運命の鍵。
title:《運命の鍵。》
ド、ン。
雷鳴が轟いた。
頭の中では狼のような自分の短く荒い呼吸音と鎖の擦れる音だけが響く。
ざっ、
と砂埃を上げてただひたすらに走り続けた。
乾いた冷たい土は素足に痛い。自分の蹴り上げた砂がふくらはぎを打つ。
足の先端がひりひりする。
爪が割れているかもしれなかった。
だが暗闇の空の遠くで大砲のように鳴る雷鳴も吹き抜ける無情な風の音も気にしている余裕はない。
空が光った。
雷光は空を濃い紫に照らし出し、自分の視界も遠くまで一瞬明るくなる。
どこまでも続いている灰色の大地。
時折見えるのは枯れた不気味な木の影だけだ。
首に下げた鎖の先の銀の鍵も稲光を受けて鈍く輝いた。
追ってくる威圧感への恐怖を堪え、ぐっと喉の奥に広がる鉄の味を飲み込む。
どうして、こんな事になったのか。
始まりは、
すべての始まりは、
そう
鍵、だ。
「おっ…化けなんかないさっお化けなんか嘘さっね~ぼけた~ひ~とが見間違えた~のさっ?…♪って!!ぎゃ~~~光った!!落ちた?!雷様にヘソ取られるじゃないさ~~~~(@◇@;)」
さっきまで快晴かと思いきや外は怒涛のような雨が降り、
家中の窓を容赦無く叩きつけていた。
豪雨の音は家中を包み独りで納戸にいるアタシは戦々恐々としてまるでコソドロのように身を縮めていた。
久々のお買い物から帰ってきて可愛い花柄の小旅行鞄(一体何時使うのか謎)とかグレーのスウェットワンピースとかずっと欲しかった純銀の鍵モチーフのネックレスをゲットしファッションショー(やりません???買ったもの並べたり着替えてみたりとか!)をやっていると突然の雷に飛び上がった。
天下無敵の天然阿呆のあちきでも雷は怖い!!
えぇ怖いんです!!笑われようが馬鹿にされようが超繊細可憐な乙女のハートを所持する
(…乙女とはもしかすると漢の中の漢と同義なのか?)あたくしは大きい音は駄目なんです!!!
ほらあちきいたいけな小動物系だから(小さなゴジラも小動物?)☆てへっ
眠れぬ夜はあなたのせい★と恨みがましくお空に歯を剥きガンを飛ばしこの夜を乗り切る為に納戸に本を探しに来たのです。。。。
恐怖を吹き飛ばしてく素敵なアイテム…それは…
漫画!!!
しかもこってこての脱力系王道ギャグ漫画!!!
セレクトした作品は……「魔方陣グルグル」
(大好きニケ!!主人公が好きな漫画ってこれぐらい思い浮ばんぐらい大好き!!アタシを抱腹絶倒笑い死にさせるナイスな勇者…)
しかも全巻読破する覚悟で!!!!
