夢見る欠陥マリオネット。
祖母は魔法使いのような人だった。
山の上の一番天辺に建ち庭には白いキウイ棚があるこじんまりとした家にひとりで住んでいた。
干したハーブやドライフラワーが置かれている台所。
光が当たると一斉に紅茶色や琥珀色に透き通る梅やプラム、林檎などお酒の瓶が並ぶ戸棚。
年季の入ったロッキングチェア、アンティークのチェスト、床の間には大きな金の鳥籠がスタンドにかかっているオリエンタルと西洋のテイストが同居している古い町屋の一室みたいな客間。
そして明り取りの窓辺に硝子細工の動物たちが棲んでいる薄暗い納戸。
そんな物語に出てくる魔女の館そのままの家にいた祖母は綺麗な灰色に染まった髪をまとめ、お手製の小花柄ティアードスカートを穿いていつもにこにこと私を見ていた可愛らしいおばあちゃんだった。
歌を口ずさみながら何でもこなし、子どもの私には何枚ものワンピースを拵えてくれ、大人の私には小さな舌を出してユーモアたっぷりの助言をくれた祖母。
彼女には秘密があった。
『おばあちゃんはな、言霊使いやのよ』
祖母は淡い記憶の中で人差し指を唇の前で立てて、優しい色の奥に潜む悪戯っぽい輝きを宿した瞳で不敵に微笑む。
そうだ。
祖母は魔法使いでなく言霊使いだ。
言の葉の無限の力を行使して、この世界に色んな物を具現させる不思議な不思議な言霊使い。
私は知っている。
彼女が言霊で世界を使った遊びをしていたことを。
運命の銀の鍵で別の世界の扉を開いていたことを。
すべてはこの遺された日記の中に生きている。
私は手の中にある鍵付きの日記帳を眺めた。
深い茶色の革の表紙はすべすべと滑らかだ。
祖母の生まれた月に咲き誇っているコスモスの柄が刻印してあり右端に小さく『IONA』と名前が刻んであった。
納戸で見つけた分厚い日記は祖母が何年にも渡って綴っていたことが予想された。
私が表紙を持つ手に力を込めると、
ぱちんっ
と、日記を閉じてた赤銅色の錠が鈍く光を反射してひとりでに弾け飛び、
それは座っていた私の膝に落ちた。
私は目を見張り、それから薄く微笑んだ。
祖母にまつわることではこのぐらいは序の口だ。
この人はそれはそれは愉快で人が驚くようなことを仕掛ける悪戯好きだった。
彼女にかかれば『不思議』も当たり前の顔をしてこの場に出現する。
「さすが天下の言霊使い(笑)」
私は祖母そっくりと言われる顔でふふん、と挑戦的に鼻で笑い日記帳の革の表紙をゆっくりと開いた……。
title:《夢見る欠陥マリオネット。》
真っ青なまっぴるま。
ぶつんと背中の真ん中が音を立てた。
「君と抜け出してキスをした 月夜に飛び込むプール♪」
(何の歌か分かった人にはあちきの特製ブロマイド:ポエムつきをプレゼント☆……ぜってぇ誰も名乗りを上げねぇ…)
上機嫌で歌いながら雑貨を片していたアタシは突然スイッチが切れたかのように腕に荷物を抱えたままリネンの海のベッドへ倒れこむ。
脚をベッドの柵から投げ出して怠惰な姿のまま白い光で更に漂白された天井を仰いだ。
そして小さく舌打ちする。
「久しぶりだ。この感覚」
全然起き上がる気がせず急に何もかもつまらなくなり木偶と化した。
背中が少しすかすかして際限の無い孤独感。
外の風や生活音がやたらと響きただ無為に過ぎる穏やかな時間の中にいる虚しい実感。
五月病の一種だと思うがこの時期不意に全てが意味の無いことに思えて来るのだ。
別に嫌気がさしたり絶望の淵に立たされるわけではなくただ「ちょっとメランコリック」。
「つまらない」が一番近い。
感情の上下がなく常に一定で温度を伴わなくなり何もする気が起きない。
ヤバいくらいにニュートラル、そのくせ少し間違えたらルナティック。平常と狂気の壁が薄くなる。
言霊使い特有の持病「マリオネット症候群」。
「足首」「膝」「太ももの付け根」「手首」「肘」「首」
妙に自分の可動部位の関節が意識されるが怠惰のもう一段上ぐらいの圧力に屈して自ら動かすことは出来ない。
糸が切れて舞台上で横たわった操り人形みたいに。
操り人形だ。
世界という名の舞台の上で人生を演じ続ける操り人形。
どんな小さな生き物も植物も人間も生きて「存在する」という役割を与えられ舞台上に立たされて人間が太刀打ちできない大きな流れ、運命という人形師によって操られる。
丸い地球は可愛いウサギから悪魔のような詐欺師までマリオネットでいっぱいで物語を前へ前へ回し続けてる。
何の因果かその幾億の中のひとつの「アタシ」という人形の背中の糸が切れたのだ。
