塩田に立つ白い亡霊
赤穂の海は、静かに嘘をつく。
昼間は観光客で賑わう港町。
忠臣蔵の旗がはためき、浪士の法被を着た人々が行き交う。
歴史と塩の街。
だが夜になると、風の匂いが変わる。
塩田跡地。
かつて白く輝いていた塩の結晶は、今は廃倉庫の影に沈んでいる。
NSTが掴んだ情報は単純だった。
海上輸送ルートの異常傍受。
小型ドローンの中継信号が、赤穂沖を通過する貨物船に集中している。
目立たない港。
目立たない中継局。
だからこそ都合がいい。
「倉庫群の奥。
塩田跡の一番古い建屋。」
彩香の声がイヤーピースに落ちる。
「単独で行く。」
玲奈は短く言った。
その数時間前――
「赤穂浪士、討ち入り体験ツアー、いよいよ開始やでぇぇ!」
赤穂城跡前で、美月の声が響いていた。
今日は観光イベントのMC。
赤穂浪士の衣装を着て、観光客を盛り上げている。
「討ち入りは夜や!
夜の赤穂はドラマや!」
無駄に熱い。
その熱気から離れた場所で、玲奈は観光客に紛れていた。
黒のコート。
静かな視線。
昼の下見は終えている。
塩田跡地へ続く小道、警備の有無、照明の配置。
夜――
風が強くなる。
白い砂の上を、玲奈は足音を殺して進む。
塩の残滓が月光を反射する。
まるで亡霊が立っているようだ。
倉庫の中に、簡易アンテナ。
中継機材が並ぶ。
海上航路のデータを吸い上げる違法装置。
「見つけた。」
その瞬間。
背後から声が飛ぶ。
「玲奈さん、何しはってるん?」
凍る。
振り向くと、浪士衣装の美月。
旗まで持っている。
「……何してると思う?」
玲奈は静かに返す。
「夜の塩田で一人散歩って、風流やなぁ思って。」
悪気は一切ない。
むしろ感心している。
「帰りなさい。」
「え、なんで?
ここ、討ち入りルートやで?」
よりによって。
玲奈は一瞬で判断する。
「ここから先は危ない。」
「何が?」
その瞬間、倉庫内で物音。
男が二人、飛び出してくる。
玲奈は美月を背中に庇い、前に出る。
「下がって。」
短い声。
男の一人が銃を構える。
玲奈は地面の塩を蹴り上げる。
白い粉が舞う。
視界が遮られた隙に、懐へ飛び込む。
肘打ち、関節、沈黙。
もう一人も壁に叩きつける。
美月は目を丸くする。
「討ち入りより本格的やん……」
「見てないことにしなさい。」
「えー?」
だがその顔は少し真剣になる。
「危ないことしてるん?」
「街を守ってるだけ。」
美月は黙る。
「ほな、ウチは何も見てへん。」
意外と空気を読む。
玲奈は中継装置の配線を切断する。
サーバーを破壊。
海上データの傍受は停止。
イヤーピースに彩香の声。
「終わったか。」
「完了。」
「……美月は?」
「討ち入りや。」
沈黙のあと、彩香が低く言う。
「はぁ……」
撤収。
塩田を抜ける。
月明かりの中、二人の影が伸びる。
「玲奈さん、ほんまは何してんの?」
「歴史の影を掃除してる。」
「かっこええやん。」
軽く笑う。
赤穂の夜は静かだ。
海は何も語らない。
翌朝。
観光イベントは成功。
浪士のパレードは盛況。
ニュースはそれを報じる。
塩田で動いていた影のことは、誰も知らない。
美月は最後に小声で言う。
「討ち入りより、あんたの方が怖いわ。」
玲奈は淡く笑う。
「亡霊は、目立たない。」
白い塩田に立つ影は、夜と共に消えた。
西日本特別諜報班 NST。
赤穂の海を、またひとつ静かに守った。




