6.恋の相談役
スターライト劇場からの帰り道、ボクはライオネルに案内されながらベリー市を目指していた。黙々と歩きつつ、今しがた聞けた貴重な話を頭に入れつつ、どこか釈然としない想いを抱えていたのだ。
エステラというウサギ族の女性。結婚を控え、幸せになるはずの彼女のあの表情。永遠の愛をアルフレッドと誓っているはずなのに、どうして彼女はあんな表情でラズの兄ブラックのことを語るのか。そして、どうしてあんなにも苦しそうだったのか。
アルフレッドの表情と、エステラの表情が交互に頭に浮かび、ボクまでため息をついてしまった。
恋というものは怖い。いつまでも同じというわけではない。
オオカミの恋はどうだっただろう。故郷を出てからは長い。ボクの父母がどのように愛を育んだのかはよく知らない。群れをつくるというのは貴重なことだ。何となくリーダーの息子や娘とくっついてそのまま後を継ぐというものもいるけれど、少数の群れをつくって生きていくオオカミは違う。
ああ、ボクたちの愛はどのようなものだっただろう。種族を代表して主張できるほど、ボクは賢くないのだ。
「どうしたい、ブルー坊。ため息なんかついて。具合でも悪くなったか?」
ふと気づけば、ライオネルが立ち止まり、ボクの様子を見つめていた。しゃがんで目線を合わせてくる。ネコ科特有の大きな目がベリーのようだった。ボクは彼を見上げ、「なんでもない」と言おうとしたその口で、ふと思いとどまった。
こういう悩みを告げられる相手というモノはいなかった。
まさかラズに言うわけにもいかない。そうなると二人旅、話し相手なんて何処にもいない。
ライオネルはもしかしたらスノーブリッジまでの間、一緒に旅をする可能性だってあるひとだ。距離感がおかしいひとだとは思うけれど、この二日ほどの関わりだけでもそこまで悪いひとには思えなかった。むしろ、いろいろとお世話になった。お世話になったついでに、彼にちょっと話してみるのもいいのでないだろうか。
「ねえ、ライオネルさん。恋ってしたことある?」
「え、恋?」
真面目に訊ねてみると、ライオネルは目を丸くしてぽかんとした。
「ああ。いっぱいしてきたぞ。メインゲートがオレの故郷なんだが、そこにはクーガー族がいっぱいいてね」
「モテたって話なら、劇場で聞いたよ」
「あ、聞こえていたんだっけ。そうそう、何もしなくても女の子たちからいっぱいアプローチがあった。あの頃はよかったなあ。モテモテで毎日が楽しかった。でもな、ブルー坊、その時に恋をしたかって言われると分かんねえ。オレはモテたが、オレの方がのめり込む恋ってもんはなかった気もする」
「じゃあ、したことないの? 恋」
ボクの問いにライオネルはにやりと笑い、そして頭をぽんと叩いてきた。今回はあまり痛くなかった。
「俺だってしたことはあるぞ、恋ぐらい。あ、ブルー坊、もしかしてもしかするともしかしなくても、ラズ嬢のことだったり?」
「な、なんで? ボク、何も言ってな――」
「ふふん、思い返せば初めてあった酒場でもアンタ、ラズ嬢に馴れ馴れしいオレをおっかない目で見つめていたっけねえ。なるほどなるほど、恋に悩みし青年。二人旅でもその心はなかなか通じない。運命のドラゴンはかくも残酷なものよ」
「ライオネルさんの恋はどんなものだったわけ?」
むっとした気持ちを前面に出しながら訊ねてみれば、ライオネルはやはりちっとも動じずに笑いながら答えてくれた。
「カチナだよ」
恥じらうこともせずに。
「オレの一目惚れさ。クックークロックの大学構内で出会ったのが始まりだった。あの瞬間のことを今でも思い出せる。カチナは輝いていた。いや、ちょっと違うな。怪しい光を放っていた。いや、これも違うか」
「カチナさんって、ネコ化の呪いにかかっているんだよね?」
「ああ、そうだ。ネコ化の前は何だったのかは知らない。だが、クーガー族ではないらしい。本人がそう言っていた」
「クーガー族同士じゃなくても、お付き合いをしているの?」
「ははん、ブルー坊、アンタの悩みはその類かい? それが何だってんだよ。世の中には種族を越えて恋をするものだっている。ブラックさんに一目ぼれしちまったエステラもそうだな」
種族を越えた恋。それはいい。いっぱい例があるのは心強い。だが、問題はそのエステラのことだ。
「エステラさんとアルフレッドさんって、喧嘩でもしているの?」
「いいや。本人が言っていただろう? エステラだって未来の夫が嫌いなわけじゃない。ただ、それとは別にブラックに惚れちまっただけさ」
「永遠の愛を誓ったのに?」
不思議に思いながら見上げるボクに、ライオネルもまた首を傾げた。だが、すぐに彼は笑みを浮かべ、ボクの肩を叩きながら教えてくれた。
「まあほら、大人にはそういう事もあるんだ。恋をして、結ばれる。とても素晴らしいことだがシンプルではない。あいにく、ブラックさんの方はエステラがあのように思っているなんて気づいてもいないだろう。エステラもエステラで、これは気の迷いだと思っているようだ。結婚しちまえば忘れられるとでも思っているのかね」
「変なの。心に決めたひとがいたのに、どうして新しい恋が生まれるのかな。運命のドラゴンは何を考えているんだろう」
全てはドラゴンの導きだと聞いている。
