
「ごめんなさい、ラズ」
泣き出しそうな思いで謝ると、ラズはかがんできた。
人間の大人が子どもにするというげんこつを食らうのだろうか。そう思って目を閉じていると、ふと柔らかくて甘い香りがボクの身体を包んだ。
「……ラズ?」
ボクの身体を抱きしめながら、ラズは震えた声で言った。
「ライオネルさんに会えたからよかったものの、一人でミルキーウェイの町で迷子になっていたらどうするの。鑑札があったって、役場に連れてかれちゃって何らかの手違いで……。いいえ、そうじゃなくても、何処かで事故にでもあっていたら……。ああもう、心配したのよ、ブルー」
「ラズ、泣いているの?」
女の子が泣きだした。肩を震わせて、とうとう泣き出してしまった。こっぴどく叱られるだけだと思っていたボクは困惑しながらラズを見つめ、そして縋るような思いで、ボクたちの傍で見守っているライオネルへと視線を向けた。
ライオネルは無言でボクに何かを促す。そうだ。彼は助け船なんて出さなくてもいい。見守ってくれているだけで十分だ。ここはボクが、ボクの考えで、ボクの言葉で、ラズに話しかけなければ。
「ラズ、ごめんね」
さっきのような怯えはなく、ボクの尻尾はゆらりと動いていた。
「すごく心配かけちゃったみたいだね。飛び出したりしないで、ちゃんとラズに確認すればよかったんだよね」
ラズは無言で顔をうずめていた。
こういう時、軽く背中を叩くのが親しい人間の行為だと聞いたのだけれど、ボクにはうまくいかない。それでもどうにか片方の前足を使って、ボクはラズの背中をそっと抱きしめてみた。とても温かかった。
そうしているうちに、ラズは少しずつ落ち着いていった。背中にまわしたボクの前足にとっと手で触れ、大きくため息をついてから先ほどよりもしっかりとした声で言った。
「ごめん、ブルー」
いつものような落ち着いた声だ。
「怒鳴っちゃったわね。ブルーだって私のために追いかけてくれたのよね。その気持ちはすごく嬉しいの」
優しい言葉を聞けて耳がピンとたった。目が細まり、口が自然に開いたこれこそが、笑みというものなのだろう。いつも笑う練習をしていたせいか、自然に出てきた。今までもそうだったのかもしれないけれど、この時にはっきりと自覚した。
同時に、目が潤んだ気がした。嬉しかったり悲しかったりしたときに泣くことって、これまでボクはあまりなかった。目がしょぼしょぼすることはあっても、涙は出なかったのだ。それでも今、一筋だけ、涙らしきものがこぼれたのが分かった。
ラズはこんなにもボクを思ってくれている。ボクだけの片思いなんかじゃない。それが恋だろうが恋でなかろうが、家族愛には違いないのではないだろうか。そんな希望を感じるだけで、ボクは幸せだった。
完全に落ち着いたのか、ラズはボクから離れ、そして立ち上がってライオネルに向かって丁寧にお辞儀をした。
「ライオネルさん、今回は本当にお世話になりました」
「そう畏まらなくたっていいよ。ついでだったし、ちょうど知り合いだったからね。オレとブルー坊でいろいろ聞いたが、またもうちょっと何か聞きたいっていうなら、観劇がてら行くのも悪くないんじゃないか。ああ、何ならオレが一緒にチケット買いに行くよ。安くしてくれるかもしれないし」
「有難うございます。その時は、ぜひ」
それは回りくどいデートのお誘いだろうか、とボクは不安になったけれど、ラズは全く気付いていない。ただ深刻そうな様子で俯いていた。
「兄さんのせいで、アルフレッドさん達が……」
罪の意識でも感じているのだろうか。
「まあ、恋っていうのは心の問題だ。こればっかりは当事者にしか制御できない。ブラックさんが悪いわけでもないさ。運命のドラゴンがちょっとばっかし悪戯したってだけだよ」
慰めるライオネルの言葉に、ラズはどうにか頷いた。
運命のドラゴンの悪戯か。
ボクはこっそりとため息をついた。ボクがもしもオオカミ族だったならば、もう少し気が楽だったのだろうか。ラズにいらぬ心配をかけることもなく、ライオネル達のように恋人になることも出来たのかな。出会えただけでも感謝すべきなのだろうけれど、あまりにも残酷だ。そう思うと運命のドラゴンは好ましくもあり、憎らしくもあった。
大きくため息をついて、ラズもちょっとだけ笑みを取り戻す。
「ありがとう、ライオネルさん。助かりました。頼りになる方ですね。カチナさんが羨ましいわ」
「へ? あ、あははは、参ったなこりゃ」
愛らしい笑顔を向けるラズを前に、ライオネルは照れ笑いを浮かべている。
ボクはなんだかしゅんとした。
「嬉しいお言葉だ。けどね、カチナを知れば逆にオレには勿体ない女だって思うかもしれないぜ」
「その惚気話、スノーブリッジまでの道中でも詳しくお聞かせいただけますか?」
「お……おお! もちろんさ。出発までの間だって、惚気話聞いてもらうぜ」
談笑する二人を見上げながら、ボクはぼんやりと考えた。
出発の日まではまだまだ長い。ラズと一緒の生活は、一日一日がとても濃くて、森でひとり暮らしていた時とは全然違う。ボクひとりだと知り合うこともなかったひとびとと、考えることもなかった事柄。新しい出来事がすべて刺激となり、ボクの耳や尻尾をぴくぴくとさせる。
ふたりきりの旅は甘酸っぱい。けれど、スターライト劇場からの帰り道を思い返せば、ライオネルの動向もボクにとっていい事なのかもしれない。
見た目は怖いクーガー族。それでもその心はウサギの見た目のように柔らかい。恋という形のよく分からない魔物を相手にするならば、頼りになる味方となるだろう。
なんせ彼には本命の女性がいるのだから。
「ブルー、おいで。『恋人たちの酒場』ですって」
ラズに声をかけられ、はっとした。
ああもうすっかり真っ暗だ。色々な思いに振り回された一日でもあったかもしれない。ラズとの関係は切なくもあり、苦しくもあるけれど、焦ったって何もいいことはない。ボクはボクの速度でラズとの距離を縮めなくてはならないのだろう。
そう、いつか。いつか、今から行く酒場の名前のような関係になれたら。
夢を抱きながら、ボクはラズたちについて行った。