必死で恐怖と戦おうとしているか丸分かりのセレクト具合だな…(-_-;)は~さっぱりさっぱり……さっぱり妖精…。
そういう訳で家の奥の納戸でぐるりと壁を取り囲む高い本棚から本を探す。
揺れるオレンジのランプはアタシの影も揺らした。
本を吟味している間も相変わらず雨の音がしていて明り取りの
窓の前に並んだ硝子細工の動物達も静かだ。
雑多な納戸を漁っていると、
バチッと空気が鳴った。
灯りが消え驚いて魔方陣グルグル7巻を取り落とす。
ブレーカーが落ちたのだろうか、一瞬にして視界は暗くなった。
稲妻が走る。
部屋の中はその閃光で刹那白く光った。
浮かび上がる本棚、鏡台、棚に置かれた小瓶や玩具。
いつものあるべきものがあるべきところにある納戸。
その中に、違和感。
ともすれば見逃しそうだがアタシは何の因果か気付いてしまった。
「それ」は今この状況にそぐわないと一瞬で判断する。
間違い探しの「間違い」だ。
それは、部屋の隅にある勝手口にはめ込んである窓硝子の向こうの景色。
静かな夜の海。
水面が揺れていて海にはティンカーベルの魔法の粉がかけられたかの様に輝いていた。
波は穏やかだ。
そこには土砂降りの惨状とは別の世界があった。
アタシが目にした四角い窓の向こう側の海はぼんやりと黄色く霞んでいて淡く発光している。
「………」
アタシは立ち尽くしてまばゆい海を凝視した。
輝く海はアタシの瞳の中でもちかちか瞬いてる。
相変わらず雨は無慈悲に世界を叩いていてその音はずっと納戸中に響いていた。
だからおかしい。
あの扉の向こうだけ間違ってる。
いや寧ろこちら側が間違っているかのように夜の海は当たり前にそこに存在した。
嵐の中でそこだけ絵画が掛けられているみたいに。
遠くで雷鳴が疼いた。
そっと勝手口のドアノブに手を伸ばしたのは気まぐれというより知っていたからだ。
この勝手口は歪んでいて「開かずの扉」と化し決して動かないということを。
開かないはずのドアだということを。
それは本当に瞬きをする間ぐらいに起こった出来事だった。
ドアノブに触れた瞬間バチッと身体を電気が走り抜けるような衝撃。
それが定められた合図の如くドアに光と力が宿り始める。
首から提げた銀の鍵が呼応してキィィンと鳴った。
雷よりも柔らかい光がアタシの顔を照らし出し髪やワンピースの裾を浮かせる。
眩しさに思わず両腕で顔を庇うと狭い納戸に温かく少し甘い潮風が吹いた。
ドアが、開く。
嵐のような雨の降る世界から星が散りばめられた海へ。
「っ…!!」
抗う隙などあるはずもなく。
アタシは吹き抜ける風に押されるようにしてふわりと暗い納戸から夜の海へ身を躍らせた。
背中がほんのり温かい。
人の体温のように心地いい温度を感じてはっと目を開けるとそこは夜空の下に浮かぶゴンドラのような船の上だった。
船は波にゆったり揺られていて暗い中でここだけが蜂蜜色に輝いている。
立ち上がってみると素足にはすべすべしていて柔らかい不思議な感触がした。
奇妙な浮遊感があって髪も服もアタシの動きに遅れてついて来る。
辺りを見回すとこの黄色い船の上にはたくさんの乗客がいた。
あわあわと霞んでいて輪郭がおぼろげだが二つの光る目を持った猿のような形の生き物たち。
それらは光る船の上で姿を現したり空気に溶けたりを繰り返している。
アタシはそれらに触らないように端へ寄った。
船の縁から下の海を覗き込むとまるで星が沈んでいるかのように灯りがちかちか輝いてる。
目を眇めて透明な水に目を凝らすとそれがどこかの町の家やネオンの灯りだと分かる。
この暗い海の下にも世界が広がっていた。
きらきら海が光っていたのは下の町の灯りだ。
ここはどこだろう。
本当に水の上なのかそれとも空の上なのか。
それの間のような場所に浮かぶ船の上。
それさえも曖昧でとても不安で水面を見つめることしか出来ない。
するといい香りが流れてきた。
アタシの横を誰かが通ったのだ。
ピンクから優しいパステルブルーのグラデーションの長いふわふわの髪の女の子。
その子の髪から飾られていた白い花が落ちる。
いい香りがするそれを拾って手渡すと彼女は微笑んで会釈した。
「?!」
彼女に話しかけようとすると後ろから伸びてきて手に口を塞がれた。
その褐色の滑らかな肌には見覚えがある。
腕には羽の印が刻まれているその腕。
振り返ると背後にいたのは「守人」と呼ばれるひとだった。
女なのか男なのか分からない守人は口元を白く長い布で隠し伸びた銀の前髪の奥で瞳を顰めていた。
『声を出すんじゃない。……何でお前さんが月の船にいるんだい』
月の船。
この海に浮かぶ船の呼称らしいがそんな船の名前なんぞ知ったところであちきに何が出来るっちゅーんじゃ(-_-)
どうせならプリンセスソフィア号とか大漁丸とか豪華客船系の優雅なのか漁船系の厳ついのかどっちかにしろ。ネーミングセンスの欠片もないわい。まだタイタニックとかつけるほうがマシじゃ。
(…論点ずれてるし)
つーか何でここにいるのか一番分からんのはアタシだっつの!!と唸る勢いを込めて守人にガンをくれてやると守人は溜息をついた。
『絶対に声を出さないで大人しくしておいで。まわりの「運び屋」の猩猩たちにお前がいるのが知れたらややっこしい。それからここまできたからには流れには逆らわないように』
「?」
しょうじょう…?
