海上空港非常線 第13話 忘れ物カウンターに眠る罠 ― ロストバゲージ・コード
空港の忘れ物カウンターには、旅の名残が集まる。
傘、帽子、土産物、充電器、ぬいぐるみ。
誰かが慌てて置き忘れたもの。誰かが気づかないまま失ったもの。そこには、少しだけ人間の油断と温度が残っている。
白浜麻衣は、その場所が苦手ではなかった。
むしろ、少し好きだった。
「これ、持ち主の子、泣いてるやろな……」
カウンターに置かれた小さなぬいぐるみを見て、麻衣はそう呟いた。
幼稚園教諭を目指す彼女にとって、子どもの忘れ物はただの物ではない。安心そのものだったり、眠る時のお守りだったりする。
だが、その優しさを黒鷹は利用した。
そのぬいぐるみは、ただの忘れ物ではなかった。
耳の縫い目の内側に、小さな暗号タグが仕込まれていた。
「忘れ物を目印にした受け渡しや」
彩香が低く言う。
「趣味が悪い」
玲奈の声は静かだった。
麻衣はぬいぐるみを見つめる。
「子どもの物を使うなんて……」
その声は怒鳴っていない。
だが、芯が冷えていた。
カウンター周辺は、家族連れが多かった。
到着便の後、眠そうな子どもを抱く親。
泣きながら落とし物を探す女の子。
「ここに届いてませんか」と焦る母親。
麻衣は自然にその中へ入った。
「大丈夫やよ。一緒に探そな」
小さな女の子の前にしゃがむ。
目線を合わせる。
声を落とす。
その瞬間、子どもの涙が少しだけ弱くなる。
麻衣には、それができた。
戦うより先に、安心させることができる。
だが目は、周囲を見ている。
(来る)
ぬいぐるみを回収しに来る人間が必ずいる。
それは親ではない。
スタッフでもない。
“自然に心配しているふりをする大人”だ。
「対象候補、三人」
美咲の声。
「一人は違う。子ども見てる目が本物」
麻衣が答える。
彩香が少し驚く。
「分かるんか」
「分かります」
短い返事。
子どもを見る目に、嘘は出る。
麻衣はそれを知っていた。
男が一人、カウンターへ近づいた。
「すみません、そのぬいぐるみ、うちの子のかもしれません」
柔らかい声。
だが、肝心の“子ども”が近くにいない。
麻衣はぬいぐるみの前に立った。
「お子さんはどちらですか?」
男が一瞬止まる。
「妻と一緒に……」
「確認します。特徴を教えてください」
声はやさしい。
だが、一歩も退かない。
男の目が変わった。
その瞬間、麻衣は確信する。
「この子のものではありません」
男が手を伸ばす。
麻衣は、ぬいぐるみと子どもたちの前に立った。
小柄な体。
童顔。
普通なら押しのけられそうに見える。
だが、その時の麻衣は大きく見えた。
「触らんといてください」
静かな声。
子どもが後ろで怯える。
麻衣は背中でかばう。
「大丈夫やよ。後ろにおって」
優しい紀州の響き。
その声だけは、子どもへ向いている。
前にいる男へは、もう一歩も譲らない。
「今」
玲奈の声。
双子が左右を閉じる。
美咲が背後へ回る。
あかりが外側から飛び込む。
美音がカウンター周辺のカメラと導線を押さえ、あおいが上から逃げ道を切る。
結月は外周出口で待つ。
短い制圧。
男は動けなくなる。
ぬいぐるみの中から、暗号タグが見つかった。
空港内の受け渡し時刻と場所を示す、小さなコード。
子どもの忘れ物に仕込むには、あまりにも汚いものだった。
彩香が吐き捨てる。
「ほんま腐っとるな」
麻衣は何も言わない。
ただ、ぬいぐるみを両手で持っていた。
少しして、本当の持ち主の女の子が見つかった。
ぬいぐるみを受け取ると、女の子は泣きながら抱きしめた。
「ありがとう……」
麻衣はしゃがんで笑う。
「見つかってよかったなあ。もう離したらあかんよ」
女の子は大きく頷く。
その光景を見て、あかりがぽつりと言った。
「麻衣って、ほんま先生みたいやな」
彩香も珍しく素直だった。
「……ああ。強い先生になるわ」
玲奈は短く言う。
「守る理由がある奴は強い」
麻衣は少し照れて、でもはっきり答えた。
「子どもが泣くの、嫌なんです」
それだけだった。
だが、その理由だけで十分だった。
夜の空港は、また何事もなかったように流れ始める。
忘れ物カウンターには、まだ誰かの傘や袋が並んでいる。
だが、その一角で仕掛けられた罠は、もう眠っていない。
白浜麻衣。
小さく、優しく、童顔で、強い。
子どもを守る時、彼女は誰よりも大きな壁になる。
そしてその壁は、どんな罠にも破れなかった。




