4.陽気な案内人
おかしいな。何処へ行ってしまったのだろう。
青果市場に逃げ込んだアルフレッドを追いかけようとして派手に追い出されてものの数分、ボクは完全にアルフレッドを見失っていた。
それにしても市場の入り口の人間の親父さん。薄汚い野良犬だなんて酷い。この鑑札が見えなかったのだろうか。おかげで見失ってしまったじゃないか。劇場へ帰ったのなら訊ねるのもいいけれど、その場所を聞く相手はこの市場以外の人にしておこう。
そう思い、周囲を見渡してみるも、通行人は何故だかボクを避けて通るのだ。ウサギ族が多数。もしかして、ボクのことを恐れているのだろうか。ああ、そうかも。ボクはオオカミなのだ。犬としてここに居るけれど、オオカミみたいな犬はウサギとしては怖いものなのだろう。となると、この町にはボクに気軽に話しかけられるものなんて何処にも――。
「おう、ブルー坊じゃないか」
と、思いかけた矢先に頭をぽんと叩いてくる者が一人。
柔らかな肉球の手だ。声ですぐに分かったが、見上げればさらに分かった。ボクなんかよりも力がありそうな肉体を持つ男がそこにいた。クーガー族のライオネルだ。
「どうした、ラズ嬢は一緒じゃないのか? 鑑札があるからってひとりでほっつき歩いていると役所に突き出されちまうぞ? お役人はおっかない。とくに〈迷い犬預かり〉には出来れば世話にならない方がいい。あそこにはウサギ族のお役人がひとりもいないからね。お兄さんからのアドバイスだ」
「ライオネルさん、どうしてここに?」
「どうしてって、そりゃあ、青果市場だぞ? 買い物に決まっているじゃないか」
「……ああ、そっか」
にやりと笑う彼の陽気さに、何処かついていけなかった。
「あ、ライオネルさん。アルフレッド=オハレさんって知ってる?」
「アルフレッド=オハレ?」
知らないっぽい。いや、待てよ。諦めないでもうちょっとヒントを出してみよう。
「ウサギ族の男の人で、お家は劇場をやっているみたいで。……あ、この町のベリー市場長の弟さんだって聞いたかも!」
「オハレ場長の実家か。……ああ、あれか。この町には三つの大きな劇場があってだね、一つはギャラクシー劇場つって、銀河劇団ってところの専用劇場だ。ウサギ族以外――特に人間の団員が多く在籍しているところでね、演目もだいたいクックークロックの都市で流行ったものを真っ先に――」
「ああ、そういう、うんちくを聞きたいわけじゃないの。ボク、アルフレッドさんに聞きたいことがあって、頑張って追いかけようとしていたんだけど、この市場の人に追い出されちゃって……」
「ああ、青果市場ね。仕方ないよ。この市場のおやっさん、二足歩行じゃないと猫の子一匹通してくれないんだぜえ? おかげで、この辺りの飼い猫たちは家に帰るのも遠回りらしくてさ、この間も――」
「ぬあああ、だから、そういう話を聞きたいんじゃなくて!」
牙を見せて文句を言えば、ライオネルは苦笑しながら手を叩いた。
「はいはいはい。冗談だよ。青果市場を突っ切ってったんだろ? ここ、オハレ家がやっているスターライト劇場の近道なんだ」
「スターライト劇場?」
ギャラクシー劇場全然関係ないじゃないか、と噛みつきたくなる気持ちを一生懸命抑えて、ボクは言った。
「そこに行けば、アルフレッドさんにも会える?」
「さあ? だが、弟さんって言えば、たしかいつもチケット売りやってたっけな。とにかく、劇場で働いていたはずだから、行けば会えると思うぜ?」
「有難う! ボク、スターライト劇場に行ってく――」
と、青果市場に飛び込もうとするボクの首根っこをライオネルは掴んだ。ひょいと持ち上げられて、びっくりした。確かに怪力そうな見た目ではあったけれど、こんなにも強い力を持っているなんて思わなかった。
子犬のようにきょとんとしていると、ライオネルは首を振ってボクに告げた。
