北の人魚と南の人魚。
title:《北の人魚と南の人魚。》
『人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません
北の海にも棲んでいたのであります』
暗闇の中、ブラウン管のノイズのような雑音。
ザッザザザと耳の奥で妙に響く。
暗い。
黒い。
音は近くなったり遠くなったり。
頭痛がする。
冷たい。
広い。
鈍く痛む。
音は満ちたり引いたり。
………あぁそうか。
これは潮騒の音だ。
そう気が付いた瞬間にぱちりと瞼が開いた。
真夜中零時過ぎ、自分の部屋のベッドの上で布団をかぶって仰向けている。
身体には粘土のように纏わりついて離れない倦怠感。
そして起き上がった訳でもないのに不思議と見える下方の大窓。
本来なら絶対にない視界の広さ。
「あ~…マジやべぇなこれ。金縛りだー(-_-)」
結構余裕で焦る(?)アタシはひしひしとアタシの部屋に何かが迫っている感が肌で感じられて「意識」を飛ばして窓とドアを確認した。
自己防衛の本能なのかアタシは金縛ると身体が動かない分意識を自由にしてぐるりと周りの様子を垣間見ることができる。
これは……誰の仕業だ、と焦燥でアタシは口を歪ませて笑った。
とり合えず、「南無阿弥陀仏か?いや南無妙法蓮華経の方がいいのか???だって元祖美の伝道師美輪様が一番効くって言ってたし!!!南無妙法蓮華経…南無妙法蓮華経…なんにょうほうれん…あぁっもうっ噛んだよ!!!」とか本人かなりいっぱいいっぱいで焦ってるシリアス場面なのにこうして文章にするとお笑いにしか思えん展開。
あちきがあちきたる所以ですな。(-_-)
一心に唱え続ける。
歯軋りをしたいぐらいの祈るような気持ちで口にした呪文。
だが、開け放されたカーテンからは暗闇の外が見える。
だめだそこは。
見たら、いけない。
頭の中にそう警告が浮かんでくるが、
視界は塞ぐ事が出来ない。
「意識だけ」とはともすれば360度見渡せるが「閉じる」事が出来ないのだ。
何故なら手で瞳を覆うのも出来なければ背を向けることも出来ない。
カーテンの向こうには夜の公園、のはずだった。
視界に飛び込んできたのは荒れる波。
吹きすさぶ強風に叩きつける雨。
何処までも続く暗黒の海の中。
そこに浮かぶ、「もの」は僅かに射した稲光で鱗を閃かせた。
水にたゆって花のように広がる長い髪。
光る、目。
ぞっとするほど滑らかで白い腕が窓枠を越えてアタシを掴もうとする。
指がアタシの「顔」に触れる…
「あぁああああああああああああ!!!!!」
自分の声に驚いて飛び起きた。
背中にひやりとするものが流れていて寒気がする。
喉が異常に渇いていて心臓が喉の裏で鳴っていた。
何でだ?
何が「アイツ」を呼び寄せた?
周りを見回すと、自分の枕元の絵本に気づいた。
『赤い蝋燭と人魚』
眠る前に読んでいた本。
「これか…」
自分の夢を思い出す。
潮騒の音。
あれは暗い夜の海だ。この絵本の人魚が棲んでいる北のそれはそれは暗くて冷たい海。
幽霊や人であらざる者が水辺に集まるといわれるように水は色んなものを呼び寄せる。
静かで暗い海の夢に吸い寄せられて「あれ」は姿を現したに違いない。
閉め忘れたドアがきぃ…と僅かに揺れ動いていた。
ドアの…隙間……。
隙間というのは怖いものだ。
ぴたりと閉じられていれば向こうとこちらは完全に別のものとして二分される。
個々の場所として成立し、境界が引かれている。
だが隙間があると向こう側の別の場所があることが知れ、色んなものが覗きに来るのだ。
人の性と同じで隙間があれば覗かずにはいられないものたち。
だから隙間は別々の場所を結ぶドアの役割をする。
「向こう」があることに気づかれると通り抜けにやってくる。
隙間からは大勢が覗いている、もしくは通り道になることは間違いない。
ドアや襖は全部完全に閉めなければならない。
または完全に開け放すか、だ。
隙間があの暗い海とこの部屋で眠るアタシの夢とを繋げたらしく、自分の迂闊さに白目を剥きたくなるな(ーー;)
(その後怖いので「おかーたま!!!北の海の根暗な(偏見)人魚が出た!!暗い海に引きずり込まれるよ~(ToT)モズクに(藻屑の間違い。海草になってたまるか)なるよ~!!!」と母の寝室に避難。。。……小学生か)
淡い水色の湯を掬って上に放り投げた。
滴がきらきら午前中の光に反射してアタシの上に降り注ぐ。
