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トラブル発生


「……ただいま」


 重い扉を押し、玄関に足を踏み入れる。

 相変わらず無駄に広いだけで、ひと気の無い家。

 しんと静まり返った暗闇に、今日何度目かの溜息を零した。

 両親は共働きだけれど、今ではそうで良かったと思っている。

 両親とは……特に母親とは、折り合いが悪かった。

 肩書きや建前など、目に見える確固たるものだけに意義を見出す母親と、寡黙で子育ては母親任せの父親。

 それでもつい数年前までは、何とか上手くやってきていたのだ。

 ……高校に上がるまでは。


 母親が特注で作らせたという、彼女いわく自慢のリビングへのガラス扉を押し、キッチンへと向かう。

 何か食べようかと思ったけれど、何だか食欲も湧かないし……とりあえず何か飲もうと、食器戸棚からカップを出した。

 インスタントコーヒーを適当に作ると、足早にリビングを出て、自室へと向かう。


 ――リビングは嫌いだ。

 ソファーの奥にある、不自然にガランとした空間――私の、宝物があった場所。

 視界に入る度に、思い出してしまう。

 すっかり萎えてしまった気分を奮い立たせようと、自分の部屋に入るなり携帯の通話ボタンを押した。


『……はーい、もしもしぃ? 玲奈?』

「英美理? 今ヒマ?」

『んー、ヒマと言えばヒマだけ――』


 ガサガサという雑音の後に、ちょっとーという間延びした、不満げな英美理の声が遠くなる。


「……?」

『――もしもし、玲奈?』

「……カナメ


 聞こえてきたのは、英美理の彼氏、つまりは私の従兄の声だった。


『勘弁してくれるかな。今から押し倒す予定だったんだけど……ムードぶち壊しだよ。僕に喧嘩売ってるの?』

「激しくどうでもいいし。アンタらの情事予定とか、知るワケないから」

『とりあえず、今から……英美理、すぐ相手してあげるからちょっと黙ってて……今から僕たち忙しいから、他をあたって』

「ハイハイ。どうもすいませんでしたね」

『次から気を付けて』

「……」


 何様だよと思いつつも、コイツに反抗して良い事があった試しが無い。

 私は溜息混じりに「英美理によろしく」と一言吐き捨てて、受話機の向こう側で何やら揉めている二人の実況音声をプチッと切った。

 そのまま飾りっ気の無い携帯をベッドへと放り、自分も腰掛ける。

 気分が落ちると、能天気でポジティブな英美理の声が無性に聞きたくなり、今まで何度となく電話をして、他愛の無い会話をしてきたけれど……どうやらそれも、これからは難しくなるようだ。

 生憎要が言ったような次の候補なんて誰もいなくて、もちろん彼氏の声など聞きたくもない。


「……」


 ドサリとベッドに横になり、目を閉じた。

 ……時々、逃げ出したくなる。

 先が見えなくて……不安に潰されそうで。

 唯一私に残っているルックスなど、少しも私を癒してはくれないのだ。



「おはよぉー玲奈ー」

「おはよ」


 ふぁ、と手で口元を覆いながら眠た気な顔をしている英美理に答えつつ、登校中に買ったチョココロネを食べる。

 ちなみに今は、一限始まって30分が経過したところだ。


「峰、遅刻してきて先生に挨拶も無――」

「ごめんなさーい明日から頑張りまぁす反省してまーす」

「ぶっ、絶対してないっしょ、アンタ反省する気ゼロでしょ」


 ブレス無しで謝罪を連ねる英美理に吹き出せば、何故か私まで先生に睨まれた。


「何、翔ちゃん。私を睨むのオカシくない?」

「加藤、お前はせめて教科書を出せ」

「あー、ゴメンゴメン」


 適当に相槌を打ち、鞄から教科書を取り出して、ページも確認せずに開く。

 形からっていうのは大事だと思うし……一応、教師の指示には従う。

 とはいえ、テストは2週間前から勉強すれば大体赤点は免れるから、普段は適当に過ごすことにしていた。

 まぁ、全部の授業がこうなワケではなく……半ボイコットばりにこうして無視する授業は、たとえばあのセクハラ教師が実は大嫌いだとか、そういう理由があるからなんだけどね。


