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心の内


「玲奈センパーイ、いい加減俺に惚れなってー」

「あぁ? 寝言言ってんなっつの。つか付いてくんな」

「だってさー、先輩に変な虫が付いたら困るじゃん?」

「アンタが虫だからね。そこ気付こうね」


 肩にかかった長い髪を払い除けつつ、私は早歩きで廊下を突き進む。

 後ろから追ってくるのは、最近何かと付き纏ってくる一つ年下の男。

 何か知らないけど、一目惚れしたとかしないとかで、ここ一ヶ月こんな調子。


「玲奈先輩、今日も学校一美人だよ」

「当たり前でしょ、知ってるし」

「あはっ、女王様気質バンザイ!」

「うっさいっつの、マジ黙れ」


 ――私のこと、何にも知らないくせに。



『メロディー・ドロップ』



「ツレないところが、また良いんだよねー」


 これだけ突っぱねても、何が? といわんばかりの調子でにこにこしている顔を見て、一つ大きな溜息をついた。

 ちなみに1年と2年の教室は階が違うし、毎日一度は私のいるフロアまで来るとか、どんだけ暇なんだろうと思う。


「そういや先輩、彼氏変わったんだってね。今日教室入ったらさ、クラスの女の子たちがキーッってヒステリー起こしてたよ? 他校のアイドルなんだって?」

「そこまで嗅ぎ付けといて、どうして私の後付いてきてんのよ」

「だって別に本気じゃないでしょ、その人。俺は、先輩の本命志望なワケ」

「……はぁ?」


 思わず振り返れば、たれ目がちな大きな目を細めて、にっこりと笑う。

 一年の男子の中でも、一際女の噂話に登場してくる優男……藤岡フジオカ ユウ

 柔らかい猫っ毛はオレンジ色に近い光を帯びた明るい茶髪で、くしゃりとした癖っ毛風に遊ばせていた。

 いつもにこにこしているせいで伏せ目がちな目や、引き上げられた薄い唇の右下にある小さな黒子のせいで、ムダに色気があるところがムカつく。

 比較的細身で、なだらかな身体を覆うクリーム色のカーディガンの袖から覗く指先は、女でも羨む程に長くて綺麗だ。

 これだけのルックスがあれば、別に一人に執着しないでも良いだろうに……。


「あれぇー? 藤岡クンてば、まぁた玲奈追っ掛けてるー」

「こんにちは、英美理エミリ先輩」


 教室に入れば、親友の英美理が机に両肘を着きながらニコリと微笑んでいた。

 抜かりない巻き髪にフルメイクが標準装備な彼女は、クールとか怖いとか言われがちな私とは対照的に、明らかに「可愛い系」のギャルだった。

 系統は真逆なものの、派手なルックスなことには変わりない私たちが二人で歩くと、校内名物の如く視線を集める。


「熱心だねぇー。玲奈、一回付き合ってあげたらー?」

「英美理、黙りなよ」

「英美理先輩サイコー。マジ好きー!」

「藤岡クンレベルなら、私応援しちゃうー」

「……」


 口調が軽い二人の会話を聞いていると、頭が痛くなる。

 さらに悪い事に、私に負けず劣らず「来るもの拒まず去る者追わず」派だった英美理には、最近本命の彼氏が出来たのだ。

 しかも相手は、私が頭の上がらない数少ない人間の一人で……表向きは優等生、本性は腹黒ドSな従兄だったりする。

 まぁ英美理は軽いくせにぼやっとしてる所があるから、少々束縛気味な彼氏がガードした方が良いとは思ってたんだけどね。

 が、私が守ってあげる負担が減ったと喜んでいたのも束の間、今度は私にも真面目な本命を作れと言い出したのだ。

 別に私、今は真剣な恋愛とか求めてないし。

 正直、英美理とか他の友達とか……同性の友達だけでも、十分満足なのだ。


「玲奈先輩ガンコなんですよね」

「わかるー。しかもすぐ怒るよね? キョーハクとかしてくるしー」

「あははっ! 英美理先輩相手にもするんですか?」

「するするー! 超怖いのー」


 ……私の話で、ムダに会話に花を咲かせるな。

 そんな私の想いとは裏腹に、クラスメイトたちは英美理と藤岡のツーショットに惚々と見入っている。

 大方、癒し系とか何とか適当なことを言ってるんだろう。

 雰囲気が丸いと、ある程度の行動はすべて許容範囲内みたいに捉えられるのが腹立たしい。


「ていうか藤岡、アンタ帰らないの?」

「えー、帰るよ? 玲奈先輩と一緒に――」

「帰らないから」

「えーマジで言っちゃってんの先輩! 週末俺に会えなくて寂しかったでしょ?」

「いやいや、さっきアンタが運んできた噂通り、新カレ作ってたしね」

「あ、そうだった! もー、玲奈先輩ツンデレだよね。妬いて欲しいなら言ってくれればいいのに」

「きゃはは! 藤岡クン超ポジティブー!」

「……」


 ダメだ、これ以上ここにいたらバカになる。

 私は片手でグシャグシャと髪を掻き回しながら、教室を後にした。

 丁度抱えたバッグの中から振動がして、私は無意識に手を突っ込んで携帯を探し出す。

 カチャリと開いて画面を見れば、メール受信の文字。

 カチカチと伸びた濃いピンクの爪でボタンを押せば、彼氏からだった。

 彼氏と言っても、多分期間限定の男。