猩猩とはあの空気猿のような輩だろうか?
守人の言っている事が理解できず首を傾げていると、
周りの人々がゆらゆら動き始めた。皆舳先に向って並びだし列を作っている。
仕方なくアタシと守人もそれに続く。
揺らぐ空気みたいに透明な猿のような人々は順番に何かを受け取っているみたいだ。
アタシの番が来た。
舳先には布を身体に巻きつけた小さい老婆が座っていた。
片目が潰れていて残っている瞳も黄色く濁っている。
老婆は水の入った金の聖杯をアタシに掲げた。
『杯の中に手を入れて中にあるものを引きなさい』
後ろで守人が耳打ちする。
手入れてムカデとかゴキブリとか生理的に嫌なものが入ってたらどうしよう(@_@;)といささかバラエティ番組の見すぎな心配をしながら聖杯の水に手を浸す。
アタシが掴んだものはきらきら光る石のようなものだった。
白い炎のように揺らぐ輝きをした不思議な石。
『おや…これは…』
意味有りげに笑って老婆はそれをアタシの左手に乗せかえる。
そしてアタシの右の人差し指の先端をナイフで刺した。
いってぇ!!思いっきりぐさってやりやがったこのお婆様!!!と叫びたいのを我慢。(-_-;)
老婆は血が滲み出たアタシの手を掴み石の上にその滴をたらした。
赤い滴は石の上で蒸発するように消えた。
石の輝きが増す。
水晶のように透明できらきら輝きながら色を変える宝石。
するとそれを暫く見つめていた老婆はアタシの右手を掴む手をきつくして般若のような顔を向けた。
『お前…「運び屋」じゃない…ここにいるべき者じゃあないね』
ざわり、と空気が動いた。
老婆が呟くと場の空気が一瞬にして殺気立った。
あの猩猩たちは不気味に瞳を赤く染め、敵意は明らかにアタシに向けている。
アタシの肌は粟立ち背中に冷たい嫌な汗が流れた。
怖い。
多くの赤い瞳に囲まれたアタシは顔を引きつらせた。
逃げる?掴まる?殺される?
どうする?!どーする?!
どの選択肢も真っ平ごめんだ。
(これ以外の手持ちカードはないんかい!?)
『信託者にはやはり見破られるか』
守人は苦々しげに舌打ちをした。
じりじりと猩猩たちはにじり寄りアタシと守人を真ん中にした輪が小さくなっていく。
猩猩たちはぐ、と体勢を低くした。
「…!」
アタシが身体を硬くするのと猩猩たちが飛び掛ってくるのと
守人がアタシの腰の辺りに手を伸ばして腕に抱え、空に跳躍するのは同時だった。
わ、あ…。
髪が、服が、身体が
宙を舞う。
口元を覆う守人の白いマフラーが夜空に軌跡を描いた。
守人に抱えられ空に飛ぶと風に煽られた自分の髪の間からぐんぐん月の船が小さくなるのが見えた。
暗い海に浮かぶ船は蜂蜜色の三日月形で本当に夜空に浮かぶ月の様だ。
上の夜空には星。
下の海の底には幾千のひかり。
アタシは空と海その狭間を飛んでいた。
猩猩たちは瞳を赤に怒らせ次々列を成して追ってくる。
空の頂点から落ちる無重力の一瞬に月の船に乗った女の子の顔がちらりと見えた。ふわふわの長い髪のアタシに会釈をした女の子。
あ。
何か投げた…。
女の子が心配そうな顔でこちらに何か放ったのを認識したときには既に海の中にアタシと守人は落ちていた。
飛び込んだ水の中は冷たくない。
漆黒のトンネルの中を落ちている感じだった。
足元に光が見えてきた頃
「『下』についたら走るんだ。僕は実体がないから助けてやれない。絶対に止まらないように。捕まるんじゃないよ!」
守人が怒鳴った。
守人の不思議なトーンの声が反響してアタシの頭に何時までも余韻を残す。
励ますように背中を軽く叩かれたと思ったらアタシは地面に投げ出された。