「ちょい待ちなさい。スターライト劇場に行くって、アンタ、犬っころ一匹で行ったところで入れてもらえるとでも思っているのか? だいたい、劇場が何処にあるんだか、分かっているのか、え?」
無理やり目を合わせられて、そこでようやく耳と尻尾の力が抜けた。間近で見ればすごい迫力だ。長い牙はどんな硬いお肉も食いちぎれるのだろう。ああもう、なんでボクは猛獣扱いなのに、二足歩行ってだけでこのひとは猛獣として扱われないのだろう。不思議でならなかった。
「どうしたらいいの?」
素直に訊ねてみれば、ライオネルはやっとボクを地面に下し、大きな手を使ってボクの頭の毛をめちゃくちゃにしてくれた。たぶん、撫でてくれたのだと思う。
「つまりだな。オレも一緒に行ってやるよってことさ、ブルー坊」
「え、一緒に? 買い物はしなくていいの?」
「まあ、買い物っつっても、暇つぶしに来ただけだからな。劇場も暇つぶしになんだろ。あ、それにね、劇団の人とも知り合いなんだ。よかったな、オレに出会えて」
ちょっと面倒くさいひとだけれど、いい偶然なのかもしれない。そう思いつつ、ボクはからかってみた。
「暇つぶしならベリー市に行けばよかったのに」
すると豪快に笑いながらライオネルはボクの頭をバシバシたたいた。なかなか痛い。
「まあいいじゃないか。こうして出会えたんだしよ。ほれ、行くぞブルー坊。ついてこい」
命令口調で言われ、しぶしぶそれに従った。
見上げてみて思うのだけれど、やっぱり強靭な肉体を持つクーガーは怖い。それに、ライオネルと行動を共にするのは正解だった。さっき一人で飛び込んだ時は、真っ先に入り口付近の親父さんがつまみ出したのだけれど、今回は違った。店の付近から腕を組んで睨み付けてはいるけれど、ライオネルがにこにこしながら歩んでいるのを見ると、結局近づいてもこなかった。
四足歩行と二足歩行じゃこんなにも違うのか。
ライオネルがただ恐いだけだという可能性もなくはないけれど、青果市場でお買い物をする二足歩行の動物たちを見かける度に、ボクはちょっと寂しくなった。殆どがウサギ族だ。平和を愛するウサギ族の集いだ。それでも、時々、別の動物がいる。二足歩行で服を着ていれば、彼らは追い出される理由なんてない。
二足歩行ならばオオカミ族だって普通に買い物をしていた。親子連れだ。人間の店主がにこやかにモノを売っている。相手がオオカミの姿をしているからって猛獣として扱われていない。二足歩行だからだ。
ボクもオオカミじゃなくて、オオカミ族だったら、もっとラズと対等でいられたのだろうか。そんな疑問が浮かんで、気持ちが沈んだ。
青果市場を過ぎれば、華やかな通りが目に移った。住人の殆どがウサギ族と聞いていたのがよく分かる。はしゃいでいる子どもにもウサギ族が多い。そんな街の人々を眺めながら、ボクはライオネルに続いていた。
「ところで、場長の弟さんに何のお話があるんだい?」
ふとライオネルに訊ねられ、ボクは我に返った。
「あ、その、アルフレッドさんが言いかけて」
「言いかけた?」
「……うん、なんか結婚を控えているけれど、上手くいかないらしくって。その相談のなかでブラックさん――ラズのお兄さんの名前が出てきたものだから」
「結婚、ブラックさん、ああ!」
尻尾をぴんと伸ばして、ライオネルが何かに気づいたような表情を浮かべる。
その様子をボクはそっと窺った。
「何か知っているの?」
「あ、ああ、だが、オレの口からいうのはちょっと億劫だな。あ、でも、ちょうどいいや。ほれ、見てみな、ブルー坊。あれがスターライト劇場だ」
クーガーの逞しい手で示されたその先。ボクは促されるままに見つめた。
人通りはまあまあ。ウサギ族の割合が相変わらず高い。そんな通りの中に、大きな建物があった。ここが劇場というところ。実は劇場というのがどういう場所なのかよく知らないのだけれど、とにかくここがスターライト劇場ってところらしい。




