四葉のクローバー
会社帰りの帰路での出来事だった。
職場から出る時に聞いていたiPodを、
うっかり植込みの中に落としてしまった。
iPodはすぐに見つかったが、ついでに意外なモノも見つかった。
植込みの傍で群生するシロツメクサの中に、
一本だけ四葉のクローバーを見つけたのだ。
私は喜んでその四葉を引き抜くと、葉を折り曲げない様に気を付けて、
持っていた文庫本に挟んだのだった。
途中の駅の待合でも、帰りの電車の中でも、
私の視線はその四葉のクローバーに釘付けだった。
私がこれだけ関心を示すのには理由がある。
実は四葉のクローバーにはちょっと忘れがたい思い出があるのだった。
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あれは今から30年以上前の話だ。
当時小学4年生の私は、仲の良かった友人と近くの公園で遊んでいた。
公園の正式名称は忘れたが、私たちは原っぱ公園と呼んでいた。
原っぱ公園はその名の通り、見渡す限りの原っぱ以外は、
遊具も何も無い公園だが、
ところどころにアカシアやケヤキが植わっていたり、
地面も芝生だけではなく、クローバーの群生があったりと
中々趣のある場所だった。
私と友人は持ってきたゴムボールでキャッチボールをして遊んでいたが、
その際になにやら諍いになり、友人は怒って帰ってしまった。
諍いの理由は忘れたが、とりあえず自分に非が有る事だけは確かだった。
今でこそ多少丸くなったとは言え、
当時の私は偏屈の上に我が強く、非常に可愛げの無い子供だったのだ。
友人が帰ってしまったとはいえ、自分もスグ帰るのはなんか癪だ。
ただ、一人でキャッチボールは出来ないし、
壁当てをしようにも原っぱ公園には壁そのものが存在しない。
私はボール遊びを諦め、地べたにしゃがみこむと、
そこに植えられていたシロツメクサで花冠を作って遊び始めた。
十本ほどの花の茎を一重に繋げ、とりあえず花冠は出来たが、
掛ける相手も、見てくれる相手も居ない花遊びはつまらない。
私は仕方なく出来上がった花冠を自らの頭に掛けた。
その瞬間だった。
「へえ、よく出来ているじゃない。」
いきなり背後から声がしたので、私は飛び上がらんばかりに驚いた。
慌てて振り返ると、私のすぐ後ろに同年代の少女が居た。
少女はTシャツの上にオーバーオールのデニムというラフな格好で、
両手はポケットの中に入れられていた。
「くすくすくす」
少女は驚いた私の顔を見て含み笑いを漏らした。
「何が可笑しいんだ。」
私は反射的に言い返した。
「だって、花輪作って遊ぶなんて女の子みたい。」
「僕は男だ!!」
少し色素の薄い大きな目と、
肩のあたりで切り揃えられた栗色の髪。
そう、少女は可愛かった。
ただ、それだけに自分が男として扱われなかった事が屈辱だった。
「そりゃそうよね。
女の子ならあんなくだらない喧嘩はしないわよ。
さっきもお友達が折れていたのに、
貴方の方ばっかり意地張っちゃって馬鹿みたい。」
どうやらその少女は、私と友人の諍いの一部始終を見ていたらしい。
「うるさい。」
頭に来た私は、思わず少女を突き飛ばしていた。
そんなに力を込めたつもりは無かったのだが、
彼女はそのまま後ろに転倒し後頭部を強か芝生にぶつけた。
なぜなら私が突き飛ばした瞬間も、少女はオーバーオールの
ポケットから手を出さなかったからだ。
「痛ったーーーーーい!!」
ただ、後頭部を両手で抑えて呻いている少女を見て、
私は即座にやり過ぎたことを後悔した。
「ご、ごめん」
私が右手を差し出すと、彼女は私の手を握ってきた。
そのまま「よっと」手を引っ張って助け起こす。
ただ・・・・・
握られた手に何やら違和感があり、改めて少女の手を眺めてみる。
なんとその手には指が6本あっのだ。
少女は一瞬「しまった」という表情をして、
手を抜こうとしたが、私はそれを許さなかった。
「ねえ、良く見せて!!」
私はそう言って少女の手を引き寄せると、
まじまじと目の前で観察した。
私の顔に浮かんだ表情が、純粋な好奇心だったのに安心してか、
少女は私に右手を預けてきた。
「怖くないの・・・」
恐らく今まで何度も気味悪がられた経験があるのだろう。
「全然怖くない。むしろカッコいいと思うけど。」
「変わってるわ。貴方。」
少女はそう言って、私にとっておきの笑顔を見せた。
それは今までのすました表情が嘘の様な、ヒマワリの様な笑顔だった。
「行くよ!」
「おう!!」
すっかり打ち解けた私たちは、
友達が残していったゴムボールでキャッチボールを始めた。
最初こそノーコンだったが、彼女はかなり運動神経が良いらしく、
4、5回キャッチを繰り返しただけで、
ほぼこちらの胸元に正確に投げ返してくるようになった。
ゴムボールは縫い目のあるタイプだったので、
私は調子に乗って覚えたての変化球を彼女に教えてあげた。
ただ、六本指の彼女から放たれる球は、
いままで見た事も無い様な変化をして私を驚かせた。
「すげーーーー!!
うちの町内会のチームに来たら!!
