◆ 2
部活の人たちが帰ってる…。
どうやら30分弱寝てたらしい。
学校から家まで徒歩15分。
でも…
あたしはちらりと横を見た。
全身黒の猫耳の少年と制服のあたし。
特に同じ学校の人たちからの好奇心の目が痛い。
遠いのか近いのかよくわからない微妙な距離のその道をあたしは早歩きで15分で歩いた。
結構頑張って階段も早く登ったのに、フードのネコミミをピコピコと動かしながら悠々と着いてくる。
ガチャリ…
「ただいまー」
鍵を開けてドアを開けたあたしの横をすり抜けるように少年が中にはいる。
「ここが君の住んでるトコかー。」
もの珍しげにきょろきょろしている少年を尻目に、あたしは救急箱のしまってあるタンスの上に手を伸ばした。
「そうだよ、っと。」
救急箱をキャッチすると、少年が勝手に座り込んだカーペットの上に座り蓋を開けた。
「ほら、袖めくってよ。」
少年の腕に手を伸ばすと、少年はパッと腕を引っ込めた。
「いいよ、ほっときゃなおるよ。」
「ほっといたら治る前にバイキンが入るわよ。ほら大人しく出しなさい!」
服の裾を掴むと、少年はビクリと震えた。
パッと手を離す。
「あ、ごめん、痛かった?」
しかし、少年はニヤニヤしたままだった。
「別に?手当てしてくれるならしてもらう。」
いきなり自分から裾をまくりだした少年に疑問を持ったものの、傷を見た途端そんな考えはふっとんだ。
「うわ…。」
傷は手首にぐるりと巻きつくように一周していた。
だが千里が驚いたのはそのせいだけではなかった。
(なにこれ…!)
少年が自ら捲り上げた袖の下にあったのはたくさんの古傷。
しかも、塞がっても跡が残るほどの。
(…っ、とりあえず今は手首に包帯巻かないと…。)
一応消毒液をかけてから、包帯を巻く。
すごく染みるはずなのに、少年は口元に笑みを浮かべたまま黙って見ていた。
沈黙が気まずかったのもありあたしは手を動かしつつ 口を開いた。
「そういえばさ。」
少年の腕の上で包帯の端と端をきゅっと結ぶ。
「あんた結局何者なの?」
「何者って言われてもね。」
少年は薄く笑った。笑うととがった犬歯が覗く。
「自分を何者か、なんて言える人居ないでしょ。」
「茶化さないでよ。」
睨みつけても少年は気にした風もない。
「このセカイ、とかなんとか言ってたじゃない。」
「あー、そのことー。」
(…わざとだ、絶対分かってたよ、こいつ!)
まるで、今思い出した!とでもいうように少年が話し出す。
「それなら話は簡単だよ。俺はこのセカイの住人じゃ無いってだけ。ゲートを通って別のセカイから来たからね。」
それだけだよ、と少年は言ってのけた。
あたしの手は完全に止まっていた。
「…別のセカイから!?」
「そ。」
(いやいやいや、簡単じゃないし!
規格外なんですけど!?)