 私自身、正直「付き合ってみないと良いも悪いもわかんなくない?」って思う派だから、ルックスとか頭の回転とかある程度良ければ、とりあえず付き合ってしまう節がある。

 彼もまた、そんなうちの一人だった。


 大抵の男は私の見た目だったり、キツめの雰囲気が良いとか言って、アクセサリー感覚で隣を連れて歩きたがる。

 気分が乗っていれば、黙ってそうしてあげるんだけど……何故か今日は、全然そんな気になれなかった。


『別に本気じゃないでしょ』


 さっき、藤岡に言われた言葉が頭に響く。

 質問するわけでもなく、確信めいていた口ぶり。

 それをわかっていても、蔑む訳でもなければ、肯定する訳でもないような視線……

 ……時々、アイツが何を考えているのかわからない。

 英美理にさえ、私がどういうつもりで男と付き合うかなんて、話したことがないのに。

 どうしてアイツが――普段そばにいるわけでもない後輩のアイツが、そんなことを言えるのだろう。


 私は、自分の内面に歩み寄られることが苦手だった。

 元々意地っ張りな性格の上、ルックスばかり見られることに慣れてしまって、いつの間にか人に持たれる偏見通りの性格を演じるようになってしまった気がする。

 こうなってしまった以上は、私が意図的に公開している部分だけを見てくれる方が、何かと都合が良いのだ。


(……ダルイな)


 藤岡に見破られた瞬間から、ふと陰り始めた感情をコントロールするのは難しそうだった。

 私と同じくプライドの高い彼氏に、上手く合わせるだけの気力が湧いてこない。

 ちゃんとギブ・アンド・テイクのバランスを保ちながら笑顔を振り撒き続けるのは、結構コンディションが良くないとしんどかったりする。

 このまま会いに行っても、お披露目の如くあちこちに連れ回されるだけの時間を過ごすのだと思うと、酷く気分が重くなった。

 私は手短かに、今日は補講で遊べないとメールを返信すると、行き先を変更した。


 うちの学校は特待生と特進クラスの生徒以外は基本バカだから、放課後になれば、ほとんどの生徒は早々に帰宅するか、部活に行くかのどっちかだ。

 私はひと気が無くなっていく廊下を突き進み、放課後は使われない旧校舎の方へと向かっていった。

 新校舎に比べれば傷んだ壁や床といい、ざわめきの遠さといい……ここは落ち着く。

 クラブに毎晩繰り出す程荒れているわけでもないけれど、決しておしとやかな性分でもないから。

 自分で探し求めないと、日常の中で静寂を確保することは出来ない。


 昔は……ほんの数年前までは、はっきりとしたリセット方法があったんだ。

 どれだけ悲しくても、辛くても……いつも通りの平常心に戻るための、私だけの癒しが。


 ガチャリ、と静まり返った廊下にドアを開ける音が響き渡った。

 ある一室へと足を踏み入れれば、ほとんど使われることのないパイプ椅子、教室奥に積み重なった譜面、古いグランドピアノが顔をのぞかせる。

 私は勝手に中へ入るとカーテンを開け、閉め切った空気を循環させるために、窓を開け放った。

 そっとグランドピアノに歩み寄り、固く閉ざされていた屋根部を持ち上げ、突上棒を立てる。

 譜面台を起こし、うっすらと埃の積もった蓋を開けた。


 そっと指を落とすと、ポーンと少し不安定な音が出る。

 新校舎の音楽室のものとは違い、こちらのピアノは随分古いらしく……もう調律もされていないようだ。

 染み付いた音感はそう簡単に抜けるものでもないから、やや違和感はあるものの、曲を奏でるのに支障が出る程調子の外れた音は無い。

 私は椅子を引いてベストな距離感を作り、そっと指先を鍵盤に乗せた。

 マニキュアで塗りつぶされた爪先が、何故だか無性に赤く見える。

 あの頃は……指よりも長く、爪を伸ばしたことはなかったっけ。


(弾きにくそ……)


 そう思いながら、手首からはブレスレットや腕時計を、指からは唯一はまっていた細いピンキーリングを外し、譜面台の横へ置く。

 そっと鍵盤を押せば、慣れた旋律が聞こえてきた。

 私が好きだった、ドビュッシー、ショパン。

 あの頃に比べたら、全然指は動かなくなってしまったから……少し馴らした後、ごくごく簡単な曲を弾いてみる。

 ゆっくりと、歌うように――。


 フォルティッシモよりも、ピアニッシモで弾くのが得意で。

 力強い和音を押さえるよりも、細やかなアルペジオを弾くのが好きだった。

 心のどこかで、ずっと……ずっと、私は一生ピアノを弾いていられるのだろうと思っていた。

 私がどんな容貌をしていようと、どんな性格であろうと、指で紡ぐ音はいつだって本質を映し出す。

 それがすべてで――それ以外は、関係の無いものだと思っていた。

 それだけが、真実だと思っていたのに。


「……はぁ」


 こんな風に、こっそり隠れるように弾くことしか出来ないなんて。

 私は無心に、指を動かし続けた。

 ほんの少しでも、弾く感覚を覚えていたくて――


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