蔦の影に沈む白球
春の風は、まだ少し冷たい。
歴史ある球場の蔦は、静かにスタンドを覆っている。
土の匂い。
ブラスバンドの音。
そして、白球が舞う季節。
春の高校野球全国大会――開幕。
昼。
県警音楽隊の演奏がグラウンドに響く。
整然と並ぶ出場校。
玲奈はカラーガード隊員として、白いブーツでグラウンドを踏む。
旗が翻る。
青空に伸びるその軌跡は、美しい。
観客は拍手を送る。
そのスタンドの一角では――
「春の聖地、最高やぁぁ!」
美月がノリノリで叫んでいる。
CSスポーツ中継の大会アンバサダー。
マイク片手に、目を輝かせている。
「この空気感!
野球好きにはたまらんわ!」
スタンドの蔦を背景に、カメラへ向かって力説。
だが、NSTが掴んだ情報は別だった。
スコアボード制御室への不正アクセス。
停電と同時に観客誘導システムを混乱させ、
群衆パニックを誘発する計画。
背後にいるのは――
リコールされた元県知事。
逆恨みは、群衆を利用する段階まで進んでいる。
「開会式終了後、制御室へ向かう。」
玲奈の声は冷静だ。
昼の式典が終わる。
選手たちはベンチへ。
観客は試合開始を待つ。
玲奈は関係者通路へ消える。
その時。
「玲奈さん!」
最悪のタイミング。
美月がマイクを持ったまま走ってくる。
「式典終わったのに何でまだ居るん?」
無邪気だ。
悪気は一切ない。
「仕事。」
玲奈は短く答える。
「もう仕事終わりやろ?」
「まだ。」
通路を抜けようとする玲奈に、また追いつく。
「え、どこ行くん?バックヤード?
ええなぁ!」
イヤーピースに彩香の怒声。
「誰か美月を連れて帰れぇぇぇ!!」
播州弁が荒れ狂う。
「ほんま、あの河内のスピーカー……!」
だが誰も捕まえられない。
美月は自由だ。
「玲奈さん、怪しいで?」
「蔦の手入れや。」
「え?」
「蔦の確認。」
適当だが、通じないこともない。
制御室へ到達。
扉はロックされている。
内部では男が端末を操作中。
停電カウントダウン。
観客三万人。
「始まるで。」
男が呟く。
玲奈は静かに扉をこじ開ける。
一瞬で間合いを詰める。
男がナイフを抜く。
ブーツが床を踏みしめる。
肘打ち、体勢崩し、制圧。
端末へ飛びつく。
カウントダウン残り十秒。
「遮断。」
配線を切断。
再起動。
照明は落ちない。
スコアボードはそのまま。
観客は歓声を上げる。
何も知らない。
その瞬間、通路でまた声。
「玲奈さん!」
本当に来た。
「何してんの?」
玲奈は端末を足元へ蹴り込む。
「白球守っとる。」
「え、カッコよ。」
状況が分かっていない。
イヤーピースで彩香が低く言う。
「終わったか。」
「完了。」
「美月は?」
「目の前。」
彩香が深くため息をつく。
「ほんま胃が痛いわ……」
外では第一試合が始まる。
投手が振りかぶる。
白球がミットに吸い込まれる。
歓声。
蔦の影は揺れる。
リコール元県知事の計画は潰えた。
だがその存在は、さらに凶悪化している。
玲奈はスタンドを見上げる。
野球少年の夢が、そこにある。
「光は、守る。」
美月が隣で言う。
「なあ玲奈さん、今日どこ応援する?」
「全部。」
短く答える。
蔦の影に沈みかけた白球は、
再び空へ舞い上がった。
西日本特別諜報班 NST。
歓声のすぐ裏で、
影は今日も静かに動く。