世界の中心の扉の向こうで眠っているドラゴン。巨大なベリーの化身でもあるドラゴンが、夢を見ながら生き物全体の運命を操作しているのだって。それなら、エステラやアルフレッドのこともドラゴンの仕業なのだろうか。だとしたら、なんて酷い。
「ねえ、恋って何なんだと思う?」
ボクはライオネルに訊ねた。
「ライオネルさんは、いつかカチナさんよりも心奪われるひとが出てくるかもしれないってそう思う?」
ライオネルは不思議そうにボクを見つめていた。
答えを考えているのか、その尻尾はよく動き、地面を叩いている。見つめながら、答えを待っていると、ようやくまとまったのかため息をついてから口を開いた。長い牙が漏れるが、見慣れてきたせいかあまり恐くなかった。
「その可能性もなくはない。カチナもそうだな。オレよりもいい男が攫っていっちまうかも。だが、今はそんなこともない。カチナが拒まない限り、そしてカチナが変わらない限り、オレはこの恋を捨てたりしないつもりだ。ブルー坊は違うのかな?」
見つめられ、ボクは俯きつつ答えた。
「ううん、そんなつもりはない」
ただ、無意識に恋も愛も不変だと思っていた。それが否定された気がして、ショックだったのかもしれない。
「そうだろう? 考えすぎることはない。アンタが種族を越えてラズ嬢と深い仲になりたいのなら、オレはいいお手本になると思うぜ?」
「そうだね……」
と言いかけたものの、ボクは頭を振った。
「いや、やっぱり違うよ!」
「どう違うっていうんだい?」
本気で不思議そうな彼に向かって、ボクは落ち込みながら答えた。耳がぺたりと倒れているのが自分でもわかった。
「ライオネルさんたちは二足歩行同士じゃないか。エステラさんもそう。国民だし、人間と対等に渡り歩いている。でも、ボクは四足歩行なんだ」
二足歩行と四足歩行は根本的に違う。いくら喋れたとしても、ラズにとってボクはただの犬と一緒。対等に恋を出来る存在じゃない。
「ああ……」
それが通じたのか、ライオネルは額に手を当てた。
「そういや、ラズ嬢、アンタの気持ちにちっとも気づいていなかったみたいだね。罪作りな嬢ちゃんだ。でも、ブルー坊、あまり卑屈になるなよ。アンタは確かに四足歩行だし、鑑札もつけられちまっているが、ただの犬でもオオカミでもない。ああ、そうだ。ブルー坊にこの話をしよう」
指をぴんと立て、爪を伸ばす。猛獣なのか何なのかよく分からない雰囲気で、彼はボクを元気づけるように笑いかけてくれた。
ボクはといえば、そんな彼に笑い返すことも出来ずにただ見つめていた。
「エステラがちらりとウサギ族の祖先について話していただろう? オレはクーガー族の昔話を教えてやろう」
「クーガー族の昔話?」
「ああ、クーガー族にも伝説の存在はいる。メインゲートの魔王と呼ばれるクーガーだ。心に伝説のベリーを秘めた者。公平に物事を見つめ、公平な審判を下した。そんな王様がいたらしい。クーガー族ではなく、アンタのように喋る四足歩行だったとか。今ではどこにもいない。移民たちが危険だってことで根絶やしにしちまったからね。だが、そのメインゲートの魔王の一族の血は、オレたちクーガー族にも入っているそうだ」
「ウサギ族と同じように?」
「ああ、珍しいことじゃない。普通のクーガーのように暮らしていたが、喋る力というものは人間とやり取りするうえで便利だ。人間とやり取りできるなら、便利な方に傾く。そうしているうちに、立っている方が便利だ、服を着ないと恥ずかしい、そう言い出して少しずつ人間社会に溶け込んでいった。中には人間と結婚し、子どもまで作ったやつもいる。魔王の一族の血は確かに流れているが、もうオレたちはかつての野性味あふれるクーガーではないようだ」
「つまり、何が言いたいの?」
「ああ、すまんね。話がそれた。つまりだね、四足歩行だからって二足歩行の奴らと根本的に違うわけではないってことさ。もしそうなら、オレたちの先祖を否定することになるだろう? ああそれに、アンタはスノーブリッジ出身だから知っているかもしれないが、あちらに多く住むオオカミ族だって、もとはアンタたちのような喋るオオカミのマモノからの派生だって聞いたことがあるぞ?」
「はは、そんなまさか」
力なく笑ってみたけれど、確かに、と思うことはあった。
ウサギ族がもともと喋るウサギで、クーガー族ももともと喋るクーガーだったのなら、オオカミ族だって同じことが言える。ボクたちの先祖とスノーブリッジの町に住むオオカミ族の先祖が共通しているとしたら。
ちょっと希望があるけれど、でもくだらないと内心笑った。仮にそうだったとしても、ボクが明日にでも二足歩行になれるわけではないじゃないか。
「おやおや、まだ元気が出ないか。悩むのは仕方ないが、あまりウジウジするなよ。せめて好きな女の子の前では笑うといいさ。少しずつ距離の縮め方を知っていけばいいじゃないか、な?」
ぽんぽんと頭を叩かれて、ボクはライオネルを見つめた。
事実がどうであれ、このひと個人としてはボクがラズに恋をすることを不思議に思っていないらしい。否定することはない。自分たちの恋とボクの恋に根本的な違いはないとそう言いたいのだろう。
それで納得できたかはともかく、その気持ちはとても嬉しかった。
「ありがとう……そうする」
立ち上がってみれば、やっと尻尾に力が入った気がした。