絶対にエース間違いなしだぜ!!」
「そ、そうかな??」
私の称賛に彼女もまんざらでも無い様だった。
キャッチボールに飽きた私たちは、
今度は草むらに座り込み、シロツメクサで花輪を編み始めた。
その場でも彼女の指はいかんなく実力を発揮した。
六本指が意思のある生き物の様に動き、
瞬く間に花輪を織り上げていく。
数分後、彼女がシロツメクサで編み上げた花の冠は、
茎を幾重にも重ねた本格的なモノだった。
「はい、これあげる。」
彼女はそう言って、ヒマワリの様な笑顔と共に、
私の頭に花の冠を被せてきた。
鏡を見るまでもなく、自分の顔が赤くなるのが分かる。
「ありがとう。」
照れながら、私は何とかそれだけを口にした。
花輪作りの後は、木登りをして遊んだ。
私たちは一緒に近くのアカシヤの木によじ登り、
並んで太い枝に腰かけると、少し遠くの風景を眺めて過ごした。
ただ、楽しい時間は過ぎるのが早い。
やがて少し傾きだした太陽が、彼女の白い顔を深紅に染め始めた。
私たちはしばし無言で、ぼんやりと沈む夕日を眺めていた。
彼女が呟いたのはそんな時だった。
「切ろうと思うの。」
「えっ??」
私は彼女が口にした言葉の意味が分からず、思わず聞き返していた。
「指・・いまなら手術すれば取れるんだって。
お医者の話だと、早いほうが良いって。」
それが彼女の指の話だと気付き、私は何故か不思議なくらい動揺した。
「自分の手が嫌いなの。」
「ううん、私は自分の手が好きよ。
でも、みんなと同じ手に憧れる事も有るわ。」
ただ、それを口にした彼女の表情はどんより沈んでいて、
キャッチボールや花輪遊びの時に見せた笑顔とは対極だった。
その沈んだ顔を見た私は、
何故か解らないが彼女に指を切らせてはいけない気がした。
「ちょっと待ってて!!」
私はアカシヤの木から降りると、
地面にしゃがみこんで、「有る物」を探し始めた。
今までに「そいつ」を見つけた事は2回。
一回目はただの偶然だった。
二回目は見つけるのに1時間掛かった。
彼女は私に倣って、アカシヤの木から降りると、
私のすることを黙って眺め始めた。
時間が無い、時間が無い。もうすぐ日が落ちて、
街灯の無いこの原っぱ公園は真っ暗になるだろう。
ただ、もし幸運が味方してくれるのなら・・・
「有った!!」
私は思わず声をあげた。
そう、さっき花輪を作っていたシロツメクサの群生の隅に、
ひっそりとそれは存在した。
それは探している時には中々見つからず、
探していない時には知らずに踏みつけてしまう、
一万分の一の小さな奇跡。
「四葉のクローバー」だった。
私はその「四葉のクローバー」を引き抜くと、
彼女の前に差し出した。
「これあげる!!」
「ありがとう。」
彼女はとりあえず喜んだようだったが、
私の意図が分からず、少し驚いた顔をした。
私はやむ終えず、
四葉を探している間に考えていた長口上を口にした。
「知ってる??
四葉のクローバーを持ってると、幸せになれるんだよ。
多分、一枚多い葉っぱが、幸せを呼び寄せるんだろうね。
君の手もおんなじだよ。
人より一本多い指は、
多分神様が人より多くの幸せをつかんでもらう為に
君に与えたモノだと思う。
だから、切っちゃダメだよ。」
「あ、ありがとう。」
彼女は私のあげたクローバーを胸に抱え、
今度は染み透るような口調で言った。
私が自分の意が届いたことに深い満足を覚えたのだった。
完全に西の空に没した太陽が、とっぷり日の暮れた原っぱ公園に、
二人の長い影を落としていた。
私は彼女の手を取って、帰路につくことにした。
どうやら途中までは同じ方向の様だ。
少し短い彼女の歩調に合わせて、いつもより少しゆっくり歩く。
私の五本指と彼女の六本指が絡み、空いた方の彼女の手には、
私のあげた四葉のクローバーが握られていた。
やがて二人が離れ離れになる場所に差し掛かった。
「じゃあ、また遊ぼうね。」
「うん、絶対だよ!!!」
そう言って別れ際に見せた彼女の表情は、
その日一番のヒマワリの笑顔だった。
ただ、その約束はついに果たされることは無かった。
その少女にはその日以降一度も逢う事が無かったのだ。
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帰りの電車の中で、四葉のクローバーを眺めながら、
私はその少女の思い出に浸っていた
一日遊んだだけで、私に鮮烈な印象を残した六本指の少女。
今の私と同年代のはずの彼女は、あの人より一本多い指で、
結局幸せを掴んだのだろうか。
いや、掴んでるに決まってるさ。
その根拠は彼女の人より一本多い指でも、
私があげた四葉のクローバーでもなく、
あのヒマワリの様な笑顔だった。
「笑う門には福来る。」
私はこの言葉の信奉者なのだった。
私に懐かしい思い出を提供してくれた、四葉のクローバーだったが、
しばし迷った末、結局は駅のごみ箱に捨ててしまった。
もし四葉のクローバーに人を幸せにする力が有るのなら、
それは探し求めて見つけた場合に限るのだろう。
iPodのついでに見つけた四葉のクローバーに魔力の宿りようもない。
それに、こんなモノに頼らなくても、私は今十分に幸せだった。