風神が呼んだ陽に透ける金木犀の風。
title:《風神が呼んだ陽に透ける金木犀の風。》
「次回検査の結果を見て、数値に変動なければ今まで通り生活に当たっての注意を守って定期的な検査を受けていくという方針にしましょか~」
早朝7時半から待ってやっと入れた診察室で穏やかに先生はそう告げた。
「はぁいお願いしまふ…」(失礼にも半寝で返事…(-_-)zzz)
本日はいいお天気☆
絶好の病院日和!!(え?)
空気が肌に冷たくなってきた今日この頃、
早朝6時起床で歯磨き粉と間違えて洗顔フォームで歯を磨きそうになるわ車と家のキーを間違えるわのお約束ハプニングにもめげずに何とか日赤まで辿り着く。
そして脳内稼働率15%の表層意識だけで受付を済まし受診までこぎつけたのであります。
夏に見つかった持病への今後の対処の方針を決定するべく専門のお医者様と相談に来院。。。。。
こんなに生意気盛り(?)のお転婆娘ですが実はひ弱でデリケートな硝子細工のような乙女なんですのよ☆
(鼻でお笑いになられたそこの紳士淑女の皆様…「見かけによらない」という言葉はその必要性があるから存在するんデス)
「ではまた来週ですね~」
「はっ!!?(←今更目が覚めたらしい…全て終わった後だよ…)りょっ了解しました(-△-;)ありがとうございました!!」
頭を下げ診察室を出て採血や何やらの検査を済ませて会計へ。
大きな病院というのはどのシーズンにも関係なく混雑している。
病院特有の清潔で苦い匂い。
独特のぬるく緩んだ澱の様な空気の中を、
エントランスでは案内板で行き先を確認する杖をついた外来の老人や車椅子の患者、
その家族などが行き来していた。
待合に設置された椅子は殆ど埋まっている。
院内放送で名前が呼ばれ、
その度になる「ポン」という柔らかく病巣を刺激しないように配慮がなされたような鈍いチャイムの音が耳を通り抜けていった。
おかしいな、と何となく思い始めたのは来院時に通行した記憶のない連絡通路の扉をくぐってしまってからだった。
レントゲン室が立ち並びその重々しい扉たちには一様に許可なく入室する旨を禁じた黄色と黒のマークが貼られている。
閑散としていてあの雑多な受付の比じゃなくひっそりとしていた。
ヴゥゥとお腹の底を揺らす機械音が微かに響いている。
首を傾げつつ白い廊下を突き進み、
適当に角を曲がって気ままに防火シャッターの如く重厚な壁にぶち当たった。
それでやっとアタシは気付いた。
「まずい…ここ…隔離病棟だ…」
病院には重病患者の病棟や小児病棟など、
一般の見舞い客や外来の患者が立ち入れない区域がある。
アタシが間違えて入り込めるぐらいなのでそれほど厳重に監視しなければならない場所ではないのだろうが、
早々に立ち去るに越した事はない。
小心者のあちきは立入禁止区域と分かると誰がいるわけでもないのに目に見えて抜き足差し足千鳥足(?)になって益々挙動不審に…(-_-;)
出口を探すも歩く超絶方向音痴暴走娘☆は引き返しているはずなのに再診の受付に出られるドアは見えてこず、
それどころか何度か角を曲がりどんどんドツボにはまっていく始末。
挙句、「出口どこやっちゅーねん!!!何やこのダンジョンみたいな病院!!(ー□ー;)キィィィィ~!!」と逆ギレしてゴール到達を放棄し目に付いた近くの勝手口から中庭に脱出するという勇者ならあり得ないクエスト掟破り的行動を強行…。。。。
(いつの間にかドラクエ風味…しかしアタシはどちらかというとFFユーザー…てへ★)
「よっ、と」
白い院内迷路の勝手口から飛び降りた庭は広かった。
芝生と植え込みが続き、所々に休憩スペースやベンチが点在する。
9月中旬の陽気と天気予報でのたまっていた通り陽射しは暖かく外は中の消毒されてよどんだ空気よりも随分と健康的だった。
陽射しは夏の終りと似ているが今、空気は秋の深い匂いがする。
