サンセットビーチ
番外編SS『サンセットビーチ』
Thema:海(サンセット)
「ビーチの方行こうよ」
そう優に誘われて、ホテルでぼんやりと海を眺めていた私は、ラフな格好で部屋を出た。
サラリとしたロンTに、ショートパンツ。
足元には、昨日優がやたらと「似合う」と推してきた大ぶりのビジューが付いたヒールサンダルを履いて。
「日が暮れても、風が気持ち良いねー」
「うん」
優は淡い茶色の髪を風にそよがせながら、相変わらずの笑顔でこちらを振り返ってくる。
細められた切れ長の目も、薄い唇も。
まるで、気まぐれな猫そのもののように見えた。
挑発的なのに、甘えた……みたいな色を帯びた瞳。
気に入らないものには、決して懐かない。
その飄々とした背中を見て、一体今まで何人の女の子が憧れを抱いてきたんだか。
すらりとした細身でも、私より少なくとも15cmは高い身長に、しなやかに纏った綺麗な筋肉。
淡い色のジーンズにTシャツというシンプルな出で立ちでも、かなり人目を引く容姿。
それは国内でも、ワイキキの街でも変わらないようだった。
「玲奈先輩、やっぱそのサンダル超似合うね」
「そうかな」
「そのほっそい長い脚! マジたまんねぇ……」
「バカ」
ばしっと軽く腕を叩けば、悪戯っぽい笑みを浮かべる優。
「ホントこの世界で、先輩ほど俺好みの美女はいないと思う」
「それはどうも」
「中身もクールでツンデレとか。ちょっと可愛い過ぎるよねー」
「黙って」
軽い口調で平然とふざけた事を言う優に顔をしかめれば、何がおかしいのか楽しそうに肩を揺らす。
そっぽを向けば、優は黙って私の肩を抱き寄せてきた。
「先輩、大スキ。ナンパされないように、俺から離れないでね」
「……」
よくもまぁ、照れもせずにこんな事を言えると思う。
気まずさに顔を逸らしながらも、こういう適当なテンションで愛を囁く辺りも、私には丁度良い相手なんだろうなと思った。
私はあんまり、素直じゃない方だから。
「うーわ、すっげ綺麗」
「……本当」
しばらくカラカウア通りを進んでいくと、不意に優が感嘆の声を上げた。
つられて見てみれば、ビーチ奥に見える海面はすべてオレンジ色に染まっている。
サンセットを眺めに来たのか、ビーチにはそれなりに人が集まっていた。
「俺たちも行こ」
優は私の手を掴むと、プロムナードを外れてビーチの方へと向かっていく。
比較的人のいない場所へとたどり着くと、優はふわりと微笑んだ。
「座ろっか。先輩、砂の上は嫌?」
「別にいいよ」
ちょっと高くなっている場所に並んで腰を下ろせば、少し遠くから人のざわめきが聞こえてくるものの、聴覚のほとんどは寄せては返す波の音に支配される。
キラキラと光る海面よりちょっと高い位置には、まだ眩しい明りを放っているオレンジ色の太陽が浮かんでいた。
「あと何分もしないうちに沈みそうだね」
「うん」
「ホント一面オレンジ。先輩も、夕陽色だ」
無邪気に笑う優が、私を振り返る。
そう言う優の顔も、オレンジと影だけで構成されていて。
その造形美も相まって、まるで芸術品みたいだなとぼんやり思った。
日焼けが嫌だから、ハワイに来てからもビーチにはほとんど近付いていない。
だから、こんな海の近くで腰を落ち着けるのは初めてだった。
サンダルを脱いで横に置き、素足でサラリとした砂浜を撫でる。
随分昔以来感じていなかった感触に、懐かしさと解放感を覚えた。
「……先輩」
「んー」
「何かそれ、超エロイんだけど」
「……は?」
「グラビアショットみたいだよ。サンセットビーチで、砂に塗れる美脚……」
「何そのマニアックな設定」
あまりのバカっぽさに呆れて笑えば、優も朗らかに笑った。
「ね、先輩」
「何?」
「キスしていー?」
許可を求めてきたくせに、返事をする前に優の顔がアップになった。
ゆっくりと触れた唇は、押し付けられたまま制止する。
数秒間触れ合ったままの唇は一度離れ、もう一度触れ合って。
それを2、3度繰り返した後、優はようやく離れていった。
「……ここ、外」
「誰も見てないよ。みんな、自分たちの幸せしか見えてない」
囁くようにそう言われて周りを見渡せば、カップルは自分のパートナーだけを目に映し……その他の人たちも、徐々に海に飲み込まれていくオレンジ色の光を見つめている。
肉眼で見られるようになった太陽は、無限に広がる海に溶けていくように見えた。
「綺麗……」
どこまでも真っ青に、眩い白い光を放っている日中の海は、私には鮮やか過ぎる。
オレンジ色に輝く今の海の方が、私は好きだと思った。
「ロマンチックだねー。先輩、また俺の事が好きになっちゃうね」
「何それ、マインドコントロール?」
「バレたか」
クスリと笑いながら、砂に着いていた私の手の甲に、自分の手を重ねてくる優。
ほとんど丸い形を潜めてしまった太陽を眺めながら、私は身を委ねるように隣の肩に頭を預けた。
静かに沈んで行った太陽。
姿が消えても尚、オレンジ色に染まったままの空。
それを見ながら、遠くの人々は皆手を叩いて喜んでいる。
夕陽が沈んだことに感動し、感謝出来る人たちは嫌いじゃないと思った。
今日一日が幸せだったと顧みる事が出来た日なんて、今までの人生で一体何日あっただろう。
……きっと、ほとんど無かった気がする。
あったとしても――こんな風に穏やかな気持ちでいられる日なんて、きっと無かった。
「寒くない? 先輩」
ゆっくりと抱き寄せられ、触れ合う素肌の体温が心地良い。
私を甘やかすような声に、腕の温かさに。
私はそっとすり寄って、目を閉じた。
「……あっためて」
これからも、ずっと。
こんな一日の終わりを迎えられますように……
波の音を聞きながら、私は小さく祈った。
fin.