迷路青街。
title:《迷路青街。》
白熱灯に照らされた玄関は夏至が過ぎた雨上がりの夜にぽっかり浮かび上がって見えた。
オレンジの光で満たされたその空間は一筋のスポットライトが当たる劇場の舞台みたいだ。
観客のいない静かな夜の劇場。
そこの深緑の扉に片膝を立ててもたれグラスを下に置いた。
カラン、
と中の氷が音を立てる。
「ちと甘すぎたか」
適当に作ったギムレットを一口飲んで苦笑いで舌を出し親指と中指で掴んだグラスをゆっくり振った。
カラカラと氷はグラスの中で踊る。
星も月も出ていないが静謐ないい晩だ。
「鬱陶しい雨も上がったしな」
素焼きのタイルの地べたに緩いジーンズで胡坐をかいてグラスを傾ける。
(……上品に飲むというより子どもがジュース飲むみたいに思いっきりあおる…実はザルな22歳お子様笑。)
半袖のポロシャツでは雨を含んだ夜の空気は肌寒かったがたまにはこんな晩酌もいいだろう。
透明なギムレットが入ったグラスを直置きし百均で衝動買いしたピンクの石鹸水に黄緑のストローをつけて吹いた。
昼間オイラが大好きなダイソー(笑)で見つけたシャボン玉。。。。。
喜び勇んでリビングで吹こうとすると「液が垂れる!!」「アホか!!」「人のいないところでやれ!!!」と非難ごうごう……(-_-)
おかげでこんなお外でひとり寂しく晩酌しながらシャボン玉を吹くはめに……
嫌われ者の末路…?(哀愁……)
黄緑のストローをひと吹きするとたくさんの小さな泡が連なって生れ夜に広がる。
吹く度にシャボンの色は変わり水色、黄色、ピンクのグラデーションで白熱灯の光に照らされ輝いていた。
ストローを置き、普通とは逆で誰も見ることのない「小劇場の舞台」から暗い「観客席」を眺める。
黒猫にピンクのチュチュの踊り子にピエロ。
仮面を被った悪魔に女神。
目の前の夏の夜を嬌声や微かな笑い声を残して様々なものたちが流れていく。
夜は面白い。
昼とは逆のものたちが主役の世界だ。
暗さこそが彼らのフィールドでこの時間帯はそちらの世界の方が比重が重い。
そして何でも問答無用で明らかにする光よりも寛大で、
夜の世界の連中とは毛色の違うアタシが眺めていてもそのまま容認してくれる。
「まるでサーカスのパレードだな…(-_-;)『こっち側』ならご近所から苦情が出るところだよ…」
ひとり呟いてギムレットが揺れるグラスを手に取る。
夜は思いのほか賑やかで素焼きのタイルに舞うシャボンの影さえも彼らを祝福するように七色に輝いていた。
そんな中白熱灯の光で浮かび上がる自分の白いハンチングの頭や穿きこんだジーンズの片膝、
右手に持った四角いグラスの影たちを何とはなしに見つめていると
「……?」
多少の違和感に目を眇めた。
アタシの落とす影は妙に濃くて深い。
宵闇の一番暗いところを切り取って貼り付けたかのようなくっきりとしたシルエット。
グラスに添えた指の先まで。
指の先…
「?!!!!」
黒い指先がグラスをキュッと握る。
アタシは目を疑った。
しかし影はひょいと立ち上がる。
そしてギムレットのグラスのシルエットを手にしたまま階段を駆け下りて夜の闇に逃走した。
非常口のマークのような勢いのダッシュで。(!!)
従順でアタシの足元に縛り付けられているはずの影は勝手に
役目を放棄したのだ。
後に残されたのは呆然としたアタシと『中身』を盗られ、本来の「物の重さ」を失ったギムレットのグラス。
「くそっギムレット持ってかれた!!」
一瞬後に我に帰り白熱灯の舞台の階段を
だんっ
と一気に飛び降りて追いかける。
奴はどうしたんだ?