少年は短く答えてから、あたしの止まった手に焦れたのか、あたしから包帯をとると自分で手際良く包帯を巻きはじめた。
…てかあたしより巻くのきれいだし…。
「いろいろあってさ、このセカイでやることあんだよねぇ…」
「じゃあ、別のセカイのひとってことなんだ…。」
言葉にだすとなんとなく納得できた。
(ってことはこれからどうするんだろう…。
セカイ自体が違うんじゃ行くとこないよね…。)
今は9月。冬が近づいているからかもういつのまにか日も暮れかけている。
このまま追い出すのも、後味が悪い。怪我人だし。いくら9月だからって夜に外にいるのは寒いだろう。
(しょうがない、か。)
あたしは少年に声をかけた。
「じゃあ、泊まってく?この家あたししかいないし、あんたここに家無いんでしょ? 」
幸い、あたしは1人暮らしだ。
お母さんはいなくてお父さんは出張。
包帯をしまいながら返事をまつ。
しかし帰って来たのは間伸びした喋り方ではなく、ぽつりと零れた独白のような、そんなものだった。
「このセカイの人はみんなそうなの?」
「え?」
顔をあげると、少年は窓の方へ歩いて行った。
ベランダの一歩手前までいって少年は振り返った。
夕陽のせいで逆光になり少年の顔は見えない。
「このセカイの人はみんなそうなの?利益もないのに手当てしたり、あったばかりの名前も知らない奴を部屋にあげたり。もしも、俺がワルイ人だったらどうするの?」
予備動作もなく、不意にさっと、少年が手を振り上げた。
ドスッ
それと同時にくぐもった、何かがぶつかったような音がして、あたしは身体を強張らせて、目を見開いた。
(ナ、イフ…)
横座りしていたあたしの膝の数センチ先に刺さったそれはギラギラと夕陽を反射した。
静かにあゆみよってきた少年はあたしの前にしゃがみこむとナイフを引き抜いた。
それをまるでお手玉のように投げては掴み、また投げては掴みを繰り返す。
「もしかしたら俺、ここであんたを殺しちゃうかもしれないんだよ?」
残り少ない夕陽が、僅かに部屋に差し込む。
少年は目を細めてニヤリと笑った。
背筋がぞくりとした。
(…本当になんなのよ、コイツ。)
殺すとかいいだしたり、急に子供っぽくなったり。
つい、吐き出すように本音が漏れた。
「訳わかんない。あんたは、何がしたいの?どうしたいの?」
「…俺?」
少年の様子を伺うと、意外にも少しだけ戸惑いの色が見えた。
「私だって、お金もあって普通の見ず知らずの人が泊めて、なんて来たら断るよ。そこまでいい人でもないから。」
あたしはまっすぐに少年の目を覗き込んだ。
「でも私は…目の前の宿無しで怪我してた人をほっておけなかっただけだよ。そんな人をほっておけるほど酷い人間でもないよ。」
少年は驚いたように目を見開いたが、やがて気を取り直したように立ち上がった。
「…そう。」
(ん…?)
いつもより低い声で呟いた少年にどこか先程までとは違う雰囲気を感じた雅が見上げたときには、既に少年の顔は見慣れたにやけ顏に戻っていた。
「じゃ、あんたに会ってよかったよー。
あんたに頼まなかったら俺、ガッコウってとこから出るのめんど臭かったし、外で寝ることになってたかもしれないしー。」
「…あれは頼んだって言わないでしょ。完全に脅しじゃない。」
少年の様子は完全に普通で殺気のカケラも感じ取れない。
あたしはほっと息をはきつつ、救急箱をしまい始めた。
「あー、あとさ。」
何気無く少年はいった。
「このセカイでいうと数日は泊めてもらう予定ー」
「…え?数日ってどれくらい?」
「さあ?俺はしーらない。」
そういうわけだからよろしくー、と言って少年は床をゴロゴロし始めた。
「うそでしょ…?」
あたしは溜息をついた。
泊めるとはいったものの今日だけだとたかをくくっていたのだ。
でも断ったらナイフで〝お願い〝されるかもしれないし。
あー、厄介なことになった、とあたしが遠い目をしていると、ふと少年が口を開いた。
「はらへった。」
ムクリと、腹筋で起き上がった少年はお腹をさすってこっちを見た。
「ねー、エサ。」
(本当に自由っていうか、気儘っていうか…。)
余りに堂々と図々しくしていることに呆れながら、あたしは少年に尋ねた。
「…あんたここのセカイのもの食べれんの?」
「うん。数日も食べなかったら死ぬでしょ。」
「う…。」
それもそうだ。
あたしは立ち上がると冷蔵庫に向かった。
(たしか昨日作った、肉じゃがが…)
「あった。」
電子レンジに入れて、あたためを押す。
「あんた、嫌いな物とかないよね?」
「たぶんー。ていうか、あんた料理できんの?」
にやにやと笑う少年にバカにされているように感じてあたしは全力で睨みつけた。
「し、失礼な!…ていうか、いつまでもあんたって言うのやめてよ。仮にも居候させてあげてるんだから!」
と勢いで言ってからあたしはあれ?と手を止めた。
(…今気がついた。)
「そういえばあんたの名前は?」
最初からあんたで済ませてたし、あっちも自分のことをあんた呼ばわりだったから気がつかなかった。
寝っ転がったまま楽しげに見ていた少年は首を傾げた。
「は?名前?」
「うん、名前。」
「02。」
「…は? 」
「だから、02。」
(02…?数字?)