この季節になるといつも香る匂い。
深呼吸すると柔らかい薄荷みたいに少しすっとして陽射しが溶けたみたいに少し香ばしくて、
それから胸の奥が少し締め付けられる香り。
散々院内迷路を歩き回って疲労したアタシは「もうあかん…足が棒のようじゃわい…」とだらしなく脚を投げ出してベンチに横になった。
うららかな陽射しのひなたぼっこをしながらぼんやり考える。
この秋に匂いは何が含まれてるのかしら。
ちょっと物悲しくなって琴線に触れる甘い…
ぺたり。
秋の物思いとは何て乙女的なんでしょうという陶酔に浸っていると顔に何か張り付いている感触。
「…………(-_-)」
はいはい絶対茶々が入るのね。
どーせそんな可愛らしいシチュエーションはお間抜けなアタシには似合いませんよ。
えぇ似合いませんとも…やさぐれてどっこいせ、と声に出さず起き上がる。
顔に張り付いていたのはポストカードだった。
モノクロの目鼻立ちのくっきりとした前髪のはねた少女が映る一枚のカード。
きらきらした瞳の女の子が楽しそうに口を開けて笑っている一場面を写真におさめたカードで下に小さくAudreyと印刷されていた。
オードリーヘップバーンの少女の頃の写真をカードのにしたものらしい。
アタシはそれをベンチの前に立っていた人に渡した。
その人は手にハードカヴァーの単行本を持っていてそれをしおり代わりにしていたらしい。
ポストカードは何かのはずみで偶々通りかかった所に居たアタシの顔に落ちたようだ。
趣味のいい人だな、と好感を持ったが「すみません。ありがとうございます」と頭を下げたその人物の意外さに面食らった。
落ち着いたチャコールグレーのジャケットにベージュのパンツ。
インナーは鮮やかなグリーン。
きちんとしているのに力の抜き加減がイイ感じの服の着方だ。
こういうのは殆ど内側から滲み出るものできっと人はそれをセンスと呼ぶんだと思う。
その人は確実にその微妙なラインを見極めるのが上手い。
秋の陽射しに透かすと鳶色に見える目の色と自然な感じの茶色い髪。
フレームの太い黒の眼鏡を掛けている。
イケメンだ。
間違いなく。
ただ、
背がアタシより低い。
声が男の人にしては高い。
華奢でまだ骨格が出来上がっていない感じ。
オードリーのポストカードをしおりにする趣味の良いこの殿方は確実にアタシより10は年下できっと平成生まれの少年だった。
理知的な彼はポストカードを受け取り一度アタシの寝そべっているベンチを通り過ぎようとしたが躊躇いがちにアタシに声をかけた。
「あの…ここは今の季節なら昼寝するにはいいと思う。金木犀が咲いているから」
「はぁ…」(←少年の意図が読み取れず珍しく困惑する言霊使い)
確かに良い天気だし周りは少年が言うとおり橙の小さな花をつけた木々、金木犀が咲き乱れていた。
濃い上品な甘い香りがこの庭の空気にはたっぷり含まれている。
さっきから香っている秋の香りの正体はこれかと納得した。
「よく眠りたいなら強めのいい香りを夜寝るときに焚くといいと思う。余計なものが寄り付かないから」
「え?」
眉を顰めたアタシを見て少年はアタシが鬱陶しがっていると思ったのか「じゃあ」、と背を向けた。
アタシは慌ててその背中に尋ねる。
「そうじゃなくて!何でアタシが寝不足な事知ってるのかなって!!」
少年は足を止めて振り返った。少し首を傾げてはにかんだ様に笑う。
「だって凄く眠そうだから。夜、寝てないんでしょう?…ここは金木犀のおかげで今は鬱陶しいのが入り込まないよ。だからぼくも最近はよくここに来ます」
子どもの身体に大人が納まったような少年だ。
所作や物言いの口調が自然で背伸びをした子どもがわざと大人ぶって使うような言葉の浮いた感じは微塵もない。
それに鼻につく嫌味も無いのだ。
遠慮と距離の取り方を知っている人間のそれだった。
アタシがベンチを勧めると「失礼します」と会釈して(!!)