顔面から固い土の上に転がり砂が口の中に入った。
「…ってぇ…」
痛さを堪えて地面に手を突き汚れた顔を腕で拭って立ち上がった。
落とされた世界はあの穏やかできらきら光る海とはまるで別の場所だった。
アタシは丘に立っていて下を呆然と見下ろした。
空が光った。
今にも嵐が猛威を振るいそうな空は遠くで雷鳴が絶え間なく轟いている。
荒れ果てた野には草木は生えず灰色の大地が広がっていた。
どこまでも続く死んだ土地。
寂しい音をさせて吹き付ける風は止む事を知らない。
「走れって…どこに?」
このどこに向かってもどこにも辿り着けなさそうなこの世界の終着点などアタシが知る由もない。
風で散る髪を手で押さえて途方に暮れたアタシの足元に花が舞い落ちてきた。
あの月の船にいた女の子が髪に飾っていた花。
それは地面に落ちると淡く光って姿を変えた。白い小さな小鳥に。
小鳥は羽を広げてこの不穏な空に飛び立った。
仕方なくアタシはそれを追って走り出した。
空からの衝撃が地面から身体に伝わる。
どこかに雷が落ちたらしい。
アタシは構わず腐敗しきって乾燥した荒野を駆けた。
頭の中では狼のような自分の短く荒い呼吸音と鎖の擦れる音だけが響いていた。
苦しい。
ひゅーひゅー嫌な音がする呼吸を繰り返し喉の奥は血の味がする。
元々体力など人の半分以下だ。肺が限界なのは明らかだった。
それでも足を止めることは許されなかった。
後ろから迫る気配は多数だ。
赤い瞳の猩猩たちが追ってくる。
この全てが枯れ倒れた大地に隠れる場所など無くやり過ごす事も不可能だ。
守人に言われたとおり走るしかない。
あの白い鳥を追って。
この中で唯一の希望のような一心にどこかを目指す小鳥を。
足がもつれる。
心臓の鼓動が壊れそうだ。
自分の胸の上で踊る銀の鍵の涼やかな音が妙に響く。
既に意識を失いかけていた。
白い、灯台…?
高台にその灯台は姿を現した。
窓の類は見当たらず入り口が一つだけある簡素な灯台。
回るサーチライトがアタシを射して過ぎていく。
小鳥は迷わずそこに飛んでいく。
砂に足を取られながら必死で灯台を目指した。
目前に灯台が近づく。
しかし猩猩の気配はアタシの背中のすぐそこまで迫っていた。
足がもつれた。
自分の左足に躓いて「あ」と思ったときには砂の上を引き摺られるように前に倒れていた。
それを好機と猩猩たちが一斉に襲い掛かってくる気配がした。
折角。
ここまでせっかく辿り着いたのに。
たくさん走ったのに。
悔しさで涙が滲み砂を掴む。
喉の奥がじんと痛かった。
『よくここまで頑張った。下がっておいで』
聞き覚えのある声。
男女の区別が難しい不思議なトーンの。
よく見るとアタシが掴んでいたのは砂ではなかった。
褐色の肌の足首。
バッと砂だらけの顔を上げるとそこには銀の髪の守人が遠くの雷光を見つめていた。
守人は前に出ると飛び掛って来た猩猩に手を突き出した。
褐色の肌の羽が煌く。
怒れる猩猩たちはまるで透明な壁に阻まれたかのように空中でぴたりと動きを止めた。
いくつもの赤い瞳が硬直する。
守人はそれに口の端を吊り上げ笑った。
突き出した腕で横に、勢い良く薙ぎ払う。
キィン、と刃を受け止めたような音がして猩猩たちの押しつぶされそうな悲鳴が聞こえた。
翳した守人の手のひら先からの先から白い光が零れ出た。すると猩猩の姿が白く染まりどんどん膨らんでいく。
辺りは漂白されたようなまばゆい光に包まれた。
ばん、
破裂音が響き渡った。
きらきらと羽が舞い落ちるみたいに光の粒子が世界に降り注いだ。