繋がれていた糸が何かの拍子に偶然ぷつんと外れた。
青空の天上からのばされているアタシを操るため身体の関節辺りに繋がれていた糸。
途中で千切れているそれを壊れて転がったアタシは仕方なしに横目で垣間見ている。
やれやれ、だ。
繋がれていた世界から隔絶されるとその全体像を見ることはできてもアタシはこの舞台の上で動くことが決定されてる「人形」だから糸が切れていては身動きはとれない。
人形は普段は自ら動くだけだから操る世界側の存在など意識しないがいったん糸が外れてしまうとその世界の外側に出て視点が変わり
そういう世界の仕掛けがみえてしまう。
製作者側にしたら完全に想定外。
バグだろう。
また5月という季節は雨が世界の汚れを洗い流し翆雨を含んだ空気が透んでいて遠くの隠された裏側がよく見えるものだ。
操り人形を動かす人形師のいる舞台の裏側や誰も見ることの叶わない世界の脚本に基づいた舞台装置の存在は内容が見えなくてもそれが「有る」ということが知れるだけで人形は演じる気を無くすもんだよ。(-_-)
これがマリオネット症候群の正体か。
世界と繋がっていた糸が切れたから一人が寂しくなり、
圧倒的に何もやる気が起きなくて動けなくなる。
「仕方が無いなぁ」
溜息をついた。
そして意識を集中させて天上から下ろされている透明な鎖のような糸を視線で辿っていく。
それは漂う雲をつき抜けのっぺりした青い空の上まで続いていた。全ての場面を突き抜けている糸を辿って
もっともっと意識を上へ。
ドロップみたいな無限数の彩の星々が永遠に広がる夜空に出ても糸は天上まで続いている。
人形の意志が介在しないここではないどこか別の世界へ。
その宇宙を一枚突き抜けると次はやがてどこかの場所に出る。
本来アタシがいるべき場所でないのできちんと周りの情報が認識されず全て淡くかすみ、視界がぼやけているが玩具みたいなちゃちでキッチュで優しい色合いの街。
螺旋の煉瓦の塔の最上階。
信じられないほど高くて狭い薄汚れた煉瓦の部屋には穴が開いたみたいな窓から全ての世界に共通する風が吹き抜けている。
ほとんど何も無い部屋。
その隅っこで、
汚いオンボロ机に向ったひとが何かを一生懸命に書いていた。
多分「舞台」の未来を。
もっとよく見ようとするとアタシに気づいたその人物が手を一振りする。
バチン、
と衝撃があって、
気づくとアタシは自分のベッドの上に逆戻っていた。
足を投げ出したままで髪を散らして荷物を抱え仰向けに寝転んだ自分が仏頂面でいるのが分かる。
身体も異常なくさっきまでの身動きできない「ちょっとメランコリック」は殆ど消え失せていた。
一瞬の内にバグは修復され人形は人形へ元通り。
はみ出した人形はすぐさま世界に繋がれる。
「チッ…(ーー゛)『イケメン金持ちと大恋愛をする』という筋書きを加えてほしいとちょっと直談判しようとしただけじゃないか…ケチめ……」
などという文句をブツブツ呟きながら起き上がる。
まぁいい。
脚本の正体が知れたら全ては興ざめだ。
運命的な出来事が書き加えられて素敵な王子と出会える展開を期待するぐらいだな。つーかよ、いままでフラれ言霊使いを演じてやったんだからそれぐらいのご褒美があってもいいだろが。(-д-;)舞台を作ったのはアンタらでも世界を回しているのはアタシらなんだよ。
忘れたら痛い目見せてやる!!覚えとけ!!!
(畏れ尊き存在になんて大変不遜な台詞だろう…)
背中の糸は修復されたがまだ気だるい余韻が残っていた。
首を左右に振って具合を確かめる。
仕様が無いので自分で何とかするか。
肘、膝、首。
抱えてたアナスイのSecretWishのボトルを
具合の悪い関節に傾け、順に指先で触れていく。
広がるフルーティフローラルムスキーの香り。
「動け。滑らかに狂いなく。
この世界の人形として生きる為に」
囁く様な言葉で縛って魔法をかける。
(はい本来属性言霊使いなのに久々だよ言霊使うの…(-_-))
真っ青なまっぴるま。
窓の外は相変わらず晴れていて隣の公園のタンポポの綿毛とショッキングピンクのツツジと葉の緑が目に鮮やか。
鮮やか過ぎて沁みるほどに。
窓からそれを見つつ部屋の片付けを再開する。
「I miss you baby You`re my shinin`days~♪」
たまに常識から逸脱するそんな日常。
そういう日々を過ごしてるアタシという壊れたマリオネット。
多分世界に1人の配役で
結構気に入っている世界のポジションだ。
2×××年/5月16日/突き抜ける青空の正午。