何をトチ狂ってる?
夜に浮かれて羽目を外し過ぎたのか?
影がない分地に足が着かない感じだが本来は自分と対のものなので暗闇でも気配は辿りやすい。
が、
疾走しながら舌打ちが出た。
嵌められた。
アタシはあのオレンジの光で満たされた玄関を飛び出すべきでは無かった。
あそこから離れれば足を止める事は許されない。
玄関から先、夜が支配するここは彼らのテリトリーでアタシが彼らの領分を侵す権利は持たないのだ。
アタシと繋がる影を追うしかなく見失えば陽の下の自分の居場所に帰れる保証が無い。
酒なぞくれてやれば良かったのだ。
後悔で口を歪めてたくさんのものが潜む闇の中後を追う。
遠くで笑い声が聞こえ多くの視線がアタシに集中しているのを感じた。
影はいくつもの角を曲がりいくつもの通りを抜けていく。
それはどこも似ていて同じ場所をぐるぐる回っている錯覚に陥った。
まるで迷路だ。
方向感覚などとうに狂い自分がどこにいるのか分からない。
早いところ影を捕まえて自分の足元に戻さないと。
どうやったら追いつける?
どうやったら奴を止められる?
考えながら走っていると小雨が降り始めた。
温かい霧のようでそれはゆっくり身体を濡らしていく。
それは走っている道も同様でアスファルトの感触が湿ったものになっていった。
アタシは夜の道に目を凝らす。
道の両側でまばらにほわりと丸い青や薄紫や赤紫の光が淡く輝いているのが目に付いた。
それは雨が降るほどに鮮やかになっていく。
なるほど。
もう、そんな季節だったんだ。
「ごめん」
アタシの声に影はぴたりと動きを止めた。
振り返りじっとアタシの様子を窺ってひたひたと近くまでやってくる。
「アタシが悪かった。このところ就職や原稿や何だって忙しくしすぎてお前のこと忘れてた」
ゆらりと影が子どもほどの小さなシルエットに姿を変えてじっとアタシの言葉を待っている。
爪先を上下させてアタシの言葉を待っている。
「今年もありがとう。お蔭で紫陽花は綺麗に咲いたしアタシは雨の作用でどこか別のところにいる同じポジションの『彼』に会えた。鬱陶しいなんていって悪かったよ」
道の両側に淡く光る丸い珠は紫陽花の花。
アタシの影に潜んでいたのはこの紫陽花や翠雨を司るものだろう。
あめふらしと呼ぶようなものなのかもしれない。
最近は忙しさにかまけてきちんと外を見ることをしなかった。
時間も季節も移ろっているのに。
いつもならその変化を目に留めその中で生きている自分を実感するのだが今まで紫陽花が咲いている事にさえほとんど注視しなかった。
認められないと拗ねるのは当たり前だ。
人間だってきっと多分人間じゃなくたって。
「それはやるよ」
アタシが苦笑してギムレットを指差すと
影は頷いた。
そして水がはじける様にぱちんと水滴を散らしてその姿を消した。
雨が心持ちきつくなる。
色とりどりの紫陽花が雨に濡れて鮮やかに光り始めた。
静かな夜に紫陽花に縁取られた光の道。
植物は陽の光の下でしか咲かない。
これを辿れば自分の家に辿り着けるだろう。
アタシは紫陽花の道を歩き始める。
やれやれこんな夜中、しかも濡れて迷路住宅街を彷徨ってたら風邪引くじゃないか。
馬鹿は風邪引かんという先人の教え(?)にかけてみるか。
光の迷路をふらふら進む。
アタシの身体を温かい雨が包んだ。
どこかで楽しげな声が聞こえる。
連中は夜の真ん中でまだパレードをやっているのかもしれない。
タフな奴らだ。
「帰って飲みなおすか」
頭を掻いて呟いた。
もちろんお酒は甘めのギムレット以外で。
2×××年/6月/27日/梅雨の紫陽花の彩りを前に。