暗い空から光の雨が降ってくる。
猩猩の姿はどこにも無かった。
それらは刹那の間だったがアタシには全てスローモーションの映像のように随分とゆっくり感じられたのだ。
「…何したの?」
砂の上に座り込んだアタシが聞くと守人は肩を竦めた。
「境界線を引いたんだよ。少しばかり手荒だったがね。今頃運び屋の奴らも自分の仕事に戻ってるさ」
「仕事…?」
「奴らは『運び屋』だから。信託者の聖杯から引き当てたものを運ぶのが仕事であり呼吸のようなもんだ。……さて、『在るべきものは在るべき所へ』ポケットから石を出してごらん」
守人がアタシの砂まみれのワンピースを指差す。
ポケットに手を入れると出てきたのは船でアタシが聖杯から引き当てたきらきら光る石だった。
見る角度によって輝く色が変わる。
「投げて。上に。高く高く。空の向こうまで」
言われた通りアタシは石ころを空に投げた。
石は吸い込まれるように高く高く上がっていく。
「あ」
そして一番輝く星になった。
嵐のような暗い空に孤独に力強く目印のように一つ星が瞬いている。
守人は空を見上げて笑いを吹き出した。
「フォーマルハウト!!聖杯の中に沈んでる唯一の一等星じゃないか。あんな上等なものを横から掻っ攫えばそりゃあ猩猩の恨みも買うな…無欲の勝利か。天然馬鹿は最強さね。いい仕事をしたなぁお前」
「独りで納得すんなこの白づくめが!!(-□-;)あちきの仕事は可愛くしぶとく世界に君臨することだっつの!!ふぉーまるはうと?大体運んだってアタシは一体何を運んだのさ!!?」
癇癪を起こして地団駄を踏むアタシ(大人気ない)を守人は面白そうに見てあの星を指差した。
「あの猩猩たちは季節を運ぶのが役目。お前さんが運んだのは『秋』だ。時期になったらお前が選んで運んだ一番上等な『秋』、一等星が輝きだす」
きらりとアタシが投げた宝石が輝きを増したように見えた。
すっと守人はアタシに近づいて下げている銀の鍵に触れた。
指先が鍵の形をなぞる。
鎖骨の辺りが少しくすぐったい。
「鍵…か。道理で色んなところの『扉』を開けるはずだなお前さんは。鬼に金棒というより殺人鬼にナイフどころかハローポイント装填した拳銃を渡したようなもんさね」
くく、と喉の奥で笑った。
それは思いっきり貶されていると取っていいのだろうか(-_-)
物騒な単語が並んだもんだなおい。
「良くも悪くもこれはお前と巡り合ったものだ。この鍵に呼ばれたんだな」
「え?でもこんなもん別に一点ものでもないだろうし。値段だって万単位だけどアタシにしては高い買い物ってだけで誰でも買えるもんだぞ??そんな大層なもんじゃ…」
「人間だって大量生産で沢山「在る」がお前さん個人はひとりだろう?それと同じ事。出会うべくして出会ったんだ。…だけどお前は少し無茶しすぎだな。顔をプリンだらけにして網戸を突き破って庭に転がり出た頃からその無謀さは変ってない」
「∑!!貴様…なぜそのアタシの幼少時の恥ずかしい過去を知っている!!!」
顔を引き攣らせ守人の首元を引っつかんでがくがく揺するアタシにされるがままに守人は遠い目で空を見つめた。
「お忘れかい。僕は納戸の住人だ。お前が生れる前から。お前が『境界線を引く技』を覚える前からね」
境界線を引く。
自分と生きる場所が違うものを分ける術。
自分を守る為に。
相手を守る為に。
『自分の前に線を引く。境界線はどんなものにも有効だ』
記憶の中に沈んでいた声が突如として浮上した。
随分前に聞いた台詞。
男なのか女なのか分からない不思議な声のトーンが鮮やかに再生される。
どこで聞いた?