隣に座る。
彼は「ハロウィンが近いから浮かれてるのも多い」と煩わしそうに肩を竦め
「あぁ。通りで寝苦しいと」とアタシが答えると「アロマオイルとか部屋に置くといい。香りの作用で守りの力が強められるから。酔っちゃうならサシェとか軽めの香水を少しシーツに垂らしたり」と丁寧に教えてくれた。
少年は目を会わす時アタシから焦点を僅かに外して遠くを見るように瞳を眇めた。
その鳶色の瞳の眼差しは芯が通っていて何かをじっと観察し見通しているかのような風情がある。
「お姉さんは…(←アタシがそう呼ばせた笑。でも彼は出来た人間なのでアタシの押し付けを快く受け入れてくれる度量がある)」とここで少し考えて逡巡した後、
「立体映像みたいに見える」
ぽつりと少年はそんなことを言った。
彼は物の見え方、取り分け人の見え方が少し普通と違うみたいで目を凝らして見ると「その人の内側にもう一人見える」。
あぁ、この子は、本質を見抜く子どもだ。
話を聞くとアタシはそう直感した。
透視能力は巷でよく耳にするが彼が透視するのは人の本質だ。
生きていくために幾重にも身につけた処世術や偽りや建前を全て透過してそのひとの性質の芯を見抜く。
彼から見たアタシの中のアタシは立体映像だというのだ。
『とても色鮮やかで映像だとは思えないんだけど実体が無くて実は誰も触れる事が出来ない』
それがアタシの本質なのか?
「お姉さんが持っているその立体映像はすごく『色』がはっきりしていて綺麗で見ている人にとってある意味分かりやすいんだけどそれに触れようとしても絶対に掴めない。だってあくまで映像なんだから。だからきっとお姉さんを見てる人は困惑するんだろうな。本心はどこにあるんだろうって」
…確かになかなか捉え所が無いとは言われるが(-_-)
予測がつかないとはよく言われる。
その人の中で出来上がったアタシのイメージとそぐわない行動がアタシから多々飛び出すらしい。
高校時代に運命的な出会いをしたソウルメイトの流離いの旅人に最近やっと「アンタのことが少しだけ分かり始めたわ~」と苦笑された程だ。
「しかも見る人によってその立体映像を微妙に変えているんだね。相手によって出す映像を手動で切り替えてるみたいな(笑)初めはホントの自分を出すのが恥かしいから『見せる』映像をたくさん持ってるのかなって思ったけど違うんだ。これ全部一個人で全部お姉さんの『色』なんだ。実体が無い映像だって事も含めて」
『立体映像で他人が触れる事が出来ない』
これはアタシの見地を如実に表した言葉かもしれない。
人は他人を絶対に全て理解することは出来ない。
他の人の心の内や考えていることを全て知るのは不可能だ。
心臓を開いてみても頭を開いて脳を取り出してみても他人の心を垣間見る事は無理だ。
またその人の理屈を頭で『理解』することは出来てもその理屈に納得して分かり合えるかどうかも別の問題だ。
そういう意味で人は皆立体映像。
誰もが他人の実体の無い映像を見てる。
実体に触れる事は、出来ないんだ。
「でもさ、お姉さんの本質はその立体映像を見る相手によって操作する『手』も含まれるんだよね。華やかな映像だけじゃなくてその裏側の『手』の存在に気付く人間がお姉さんの本質の根底に触れられるのかもしれないなぁ」
「…そんな人間早々いないんじゃね?(-_-)(本人さえ考えることが最早面倒臭くなってる模様……語彙の豊富さといいこの博学小僧には恐れ入る)」
「そうかなぁ。…まぁ要約すると、お姉さんって…えっと、人間が深いねって事なんだけど」
本人さえも気付かないその人間の芯の部分を見透かす性質の瞳を持つ少年は感慨深そうに言い語尾に笑いを含めた。
『言葉を選ぶ』という余裕や思いやりがアタシがこの年頃の頃果たして備わっていただろうか?