「ねね、玲奈」

「ん?」

「昨日の電話、何だったの? 要がごめんねー」

「いいよ、アイツの王様っぷりには慣れてるから」

「玲奈優しー。私はいまだに慣れないよー」

「慣れるが勝ちだね。アイツの性格は、まず変わらないだろうし」

「えー……」


 ちなみに英美理と私の席は、教室後方の前後に並んでいる。

 チョココロネを再び食べ始めた私につられ、英美理もピーチティーの紙パックにストローを差した。


「そういえば、玲奈は昨日デートじゃなかったのー?」

「あー、気分が乗らないからサボっちゃった」

「あはは、可哀相だよぉ。断られ慣れてない人なんじゃない?」

「まーね。でも、補講って言い訳したし」

「補講! マジ無いー! 玲奈が補講とか、天変地異レベルー!」

「峰、授業中は静かにしなさい!」

「ごめんなさぁい」


 何故かテンションが上がった英美理は、叱りつけてきた教師に相槌の如く軽い返事をすると、声を潜めて再び話し掛けてくる。


「ていうか、言い訳してまで会いたくないとかー、付き合うのダルくない?」

「うん、私も思った」

「ですよねー」

「別れようかな」

「……付き合い始めたのいつだっけー?」

「土曜」

「3日前じゃん! そのうち恨まれるよー?」

「英美理にだけは言われたくない。アンタ最短記録言ってみなさいよ」

「2時間ー!」

「バカでしょ。何で付き合ったんだっていう」

「えへへー」


 極めてくだらない会話に、どこかほっとする自分がいた。

 きっと、英美理はわかっているのだろう。

 私から電話をするときは、本当は私が何かしら落ち込んでるって。

 だけど相談乗るよとか、溜め込むなとか……ありきたりの、恩着せがましい台詞を私に言ってきたことは無い。

 私たちのバランスは、これで絶妙に保たれているのだ。


「玲奈、寝不足?」

「何で?」

「顔色あんまり良くないよー」


 言いながら、細い指で私の目の下をなぞってくる。

 昨日は、あんまりよく寝付けなかった。


「……やっぱりさぁ」


 特に何も答えない私に、英美理は長い睫毛を揺らしながら、ゆったりと言葉を紡ぐ。


「私以上に、玲奈の方がマジな彼氏必要だと思うんだー」


 何も、言い返せなかった。

 英美理の場合は、危なっかしい行動とか、肝心な時の状況判断力が乏しいとか、そういう理由が第一で彼氏が必要だったと思う。

 でも、私は……


「玲奈は意地っ張りでプライド高いのにー、ムダに繊細だから」


 的を得てると思う。

 私はきっと、英美理のこういう所が好きなんだ。


「……だね。しばらく、お遊び彼氏は止めにするわ」

「んー、それが良いと思う。どうでも良い男の子と遊ぶのってー、暇潰しにはなるんだけど……それ以上にも、以下にもならないっていうか」

「アンタにしては、すごい賢いこと言ってるね。ビックリなんだけど」

「ちょっと! バカにしないでー!」

「峰、静かにしなさい!」

「翔ちゃんうるさいー! 勝手に授業やっててよー!」

「お前……」


 教師と英美理の言い合いを聞きながら、私は携帯をカチカチと打ち始める。

 遊びで始めた関係なら、終止符はメール一本で十分間に合うだろう。


***


 ……メール一本で十分、のはずだったんだけど。


「今朝のメール、アレ何」

「何って……書いてあった通りだけど」


 放課後。

 今日も英美理はデートだとかで、私は真っ直ぐ家へ帰ろうと思っていた。

 だから、まさか正門を出たら彼氏(私の中では既に元カレ)が待ち伏せているなんて、全く予想もしていなくて。


「メール一本で終わりにしろって? バカにしてんの?」

「……」


 あー、きたねコレ。

 アレだ、英美理が言ってたみたいなプライドの高い、面倒臭いタイプ。

 例えばね、こう言ってる理由が、本当に好きだったのに……とかいうものだったら、私だって最初からメールで終止符打ったり、そもそも付き合う時点でオーケーなんて出してなかったわけ。

 大体、予想はつくよ。


「やることもやってないのに、勝手に終わりとか……スゲー迷惑なんだけど」


 うん、予感的中。

 大方、周りの人間に「どうだったー?」って聞かれた時、まだヤらないうちに別れましたーなんて言えないんだろう。

 あぁ、くだらない。面倒くさい。


「あー……じゃあ、いいよ別に。事後に別れたってことにしといて? 別にそこにこだわりはないからさ」

「こだわりがねぇなら、実際一回くらい付き合えよ」

「それは無理」

「何で」

「無理だから別れるってメールしたんですけど……つか放して」


 ぐっと腕を掴んできた手に、思わず顔をしかめる。

 痛いし……ていうか、マジ勘弁して欲しい。


「噂には聞いてたけど……本当、見た目以外はクズだなお前。少しは人の為に何かしようとか思わないワケ?」

「本当はそんな性格のくせに、悪い噂が一切無いアンタの方がクズでしょ。マジで放してよ!」


 ギリギリと力をこめられて、思わず声を荒げた。

 ひと気がほとんど無い小道。

 時々ポツリポツリと下校する生徒はいるものの、良くも悪くも有名な私の厄介事に首を突っ込もうなんて奴は誰もいなくて……皆目を合わせないよう、足早に去って行く。


「あんま騒ぐなよ。俺にメーワクかけてるって思われたら、また悪い噂流されるぜ?」

「……ホント最悪」


 何で、一瞬でも恋人になったりしたんだろう。

 激しく後悔しても、もう遅い。

 英美理と違って、私はその辺上手くやってきたはずなのに……


「本当、金持ちの美人てだけで、他には何にも残んねぇ女だな。さっさと諦めて付いて来いよ」



『家柄と容姿で、何でも上手くいくわけじゃないのよ?』



 頭の奥で、嫌な記憶が引きずり出された。


「違う……」


 家柄も、見た目も。

 別に望んだわけじゃないし……ちゃんと頑張っていたのに。

 ずっと、努力し続けていたのに。


『だから、推薦枠はあげられないわ』


 偏見の目で見たのは、どっちだった――?


「あのさー、あんま勝手なこと言わないでよ。玲奈先輩の悪口とか、お前何様なワケ?」


 何も言い返せずに、唇を噛んでいると。

 突然聞き覚えのある間延びした声が、後ろから聞こえてきた。


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