「んーと…冗談?」
「冗談じゃないよー。」
顔が締まり無くにやけている少年の言葉には全く説得力というものが無かったが、これ以上言ってこない為、本当のことなのかもしれない、と思った。
まあ、そもそも、違うセカイのことだ。これが普通なのかもしれないし。
「みんなそういう名前なの?」
「いや、名前が一緒だったら呼び分けられないじゃん。」
いや、みんな数字が名前なの?って意味の質問だったんだけどな…と思いつつも、少年が話し始めたので口を閉じる。
「俺の入ってるの中で俺、2番目の部屋だったんだよね。だから02。あ、正確にいうと02-2。」
ん〜とあたしは首をひねった。
(なんかそれって呼びづらいし…なんかあだ名、あだ名…。)
「…クロ。」
ぱっ、と思いついたのを呟いて見る。
少年はぱっとこちらを向いた。
「クロ?」
小さく呟いたのに聞こえていたらしい。
チーンッ
肉じゃががあったまった。
出しながら続ける。
「いや、あんたに名前つけようと思って。
あんたっていうのもどうかと思うし。でもクロじゃ流石に本当のネコにつける名前みたいだし…。」
適当すぎた、と自分でいった名前に苦笑しつつ振り向いて少しだけ驚いた。
少年は真剣な顔をしていた。
「クロ…。クロかぁ…。」
そして少年はこっちを見て笑った。
「じゃあ、俺はあんたにクロって名前を貰ったってことで!」
「!」
(なんか、ちゃんと笑うの初めて見たかも。)
今まで少年は常にヘラヘラ笑っていた。
でもどこか、態とらしくて。
じゃあ、今の笑顔は?
(心の底から笑ってた…ってこと?)
「あんたの名前は?」
「へ?」
気がつくと少年は何時ものヘラヘラした顔に戻っていた。
少しだけ残念に思いながら答える。
「あたしは遠野 千里。」
「トオノ チサト…。チサト…。」
口に馴染ませるように、何度も言ったあとクロは顔をあげた。
「じゃ、俺はチサって呼ぶ。」
「チサ、ねぇ。」
私はごはんを盛りながら呟いた。
(チサなんて呼ばれるの、初めてだ。)
新鮮な感じがする。
「チサー。」
「ん?」
「腹減ったんだけど。まだー?」
(…ほんっとに図々しいな、おい!)
そのあと、ご飯を食べてお風呂に入った。(クロは嫌がったが無理やり入れた)
クロにあたしはお父さんの服を貸してあげた。前、主張から帰って来た時に置いて行ったスウェットだ。
「だぼだぼしてるー着辛いー。俺の服はー?」
「今洗ってる。明日乾燥機使って乾かすから。」
クロに答えてからあたしは少し考えた。
あいにくあたしは一人暮らしだ。
布団は一つしかない。
あたしは布団を出して床に引いた。そして予備の毛布もだす。
「あたしソファでねるから、クロはここに寝てよね。」
クロは興味深そうにぽふぽふと枕代わりのクッションを叩いている。
(…ま、いつか寝るでしょ。)
「電気消すね?」
「ん。」
「じゃ、おやすみ。」
私はそういってソファに潜り込んだ。
(今日はいろいろあったな…)
思い返すとありすぎた。
違うセカイから来たというクロ。
自由気儘で、ヘラヘラしてて、横暴で…。
クロの笑顔がちらりと頭をよぎり、顔の温度が上がるのを感じた。
(あー、もう!なんで照れてんの、あたし!?)
ガバリと布団をかぶってるうちに疲れが出たのか、クロがやけに静かだったからか…
私はいつの間にか眠っていた。