赤いコンテナは夜を渡る
港の夜は、静かに嘘をつく。
神戸港第七バース。
クレーンの影がコンテナを吊り上げ、赤い箱がゆっくりと夜空を横切る。潮の匂いと重機の低い唸り声。どこにでもある光景だ。
だが、その赤だけが浮いていた。
「重量、三トン多い。」
双眼鏡を下ろしながら、岡本玲奈が呟く。
湾岸の風が黒いスーツの裾を揺らす。県警音楽隊の白い手袋は、今夜ははめていない。旗もない。あるのは冷たい判断だけだ。
赤いコンテナは建材扱いで申告されている。だが台貫の数値は嘘をつかない。
「動きますか。」
隣で西川彩香が低く言う。播州の烈火は、港の闇にも臆さない。
「まだや。尻尾を掴む。」
玲奈の声は淡々としている。感情は削ぎ落とされているが、目だけが鋭い。
その頃、迫田澄香と澪香は別々の制服を着て動いていた。ひとりは荷役会社の事務員、もうひとりは警備会社の受付。顔は同じ。だが立ち位置が違うだけで、人は簡単に混乱する。
「夜間追加搬出、三件。」
「トラック番号、控えました。」
双子の声は無線に乗る。冷静で無駄がない。
赤いコンテナはトレーラーに載せ替えられ、湾岸線へ向かう。隊列は三台。中央の一台だけが妙に慎重だ。
「あかり、距離を保て。」
玲奈が指示を出す。
「了解っ!」
山本あかりの声が明るすぎる。無線の向こうで、彩香が小さく舌打ちする。
「声がでかい。」
だがあかりは既に動いている。一般車両を装ったNSTのセダンが、トラック隊列の後方につく。
湾岸線を走る赤い箱は、夜景の中を滑る血の塊のようだった。
やがてトラックは高速を降り、臨海倉庫街へ入る。人通りはない。街灯は少ない。カメラは多い。
「ここで止まる。」
玲奈は即断する。
双子が倉庫内部のシフトを撹乱。受付端末に一瞬の空白が生まれる。その隙に彩香が裏口へ回る。
あかりは躊躇なく正面へ近づいた。
「待て、単独で――」
言い終わる前に、警備員があかりに声をかける。
瞬間、彩香が背後から制圧。音は最小限。無駄な暴力はない。
赤いコンテナの封印が切られる。
中身は建材ではなかった。
黒い装置。無骨な金属箱。
電波遮断機。
「都市単位で通信を止める装置や。」
玲奈が低く言う。
兵庫の一部を実験的に“沈黙”させるための機材。物流の裏で行われるテスト。ジェネラス・リンクの匂いが濃くなる。
「証拠確保。装置無力化。」
双子が内部回路を撮影。彩香が電源ユニットを破壊する。あかりは工具を握り締め、必死に固定ボルトを外す。
だが、その瞬間。
遠くでエンジン音が唸った。
黒塗りの車が倉庫前を通り過ぎる。速度は落ちない。ただ一瞬、こちらを見た。
玲奈は視線を上げる。
目が合った気がした。
「監視されとる。」
赤いコンテナは、ただの荷物ではなかった。
敵はNSTの存在を嗅ぎつけた。
倉庫を離れる頃、港の灯りは変わらず輝いている。市民は何も知らない。通信も途絶えない。
任務は成功。
だが玲奈は海を見つめたまま言う。
「これは挨拶や。本命は、もっとでかい。」
湾岸の風が強くなる。
ポートタワーの赤が揺れる。
赤いコンテナは夜を渡った。
だが影は、まだ消えない。
西日本特別諜報班 NST。
存在しない部隊の戦いが、静かに始まった。
この続き
**西日本特別諜報班 NST ― 影の特命
第一話・後篇 赤い残響**
倉庫を離れたあとも、潮の匂いが車内に残っていた。
湾岸線へ戻る途中、玲奈はバックミラーから視線を外さなかった。
さきほどの黒塗りのセダンは見えない。だが、消えたからといって安心はできない。
「リーダー……追尾、ありません。」
迫田澄香の声は落ち着いている。
同じ顔を持つ澪香は、別ルートで走りながら監視カメラ網を逆探知していた。
「監視は切れてません。倉庫周辺の映像、外部転送されてます。」
玲奈は短く息を吐く。
「見られとる、いうことや。」
彩香が助手席で拳を握る。
「上等です。」
「あかん。」
玲奈の声は低い。
「感情は要らん。向こうは実験や。こちらは止めただけや。」
赤いコンテナは囮だった可能性がある。
都市の通信を止める装置。それ自体が本命ではない。
“どこまで介入してくるか”を測るための餌。
「NSTの存在、確認されたかもしれません。」
澪香が淡々と言う。
「なら、向こうも一段上げてくる。」
湾岸の街灯が流れていく。
神戸の夜景は変わらず美しい。
あかりが後部座席で身を乗り出した。
「でも止めましたよね? 通信、止まってないですし!」
彩香が振り返る。
「結果だけで判断するな。これは序章や。」
玲奈は無線を切り替えた。
「ヒロ室へ。第一目標無力化。だが監視を確認。
敵は我々を認識している。」
一拍。
波田顧問の声が返る。
「へっ、上等じゃねぇか。向こうがビビらなきゃ、こっちの仕事にならねぇ。」
「顧問。」
玲奈は静かに続ける。
「これはテストや。本番は、もっと大きい。」
「わかってらぁ。港を止める気なら、次は電源か物流か――
あるいは両方だ。」
無線が切れる。
車内はしばらく沈黙した。
赤いコンテナの映像が、迫田姉妹の端末に映し出される。
箱の側面に、かすれたマーキング。
「この記号……」
澄香が指を止める。
「港湾再開発関連企業のサブ会社です。」
彩香が眉を寄せる。
「元知事の後援企業。」
玲奈は小さく頷いた。
「線が繋がった。」
だが、それだけでは足りない。
「証拠としては弱い。向こうは尻尾を切れる。」
「では?」
彩香が問う。
玲奈は前方を見据えた。
「次は、受け渡し先を叩く。」
湾岸を抜け、車は六甲の影へ向かう。
夜は深まっている。
その頃、港の対岸。
黒塗りのセダンの中で、男が携帯端末を閉じた。
「予定通りだ。装置は回収された。」
助手席の男が尋ねる。
「妨害部隊の確認は?」
「五人。女性。連携は良い。」
薄く笑う。
「存在しない部隊……か。」
港を見下ろす。
「次は、もう少し大きな餌を撒こう。」
再びエンジンがかかる。
神戸の夜景は何も知らない。
市民は眠り、音楽隊は翌日の演奏準備をしている。
そして翌朝。
県警音楽隊の練習場で、白い手袋をはめた玲奈が旗を振る。
青空の下、フラッグは正確に弧を描く。
子どもたちが拍手する。
彩香は少し離れた場所からそれを見ている。
「三つの顔、か。」
あかりが小声で言う。
「すごいですよね、リーダー。」
玲奈は振り返らない。
「顔は増えても、やることは一つや。」
旗が風を切る。
「守る。それだけや。」
だが、その足元には新たな影が伸びている。
赤いコンテナは消えた。
だが、湾岸の奥で何かが動いている。
NSTは、まだ全体像を見ていない。
第一の接触は終わった。
本当の戦いは――
これからだ。




