守人と硝子細工の納戸の住人。
title:《守人と硝子細工の納戸の住人。》
『おやすみ。瞼を閉じなさい。大丈夫皆ここにいる。ひとりにはしないよ』
男なのか女なのか子どもなのか大人なのか。
不思議な音の声に誘われて、アタシは午後の光の中で横になったまま思考が緩くなる。
そして少し優しい気持ちで泣きたくなった。
「あっぶっ…!!!あっぶないっちゅーねん!!!(@□@;)
黒ヒゲ危機一髪並みのスリルじゃねーかこれ!!!」
太陽が燦々と照りつける正午。
入道雲が顔を見せる空の下。
庭に立っている白く高いキウイ棚の上でアタシは見事につるっと滑って、
三軒隣にまでも響き渡ったであろう声量で叫んだ。
今日は祖母の家の庭にたわわに生るキウイの実をもいでいるのだ。
お釈迦様でも取り上げる事は不可能であろうと推測される食い気根性の持ち主のあちきは、
当初からこのキウイ棚に目をつけ、「いつか籠いっぱいに盛って舌がちくちくするぐらい全部生で食べてやる」という野望を叶えるべくキウイ狩りを決行。
意気込みは人一倍だが、簡素な白いコットンワンピースに皮のサンダルという「『The★部屋着』だろが!!本当に狩る気あんのかお前?!」な格好で二階のベランダからキウイ棚に蝶のように舞い(?)猿のように飛び移ってお約束のように足を踏み外しそうになる体たらく。
しかもワンピースで宙にいるもんだから下からはぱんつ丸見えなこと請け合い★(請合うな)
しかしぱんつ全開如きでは慌てず騒がず(てか隠せ)ニヒルに笑って不安定な足場の葉の中に分け入った。
茂る緑が鮮やかな葉の間から楕円のてらてら鈍いつやがあるスウェードのような実を手にとる。
蔓の部分をぱちんと持ち手が大きな鉄バサミで切って芝生の上の籠の中に落としてく。
そのうち籐の籠はエメラルドの実のキウイでいっぱいになった。
「あっつ…」
汗がこめかみから鎖骨へ一筋流れていった。
蝉の音が喧しいぐらいに響いている。
頭が熱くうなじが焼け付くように痛い。
一番日が高く空の青が濃いこの時間帯に野外にいるとどんどん体力が消耗されていく。
(…お医者に紫外線に当たるなと言われたのに素敵に無視★)
目に眩しい空中でキウイの青葉に埋もれてアタシは笑った。世界は余すところ無く「夏」で暑さが鬱陶しいがそれもまた嬉しかった。
柱を伝って芝生に降りる。
集めて籠いっぱいになったキウイを覗き込む。
冷蔵庫にはこんな大量に仕舞えないので籠を両手で抱えて納戸に向った。
家の奥にある薄暗い納戸。
アタシはそろりと木の扉を開けた。
ここはいつでも冷やりとしていて薄暗い。
埃っぽいが空気が絹みたいな感触で入るとさらりと身体に触れた。
厳めしいクローゼットが鎮座し様々な書物が収まった高い本棚がぐるりと壁を取り囲み正面には小さな鏡台がある。
作り付けの棚には何が入っているのか分からない茶色い小瓶やラベンダーのポプリ、
水色のカネット壜が並んでいる。
古いランプが天井から吊るしてあって、アタシが扉を開けた振動でだろうか、それが揺れていた。
この場所はいつも古い物の特有のしんと落ち着いた気配がする。
よくこの部屋の隅っこで膝を抱えて『スイミー』やら『エルマーの冒険』を読んだものだが、
今となってはきちんと収まった物たちが静かに呼吸をしているようで温かい雰囲気の場所だけれど神秘的で少し怖い。
アタシはそっとクローゼットの隣にしゃがんでキウイの籠を置いた。
細長い明り取りの窓辺には硝子細工の小さな動物達がきらきら輝いている。
それを見て思わず顔が綻んだ。
小さな頃から変らない場所。
時間が止まったこの空間が懐かしい。
そっと納戸の扉を閉めるとアタシは鼻歌交じりでバスルームへ。
袖なしワンピースのまま草(?)の中に入ったから何だかむず痒いんだよ体中が!!!!(-_-;)
このままじゃ「かいかいかいかい…」って掻きまくって赤い筋を首やら足やらいっぱいつけちゃう…あちきの珠の様なすべすべお肌が!!!