「表現を婉曲にしてくれて嬉しいが随分と捻くれてると言いたいんだな(笑)まぁでもアタシは結構浅い人間だよ。少なくとも分かりやすく鮮やかな『立体映像』に気を取られてそれを操作する『手』が見えない人らには。見えないものは存在しないのと同じだからな~…」
首を回してアタシは秋の高い空の下伸びをした。
ベンチに座っていると遮るものは何も無く陽射しが暑い。
久々の晴れ間から降り注ぐ光を邪険にするのは何だか気が引けるが長袖では少し汗ばむほどだ。
「あっつ…(ーー;)」
「風神を呼ぼうよ」
「え?」
少年は抱えていた三洋堂のカバーの単行本を横に置いて立ち上がった。
手を胸の前に出してしばらく見つめる。
すぅっと大きく息を吸った。
ぱぁん、ぱぁん。
子気味良く柏手が庭に響く。
するとそれが合図のように周りの金木犀の葉が揺れ始めた。
ざざざざと葉同士が擦れ合う音が聞こえて枝がたわむ。
アタシのスカートの裾も捲くれ上がった。
どんどん擦れる葉の音が大きくなり最後にごうっとアタシの髪をかきあげるほど強い一陣の風がやってきた。
それは辺りの金木犀の橙の小さな花々を竜巻のように巻き上げた。秋の茜がかった陽射しに透けるオレンジの花々は面白いように舞い上がって行った。
高い空に橙が散る。
「わぁ…」
空の淡い青と鮮やかな橙を竜巻の真ん中にいるアタシは瞳いっぱいに映した。
くるくる花々は旋回し蜜のような甘い香りと共に空で踊っている。
「良く飛ぶなぁ。強く呼びすぎちゃった…」
少年は手を額に翳してはははと屈託無く笑い広いを見上げている。
『風神招き』。
アタシはそれは本で読んだ事しかない。
これが出来る人間に出会うとは思っても見なかった。
いるんだ。
確かにここに。
何だかとても不思議な心持ちだ。
彼は流れていく風と金木犀の中で腕時計を見て「あ」と声を上げた。
「ぼくもう行かなくちゃ。面会の時間だ」と本を手に取った。
アタシはここから駐車場に抜ける順路を教えてもらいあまつさえ「案内しようか」と気を使われた事に恐縮した。
「君は何でここにいるの?誰かのお見舞い??」
アタシが何で彼にこう聞いたかといえば当然彼は病人らしく見えないからだ。
パジャマを着ている訳でもないし点滴をつけている訳でもなく包帯を巻いている訳でもない。
「ぼくがここにいる理由はね、……こういうことが出来るからだよ」
こういうことが出来るから。
風神を呼べるから。
人の本質を見る瞳を持つから。
人と、違うから。
ここの病院は身体に何らかの疾患や不具合を抱える人だけが対象の病院じゃない。
人間の中に巣食う病気。精神が揺らぐような病気。
色んな病気を受け付ける科があるのだ。
彼は、病んでいるのかもしれないしそうでないのかもしれない。
アタシには至極健康的に見えるがそれも『立体映像』なのか。
「じゃあまた会えるといいね」
そうアタシが最後に手を振ると少年は困ったように笑った。
「ううん。もう会わないほうがいいんだよ」
首を振って踵を返す。
少年は素早くやってくる風神の、風みたいな足運びで庭を抜けていった。
金木犀の竜巻の中にアタシを残して病棟の方へ消えた。
言われてみればそうだ。
ここは病院で悪くないと来る場所じゃない。
アタシと彼が出会ったのは箇所は違えどどこか欠陥があるかもしれないと診断が下されたから。
出来れば、
健康である方がいいのだ。
もう顔をあわせる機会が無い方が。
「とりあえず、来週の検査結果で異常が無いといいなぁ…」
ささやかな、誰にとっても害のないであろう願いを呟く昼下がり。
2×××年/10月13日/舞い踊る金木犀の中で。