海峡の灯が消える前に
明石の夜は、潮の匂いが強い。
海峡を渡る風は冷たく、橋の巨大な影が海面に落ちる。
街は観光と漁の顔を持ちながら、その背中には物流の血管が走っている。
港は明るい。だが、明るい場所ほど闇は紛れやすい。
彩香は岸壁の手前で足を止めた。
「ここや。」
倉庫番号、搬入時刻、出入りする車両の型番。
断片の情報を繋ぎ、NSTはこの倉庫へ辿り着いた。
表向きは食品流通。
実態は違う。
淡路へ渡る“何か”が、ここで積み替えられる。
ドローン部品、通信妨害装置、監視攪乱用の精密機器。
元県知事一派の末端が扱う、県を盲目にする道具。
玲奈を奪った連中の匂いも、ここに漂っている。
彩香は息を整え、仲間を見た。
澄香。澪香。あかり。美咲。
誰も軽口を叩かない。
玲奈は最年長で、絶対的リーダーだった。
彼女が前に立つと、自然と背筋が伸びた。
今、前に立つのは彩香だ。
「玲奈さんを探す。任務も潰す。両方やる。
一歩でもズレたら、次はない。」
澄香が頷く。
「侵入口、二つ。監視は古いけど生きてる。」
澪香が短く言う。
「外周は私が抑える。」
あかりが拳を握る。
「突っ込んでええんやな。」
彩香は睨む。
「突っ込むな。潜れ。」
あかりが口を尖らせる。
「……はい。」
美咲は静かに言う。
「私、裏の通路を確認します。」
彩香は頷く。
「頼む。」
四人が影に散る。
彩香は一人、倉庫のシャッター脇へ。
鍵は古い。
工具でこじれば鳴る音は小さい。
倉庫の中へ滑り込む。
内部は冷えた空気。
油と段ボールの匂い。
照明は最小限。
足音が響く。
棚の奥、木箱の列。
コードは偽装。
重量が違う。
彩香は手袋の指で木箱を撫でた。
粉が付く。化学臭。
「……当たりや。」
その瞬間、視界の隅に光るもの。
床に落ちた、細い金色。
彩香はしゃがみ込み、拾う。
金モールの切れ端。
縒りの強い装飾糸。
県警カラーガード隊の制服に使われる、あの金モールと同じ。
息が詰まる。
玲奈の姿が脳裏に浮かぶ。
白いブーツ。濃紺の制服。旗を掲げた背中。
その金色が、床に落ちている。
「ここに……おったんか。」
胸の奥が熱くなるのを、彩香は噛み殺した。
泣く暇はない。
怒る暇もない。
ただ、事実だけが重い。
玲奈はこの倉庫に監禁されていた可能性が高い。
ここからどこかへ移された。
海峡を渡ったかもしれない。
渡る前に止めねばならない。
彩香は無線を押す。
「金モール発見。玲奈さんの線、濃い。
任務は予定通り。搬出を止める。」
澄香の声。
「了解。港側に車両来た。」
澪香。
「警備二名。処理する。」
美咲。
「裏通路、抜けられます。」
あかり。
「ほな、やるで。」
彩香が短く言う。
「静かにや。」
次の瞬間、外から賑やかな声が飛び込んできた。
「うわぁ~!ここもええ匂いしてそうやなぁ!」
明るすぎる声。
美月だ。
CS番組の食レポ。
明石焼き名店巡り。
ロケの途中で港に寄ったのだろう。
彩香の全身の血が引く。
「……なんでここにおるねん。」
さらに追い打ち。
「彩香ぁぁぁ!!」
港の方から、大声。
美月が手を振っている。
カメラも回っている。
「何してんの!?え、ロケ?私もロケやで!?
今から明石焼き行くねん!一緒行こ!」
最悪だ。
倉庫周辺の男が一人、顔を上げた。
視線が彩香のいる方向へ向きかける。
彩香は一瞬で判断する。
美月を止める。
しかし大声を出せば終わる。
彩香は影から出ず、倉庫の柱の陰で手だけを上げ、
“黙れ”の合図を送る。
だが美月は読めない。
「え?なんで手だけ!?
なぁ彩香、今日機嫌悪いん?」
男が歩き出す。
倉庫入口へ。
澄香の声が無線で震える。
「彩香さん、来る。」
彩香は歯を食いしばり、柱に背を押しつけた。
玲奈の金モールが、手の中で痛い。
澪香が低く言う。
「私が止める。」
次の瞬間、倉庫入口で男が足を止める。
何かにつまずいたように体勢が崩れる。
澪香の影が滑り、男を静かに床へ沈める。
音は立たない。
美月は何も知らず、まだ明るい声で叫ぶ。
「彩香ー!明石焼きは出汁が命やでー!」
彩香は心の底から思う。
頼むから黙れ。
今は、旗が落ちた夜の続きなんや。
だが“日常”は、いつも無遠慮に入り込む。
その混乱の隙に、NSTは動いた。
澄香が車両のキーを抜く。
美咲が裏通路から搬出担当を誘導し、別方向へ散らす。
あかりが荷台に飛び乗り、機材の固定具を外す。
彩香は最後に倉庫の中央へ出る。
木箱の中身を確認し、証拠を撮る。
そして金モールをポケットにしまった。
「玲奈さん……待っとけ。」
呟きは短い。
港の夜は何事もなかったように続く。
橋の灯が海面に揺れる。
観光客の笑い声。
明石焼きの湯気。
美月のロケ車は去っていく。
「また連絡するわー!」
彩香は返さない。
NSTは任務を完了した。
だが彩香の胸に残ったのは、
止めた輸送の手応えよりも、
手の中で光った金色の切れ端だった。
海峡を渡る影。
それは物資の影ではない。
奪われたリーダーの影だ。
彩香は背筋を伸ばす。
玲奈がいなくても、隊列は崩さない。
崩れたら、玲奈の背中に泥を塗る。
「次の線、追うで。」
海風が強くなる。
だが、彩香の覚悟はもっと硬かった。




