3.キューピッドベリー
キャロットケーキの中に入っていたキューピッドベリーは真っ白でてかてかしたベリーである。
ミルキーウェイに至る道すがら、自生地によくあるらしいけれど、他の地域ではあまり見ないため、珍しいと評判らしい。ちなみにキューピッドというのは、海を渡った先の大陸に昔から伝わる神様の名前らしい。船でこの大地に移住してきた人間たち――つまり、ラズのご先祖様たちが、初めて見つけたときにその効能と色形がキューピッドのようだということでこんな名前になったとか。と言われても、ボクにはよく分からない。キューピッドがどういう神様なのかよく知らないのだけれど、恋に関する神様なのだろうか。
キューピッドベリーは、ミルキーウェイのご当地カクテルに入っていたミルキーベリーにもよく似ている。違いは香りと形。香りが濃厚で、人のお尻のような形をしているのがキューピッドベリーらしい。人のお尻なんてちゃんと見たことはないのだけれど、そう言われているのでそうなのだろう。
ラズのお尻もちゃんと見たことないけれど、こんな形をしているのかな。
「あ、こら、ブルー。売り物に鼻を付けちゃだめよ」
ラズに怒られてしまった。
ここはベリー市。ライオネルと「恋人たちの酒場」でテーブルを共にしてから一日経った。ベリー市での商売は二日目だ。それなりに客は来る。ラズの目利きは確かなのだろう。それに、今月からはシルバー免許のベリー売りとしてちょっと注目されている。ラズの胸に輝く銀色の輝きを観れば、誰だって足を止めるものだ。
さて、商売の邪魔をしてはいけない。ボクの出番があるとすれば、盗人とかが現れた時くらいだろう。今はその時でないので、ラズの足元でぼーっとキューピッドベリーとミルキーベリーについて考えてみた。
このよく似た二つのベリーは、効能もそれなりに似ている。恋にまつわるという点だ。ミルキーベリーは淡い片思いや青春の恋のおまじないによく効くらしい。告白したい相手にミルキーベリーの入ったお菓子を持っていき、一緒に分け合って食べればきっと両想いになるでしょう、とのことだ。キューピッドベリーはさらにその上を行く。ミルキーベリーよりも更に強力な作用をもたらす。
ミルキーウェイは恋の町でもあるらしい。住民の殆どを占めるウサギ族は、恋愛結婚を主流とする。恋することや愛することを重んじる精神は、ミルキーウェイの星月夜の祭りにもかかわっているらしい。
恋するふたりが惹かれ合い、星夜に向かって誓い合う。それは、心からのものであるのが望ましい。
それが、ラズがボクに教えてくれたミルキーウェイの町の精神である。人間文化を知らないボクにとって、とても情熱的で親しみやすいものに思えた。恋を囁き合うことが重んじられる。人語を喋ることのできない動物たちにも共通する美しい精神ではないか。
しかし、何でもかんでも美しいわけではないらしい。
恋は競争でもある。
もっとも恋い焦がれる人が選ぶ相手が、自分であるとは限らない。掟で決められた結婚でない限り、もしも一人を巡って競走する相手が現れてしまったら、必ずどちらかが敗退する。
これがもしも群れ成す動物で、結婚なんてものに縛られない文化を営んでいたら、そんなこともないのだろう。しかし、ここはミルキーウェイ。ひとりはひとりとしか結婚できない。
そんなときキューピッドベリーは、人々の心を狂わせる。なぜならこのお尻の形をした神様は、惚れ薬を作れるからだ。ミルキーベリーも似たようなものかもしれないけれど、キューピッドベリーは強力だ。その愛を自分に向け、心を乱してしまう劇薬のもとになる。もちろん、普通に使えばそんな危ない薬にはならない。だから、酒場であのようにキャロットケーキに含めることができるのだ。
惚れ薬をつくるには、特別な材料が必要らしい。その材料はベリーではないけれど、ミルキーウェイ付近でとれる薬草や果実などだ。誰でも簡単に作れてしまうのが恐ろしいところ。それでも、惚れ薬は世の中に蔓延しない。
何故なら、キューピッドベリーで惚れ薬を作ることは犯罪だからだ。誰も犯罪者になってまで惚れ薬なんて作りたくないのだろう。だから、キューピッドベリーは悪用されない。悪用されないどころか、商品としてはあまり人気がない。
こうしてラズの店に並んでいても、売れるのはおまじない程度の効能で親しまれているミルキーベリーばかりだ。キューピッドベリーは料理人やベリー愛好家の目に留まるのを想定しておかれている。もちろん、目に留まったからといって誰でも彼でも買えるわけではない。ラズの厳しい審査が入る。身元の怪しい人、動機の怪しい人には売れない。それは、フォースベリーやサイキックベリーと同じらしい。
「ブルー、お腹空いたでしょう? はいこれ」
ぼーっと考え事をしていると、ラズがふと何かを置いてくれた。ちょっとわくわくしてみたところ、エナジーベリーだった。あれおかしいな。昨日の夜、市場で干し肉を買った気がしたのだけれど。もしかして何らかの理由でボクには駄目だったのだろうか。
ちょっと肉の味を期待した口でエナジーベリーを食べてみる。蜂蜜の味だ。甘い。でも、贅沢は言っていられない。野生時代を思い出せば、毎日何かを食べられるというだけでも恵まれている。