何時聞いた?
誰に?
アタシはこの術をいつの間にか身につけたものだと思っていた。
思っていたのに。
「守人…アンタがアタシに教えたの…?」
守人は何も言わない。
まだ光の粒子は雪みたいに柔らかく降ってくる。
足元には光が積もっていて灰色の大地も不気味な木の影も荒野の世界は静かに光で覆われていた。
玩具のように造りがシンプルな灯台はオレンジのサーチライトをくるくる回している。
まるであたし達を含めて世界は綺麗なスノードームの中のようだった。
「自分のいるべき場所へお帰り」
安らかに守人は言葉を紡いだ。
「…また会える?」
訊いたアタシを眩しそうに見つめて口元を綻ばせた。
「……お前さんはふらふらしているのが常のようだし嫌でも会うことになりそうだあね」
「うわ~そりゃ嬉しいわ(-_-)」
軽口を叩いてアタシは灯台のドアの前に立った。
ドアに手を掛けて振り返ると守人はきらきら光るスノードームの世界に立って笑っていた。風が纏っている白い衣装をはためかせている。銀の髪が揺れてその奥の瞳がちらりと見えた。
綺麗な、写真のような景色だ。
「ほら前を向け。もう振り返るな。自分の力で扉を開けろ」
言われてアタシは暗いドアを押す。
「ねぇ」
背を向けたまま守人を呼ぶ。
「ん?」
「今度会ったら硝子の動物たちと遊ばせてよ」
「あぁ。今度会ったらな」
「約束ね」
「約束」
アタシは満足して目を伏せて微笑んだ。
指きりさえもしない簡単な口約束だけど、それでいい。
振り返らず守人に手を振る。
そして灯台の中に飛び込んだ。
雷は止んでいた。
窓の外は明るくて空が見える。
夏の朝の涼しい空気。
明り取りの窓から日が射し込んでいた。
厳めしいクローゼット。小さな鏡台。茶色い小瓶やラベンダーのポプリ、水色のカネット壜が並んでいる作り付けの棚。天井には古いランプが吊るしてある。
いつものしんと落ち着いた気配がする納戸。
そこにアタシは納戸の本棚の前に「魔方陣グルグル」を持って立ち尽くしていた。
自分の鎖骨の間にある銀の鍵は沈黙し鈍く光を反射していた。
がっと本棚の広辞苑やら国語大辞典やら天文学関係の本を引っ張り出す。
『フォーマルハウト』
南魚座のα星の固有名詞で、アラビア語のフム・アル・フート(魚の口)からきた呼び名。
秋の夜のただ一つの一等星。
アタシが聖杯から引き当てたのは秋の象徴のような一等星だった。アタシはきちんと運び終えた。時期がきたらきっと夜空に輝きだす。
秋が、来る。
どこかで鳥が鳴く声が聞こえる。
本をぱたんと閉じた。
帰ろう。
静養は、終わりだ。
『前を向いて』『振り返らないで』『自分の力で扉を開ける』。
大丈夫。
アタシにはこの鍵がある。
アタシはいるべき場所に帰ってそこで頑張るんだ。
明り取りから覗く空は青く澄んでいて暑くなる予感がした。
買ったばかりの花柄の旅行鞄に服とMDと本を詰める。
ポケットにはストロベリーのキャンディの袋とキウイのジャムの小瓶。
メイクを終えてスキニージーンズとチェックのワンピースを着てパーカーを羽織った。
最後に首に鍵を付け直した。
納戸の窓辺の動物達を優しく撫でる。
「行ってきます」
そして姿の見えないここの住人たちにそう厳かに宣言した。
アタシはその日、
丘の一番上に建つキウイ棚がある懐かしい場所を後にした。
2×××年/9月11日/銀の鍵の輝きを胸元に。