直線の果てに消えた爆音
春のGⅠレース。
仁川の競馬場の芝は刈り揃えられ、まるで緑の絨毯だ。
観客は色とりどりの帽子と勝負服の話題でざわめいている。
パドックの蹄音。
ファンファーレの予行。
だがNSTの掴んだ情報は違う。
最終直線地下に仕掛けられた小型爆破装置。
着順確定と同時に爆発。
混乱、群衆事故、そして世論操作。
黒幕は――
リコールされた元県知事。
「地下配線は三か所。
本線は芝コース直下。」
彩香は観客に紛れていた。
帽子、サングラス、地味なジャケット。
播州の鉄の街で育った女の目は、配線の歪みに敏感だ。
そのとき。
「すみません!今、生放送なんです!」
最悪の声。
美月。
その隣にさつき。
二人はCSスポーツ局の“競馬初心者体験レポーター”。
美月はノリノリだ。
「春のGⅠ、盛り上がってます!
初心者の私でもドキドキ!」
マイクを振りながら場内を練り歩く。
そして――
「あれ?」
彩香と目が合う。
終わった。
美月が一直線に来る。
「えー!彩香やん!
こんなとこで何してんの!?」
観客に紛れて潜入中。
最悪の展開。
彩香のイヤーピースから小さく舌打ち。
だが顔は崩さない。
美月のマイクが突きつけられる。
「今日はどの馬来る思う?」
完全生放送。
逃げ場なし。
彩香は一瞬で計算する。
“この状況を使え。”
「ああ、今日は内枠の先行馬がええ。」
淡々と答える。
「理由は?」
「直線短い。
前残りや。」
視線は芝。
爆破装置の起動トリガーは観客動線。
混乱を起こすには人が密集する瞬間が必要。
「おおー!プロっぽい!」
美月が感心する。
さつきが冷静に補足。
「根拠もあるんですね。」
彩香は軽く頷く。
「データは裏切らん。」
実際は地下配線の話だ。
だが視聴者には競馬分析。
機転。
イヤーピースに低い声。
「地下第二配線確認。」
NSTメンバーが観客動線を自然に散らす。
美月はまだいる。
「馬券買ったん?」
「買うかいな。」
「えー!来た意味ないやん!」
彩香は心の中で叫ぶ。
“邪魔すな。”
だが口元は笑う。
「今日は見学や。」
地下メンテナンス通路。
スタッフを装った男が工具箱を持っている。
視線が一瞬、交差。
彩香は美月のマイクを逆手に取る。
「ちょっとあのスタッフさんにも聞いてみ。」
自然な誘導。
美月が振り向く。
「すみませーん!今日の見どころは!?」
男は動揺する。
その隙。
NSTメンバーが背後から制圧。
工具箱から起爆装置。
無音。
観客は何も知らない。
「装置解除。」
彩香が低く告げる。
残る配線も無効化。
ファンファーレ。
レースが始まる。
芝を裂く蹄音。
歓声が波のように押し寄せる。
最終直線。
観客総立ち。
だが爆音はない。
代わりに――
勝利の歓声。
白い帽子が舞う。
美月は叫ぶ。
「うわぁぁぁ!」
さつきが笑う。
「当たった?」
「外れた!」
彩香は帽子を深くかぶる。
イヤーピースに彩香の声。
「完了。」
無線越しに仲間が息を吐く。
「今回も派手やったな。」
彩香は観客の波を眺める。
鉄の街で育った女は知っている。
構造物は、歪みから壊れる。
だが今日は壊れなかった。
美月がまた寄ってくる。
「なあ、次どこ行くん?」
「帰る。」
「もう?」
「芝守らなあかんやろ。」
意味は通じない。
だがそれでいい。
春のGⅠ。
爆音は消えた。
芝の直線に響いたのは、
歓声だけ。
西日本特別諜報班 NST。
賭け金の向こうで、
爆音は静かに封じられる。