人魚の呪いが身体に纏わりついてそうだったので気晴らしにお風呂。
パジャマを脱ぎ散らかして「ひゃほう(^○^)」と黄色いバスタブに飛び込みあひるの玩具と一緒に水と戯れる。
湯船に寝転がりぼんやり身体をお湯に浮かせた。
白と黄色のバスルームは光で満たされ余すところ無く明るく天井には水面の揺れが反射してゆらゆら輝いていた。
光の中のバスタブは暖かくて目を瞑っていても光の存在が感じられる。
太陽の真下、青い海に浮いてるみたいだった。
まるであの人魚の棲む冷たく底の無い北の海とは正反対だ。
アタシが夜伽に読んでいたのは小川未明の「赤い蝋燭と人魚」という悲しい人魚のお話。
北の暗い海に棲む人魚がせめて自分の子どもだけは明るい場所で幸せに暮らして欲しいと願った。
そこで彼女は美しい街に住み優しいと伝え聞く人間に育ててもらおうと陸のお宮の麓に女の子を産み落とす。
その子は蝋燭屋の夫婦に育てられるが欲に目のくらんだ夫婦は女の子を香具師に売ってしまった。
後に残されたのは娘の作った赤い蝋燭だけ…。
ある時夫婦の蝋燭屋に1人の女が訪ねて来てその赤い蝋燭を買って行った。
その女の払った銭は良く見てみると貝殻でその晩、海は大嵐になる。
丁度香具師が娘を檻に入れて船で南へ行く途中沖合いに出た頃だった。
人間に裏切られて売られた人魚の作った赤い蝋燭は大あらしを起こし、
ついには町を滅ぼしてしまう。
恐ろしく真夜中の海みたいに冷たい話だった。
人魚の彼女は間違えた。
明るい場所への羨望と娘の幸せを願うばかりに自分の責務を放り出し、人間なんかに預けてしまった。自分で育てなければならなかったのだ。
例え暗い海の底でも自分が子どもに歌をうたってやり自分がお話を聞かせてやる。
それでも明るい場所への憧れが消えないのならば、
南へ旅すればいい。
子どもと手を繋いで海の中を悠々と泳ぎ暖かい太陽に触れる水に辿り着けばいい。
道中はたくさんの楽しい出来事が起こるだろう。沈んだ海賊船の財宝を発見したり?仲間と出会うかもしれないし綺麗な珊瑚礁も見られるかもしれない。
アタシが人魚ならそうする。
つーかそういうお宝をガメてだな、人間に売りさばきながら旅するほうがよっぽど楽しく暮らせるわい…!!!
人魚億万長者~♪長者番付一位~♪(この場合確定申告はどうなるのだろう?税務署は地の果てまで追いかけてきそうだが)とか思うのだが???!!!
まぁそういう黒い思想(笑)は置いといて
暗く救い様の無い夜だって柔らかい光の朝に繋がっているんだ。
寒く寂しい北だって暖かくかしましい南に続いている。
自分で行くよ望むなら。
自分の手で育てるよ。
放り出すことなんて出来ないな。
だって母親なんだからさ。
真っ白なバスルームの水面にゆらゆら浮かんだ思考でそう思う。
南の青い海のような水の中にアタシはどんどん沈んでいった。
髪が水に中でさらわれ大きく揺らめいてとても気持ちいい。
珊瑚礁が連なり色とりどりの魚が泳ぎ舞う。
頭上は光の輪がいくつも重なって眩しかった。
何処までも青くて透明で光が弾ける世界。
その奥の方で陽の光を反射して煌く鱗が見え隠れする。
長い髪で美しい生き物。
人魚の母娘。
ああそうか、昨日の晩はあの嵐の晩と重なったのか。
彼女は沈んだ船の檻から自由になった娘を迎えにきたのだ。
そして今度こそ南に向けて旅立った。
彼女達は今は「南の人魚」だ。
くるりと背を向けて暖かい青の中をどこかへ泳いでいく二人。
それをぼんやり笑って眺めてた。
遠ざかっていくきらきら光る綺麗な鱗を。
遠くて広いどこかの海の幸せな白昼夢。
そんな夢を見る休日も悪くない。
アタシは少しだけ肩を竦めて現実に浮上した。
いい加減空気を吸わないと溺れ死ぬわい……(-_-;)
アタシは陸の生き物だからこの綺麗な青の中には混ざれない。
残念ながら。
この綺麗な場所に永住する権利を持たない。
南の海に通じる青い水面から顔を出し、勢いよく水を跳ね上げてバスタブから出る。
素肌にコットンブラウスを羽織ってバスルームの扉を開けた。
風通しの良い窓に座って透明のボトルの封を切る。
風が濡れた髪を揺らして滴が肩を濡らし、首を伝って胸を滑り降りる。
庭のハナミズキが気持ちよさそうにそよいでいた。
「……れ?」
ペットボトルを掲げてみる。
パチパチ弾ける炭酸水。
舌にピリッと刺激がある。
お風呂上りのミツヤサイダーは少し辛くて不思議と南の海の味がした。。。
2×××年/5月24日/人魚の泳ぐ海の青の中。