エナジーベリーをはみはみしながら、ボクはじっとラズを見上げてみた。一生懸命客寄せをしている。足を止めたお客さんと笑顔で商談している。可愛いなあ。なんであんなに可愛いのだろう。不思議だなあ。見つめながらそんなことを考えた。
「……あの、ちょっといいですか?」
何人目のお客さんだっただろうか。控えめなその声が気になって、ボクはこっそりとお客さんの姿を確認した。ウサギ族だ。しっかりとした恰好をしている。声や洋服から察するに、若い男性だろう。
ウサギ族の青年はやや高めの商品棚に手を置いて、うんと背伸びをしながらベリーの一つを指さしていた。
「これ、一ついただくことは出来ますか?」
それは、ミルキーベリーなんかではなく、キューピッドベリーの方だった。ボクはウサギ族の青年の表情を確認してみた。なるほど、おどおどしている。つま先立ちが辛いというだけではなさそうだ。
「キューピッドベリーですか? それでは、少しお時間いただくことになりますけれども、よろしいですか?」
ラズが丁寧に問いかけると、ウサギ族の青年は姿勢を正して肯いた。
店の脇に置かれた椅子に促されるまま座るふわふわのウサギ姿。ちょっと美味しそうだなんて思ってしまったのは黙っておこう。
「お名前とご職業をお教えください」
「はい……アルフレッド=オハレと言います。このベリー市場の場長の弟です。職業は、その、兄の代わりに家業の手伝いを」
「ああ、オハレ場長の弟さんですか。……家業、っていうのは?」
「ええ、我が家では劇場の経営をやっていまして」
「劇場の経営……」
ラズが首をかしげる。料理人だったら問題なく売れたのだろうとボクはぼんやりと思っていた。アルフレッドというこの人がそこまでベリーについて詳しいのかどうかは分からない。
「キューピッドベリーをご希望される理由をお聞かせ願えますか? その用途について詳しくお教えいただければ嬉しいのですが」
「……はい、あの」
アルフレッドはおどおどしながら言った。
「えっと……料理に使おうかと」
とても怪しい。
「なんの料理ですか?」
ラズの目もやや厳しかった。
「キャロットケーキを――」
「劇場で振る舞うのですか?」
「はい、ええと」
「許認可はお持ちでしょうか。それと、法律によりキューピッドベリーでの劇薬作成が禁じられていることを認識しているとの同意書が必要になるのですが、よろしいですか」
「同意書、ですか」
垂れていたウサギの耳がピンと立った。それを見て、ボクもピンときた。このウサギ青年アルフレッド。どうやらまずいことにキューピッドベリーを使おうとしている。
ラズもそう思った事だろう。ウサギのお客にきちんと向き合って告げた。
「アルフレッドさん。どうか、本当のことをお聞かせください。どうしてキューピッドベリーが欲しいのでしょうか。場合によっては、別の方法であなたのお力になれるかもしれませんよ?」
できるだけ刺激しないようにラズは丁寧に訊ねていた。
だが、アルフレッドは戸惑いを露わにして、耳をまた垂らしてしまった。とても言いにくいらしい。柔らかそうな手でぐっと服の袖をつかむ。
それでも、やはり罪悪感が勝ったのだろう。アルフレッドはとうとう非常にか細い声で白状したのだ。
「実は結婚を控えていまして……」
ラズは黙って耳を傾けた。
「婚約者と僕の関係はずっと良好でした。婚約が決まった日のことは、忘れられません。星月夜の祭りが過ぎれば結婚式です。楽しみで仕方なかった。彼女もそう言っていました。でも……ある時から」
アルフレッドは震えながら言った。
「ある時から、すべて変わってしまった。あの旅人……ブラックという人間の男性が劇を観に来たあの時から」
「……ブラック?」
思わずラズは呟いてしまった。
そこで、アルフレッドは急に我に返り、慌てて頭を下げた。ぴょこんと耳が揺れる。
「すみません。僕、やっぱり出直してきます。お時間いただきありがとうございました」
「ちょ……ちょっと、待ってください、アルフレッドさん!」
そうして、アルフレッドはラズが呼び止める間もなく、一目散に逃げていったのだ。
ブラック。確かにそう言った。旅人のブラック。人間の男性。真っ先に思いつくのはラズの兄だ。アルフレッドは何かを情報を持っている。
ラズは思わず追いかけようとした。だが、そこへ別のお客が来てしまった。アルフレッドの姿は市場の向こうへと消えていく。もう黙ってみていられなかった。
「ボク、追いかけてくる!」
そう吠えると、ラズもお客も目を丸くした。
「え、ちょっと、ブルー!」
止められては見失ってしまう。アルフレッドの匂いの記憶は不確かだ。見失っては面倒臭い。いや、後で思えばオハレ場長に聞けばいいのだけれど、その時のボクはとにかく見失ってはいけないとばかり思っていた。
「待って、ブルー!」
お客そっちのけでラズは呼び止めようとしてきたけれど、ボクは必死にアルフレッドを追いかけた。目まぐるしく変わっていく景色になど気を取られずに、一目散に何処かへと走っていくアルフレッドを追いかけて、ベリー市を後にしたのだった。