見るも無残な蚯蚓腫れに?!
ひ~~~とムンク叫びでシャワーを浴びて同じコットン生地の生成りの適当なワンピースに着替える。
タオルを首から提げ、冷えた巨峰を冷蔵庫からだし房ごと掴んだ。
わしわしとタオルで濡れた頭を拭く。
バスルームと通路を仕切る藍色の暖簾を突っ切り暗い廊下を歩くアタシには昼下がりの外の明るさが目に沁みた。
日本間続きの縁側に座って冷たい巨峰を皮ごと口に含む。
皮が弾けてつるりとした果肉が舌の上を転がると、
甘酸っぱくて歯がきんとした。
炎天下にいたせいかとてつもない疲労感を覚えて巨峰を側に放り(食べ物を粗末にしてはいけません(-_-))「あ~」と縁側に寝転がる。
最近は右の腕が重く夜もよく寝付けない。連日の不眠も祟っているようだ。
アタシはぺたりと床に頬をくっつけた。
ガラス戸を開け放した縁側からは緑の庭が見える。
空の豪勢な入道雲を背景に紫の朝顔が鉢から蔓を伸ばし、
花壇には黄色いカミツレが小さな太陽みたいに咲いていた。
相変わらず蝉が煩い。
じーわじーわと耳に響くそれを聞きながら目を瞑る。
瞼が重く身体が心地よいぐらいにだるい。
少し風が吹いて濡れた前髪をさらっていった。
うつらうつらとまどろみを繰り返していると、
頬に冷たい風が当たった。
ゆっくり薄目を開けると庭にはさぁっと霧雨が降っていた。
夏の光に照らされて辺りが黄金に霞んでいる。
黄金の、狐の嫁入り……。
夢現にぼんやりそんなことを思った。
眠気が支配する狭い視界の中。
光の靄の中から何かがこっちに近づいてくる。
四本足ですらりとしたしなやかな肢体。
茶色い毛並みの背中には白い斑があり大きい黒目の小鹿。
雨の中から現れた小鹿はぴんと耳を立てて、
縁側に三日月形に寝転がるアタシの横に来てお腹の辺りに静かに伏せた。
不思議な光景が展開されているがアタシは途轍もない眠気が立ちはだかり身体を動かす事も声を発する事も出来ない。
そのうち何処からともなく小さな動物が集まってきた。
白い兎はひょっこり現れてアタシの手のひらの匂いをくんくん嗅いでいる。
大きな尻尾のシマリス達がアタシと巨峰の周りをぐるぐるはしっこく追いかけっこをし、
薄桃色と水色の鳥がふわりと飛んできて伏せている小鹿の背中にとまった。
黄金の雨が包む縁側の上がオアシスであるかのように小動物が姿を見せる。
何だろうこの綺麗な光景は。
夢だろうか。
小鹿のつややかな毛並みを見ながら温かい雨に晒されていると
「こんなところにいたのかお前達。そろそろ戻るよ」
男のようにも女のようにも大人のようにも子どものようにも思える落ち着いた声が動物達に呼びかける。
小鹿が鼻を上げてその声に答えた。
声の主は小鹿の隣にしゃがみその鼻先を撫でる。
白く沢山金具のついた裾の長い服にカーゴパンツ。
少女なのか少年なのか分からない黄金の雨に銀の髪が映えるそのひとは小さく微笑んだ。
小鹿に触れるその指は褐色で剥き出しの滑らかな腕には羽の印が浮き出ていた。
「『これ』が心配かい」
動物の輪の真ん中に寝ているアタシを物のように言って覗き込む。
森の動物に囲まれた白雪姫張りのこの状況でアタシを「これ」呼ばわりとは失礼千万傍若無人な振る舞いを披露する奴だな喧嘩売ってんのかコラ(-_-;)と猛抗議したいのは山々だがアタシの身体は指先さえも動いてくれない。
小鹿がくぅと小さく啼いた。
「あぁ、これは…」とアタシの右腕に褐色の指先がつ、と触れる。
「夜の歪みに一度落ちたんだね。痕が残っている」
そう言い自らの腕の羽の印をひと撫ですると白い羽が具現した。
その羽の先端でアタシの右腕をなぞる。
じわりと腕が温かくなった気がした。
「痕は消したよ。でもこの言霊使いが夜に捕まりやすいのは守人の僕にはどうする事も出来ない」
守人と自らを定義したこのひとは
肩を竦めた。
「闇は己以外の存在を全て消し去る。『これ』は未だ闇の孤独の鳥籠の中だ。…光の時間帯に生れた子どもなのに夜に好かれるとは難儀な」
守人はく、と喉の奥で仕方無さそうに笑ってアタシの右腕そっと掴んで静かに言葉を紡いだ。
『おやすみ。瞼を閉じなさい。大丈夫皆ここにいる。ひとりにはしないよ』
アタシの薄く開いていた瞳はその言葉に従って閉じられた。
瞼の裏で温かい光が感じられた。
不思議な音の声に誘われて、アタシは午後の光の中で横になったまま思考が緩くなる。
そして少し優しい気持ちで泣きたくなった。
「寝かせておやり。闇が届かない雨が降る間だけでも。さぁ帰るよ。太陽の力の下の雨が消える。散歩の時間はもう終わりだ」
小さな足音達が遠ざかっていく。
どこに行くのだろう。
向こうは部屋の奥で何もない。
あるのは納戸と壁ぐらいだ。
「あのキウイは酸いよ。多分ずっと。お前みたいに頑固にね」
腕に純白の羽を持つ守人はアタシの耳元で低く囁いた。
守人は森のようなざわめきを引き連れて去っていく。
そして完全に何の気配もしなくなった。
目が覚めた頃には黄金の雨は止み、日は傾いた夕方だった。
いつの間にかパッチワークの古い肩掛けがアタシに掛けられていた。
回らない頭でのそりと起き上がった。
下にして寝ていた方側の顔がぺたんこで頬に床の跡がついているのが分かる。
あれらは何だろうか。夢の範疇だろうか。
ああいう鉛筆書きのポートレートやサンドアートみたいに少し輪郭が霞んでいる世界が確かに現れる。
記憶に残り感覚はあるのに「実体はない」。
そんな映像。
アタシが垣間見るもう一つの現実は覚醒と共に世界の裏側へ遠のいてしまうが病んでからとみに「裏側の現実」の色彩が鮮やかだ。
病んだり疲れたりすると色んな物に敏感になる。
普段は感知しないような白昼夢や輩に引っ掛かる事も多くなるのだ。
……向こう側は綺麗すぎて時々どちらが表の現実か分からなくなる。
夕日が染める廊下を肩掛けを引き摺りぺたぺた歩いて納戸の扉を開けた。
明り取りの窓から見える赤い空の前に並んでいるのは硝子細工の森の動物達。
シマリスに兎に鳥、それから小鹿。
アタシが生れる前からここに住んでる住人達。
それらは夕日の光を身の内に湛えて透き通り輝いてる。
納戸の中を見回した。
ただ、あの「守人」が何なのか分からない。
いつからここにいて何を核としている幻なのか。
夏の具現のような肌をして瞳が銀の髪で隠れている守人。
『あのキウイは酸いよ。多分ずっと。お前みたいに頑固にね』
薄い唇の笑いを含んだ低い声が蘇る。
さくり。
案の定、夜に包丁を入れたキウイは鮮やかだったけれど鳥肌が立つぐらい酸っぱかった。
黒い種を散りばめたエメラルドは黄色いまな板の上で転がる。
月を見ながら舌が痺れるそれを砂糖で煮てジャムを拵えた。
明日はこれをヨーグルトにかけて食べようか。
酸っぱくて。
甘くて。
太陽の味がするかもしれない。
2×××年/9月1日/太陽の果実のジャムを拵えながら。