境界の霧、二つで一つの影 ― 新温泉ツイン・ミラーライン
新温泉町。
兵庫県北西、日本海に面した静かな町。名の通り温泉が湧き、白い湯気が朝夕を問わず立ち上る。だがこの町の本質は、その“曖昧さ”にある。海と山に挟まれ、霧が出れば視界は数メートルで途切れる。音は近く聞こえても、距離は狂う。見えるものも、聞こえるものも信用できない――そんな場所だった。
黒鷹は、その曖昧さを利用していた。
同一貨物を二系統に分けて同時に動かす“ミラーライン”。
片方は囮、片方が本命。さらに温泉の蒸気と霧で熱源と視界を撹乱する。追う側は必ず判断を誤る。どちらを追っても、正解は半分しか掴めない。
その作戦に対し、玲奈は一言だけ告げた。
「……ツインズで割る」
迫田澄香、迫田澪香。
瓜二つの双子。
同じ顔、同じ声、同じ動き。
だが、その中身は違う。
「右、軽い」
澄香が言う。
「左、重い」
澪香が返す。
同時に見て、同時に違う視点を持つ。
その二つを重ねた時だけ、“本物”が浮かび上がる。
今回の任務は、彼女たちでしか成立しない。
霧が濃くなる。
視界が消える。
足音すら、どこから来るのか分からない。
「……見えへん」
あかりが小声で呟く。
「見んでええ」
澄香が返す。
「感じる」
澪香が続ける。
温泉の湯気が、わずかに揺れる。
人の動きが、空気を変える。
(……左)
(……左やね)
二人の判断が揃う。
その瞬間――
「うわー!めっちゃ霧やん!」
場違いな声が、霧を裂いた。
赤嶺美月。
完全にプライベートの温泉巡り。
そして、いつも通りの無邪気さ。
「これテンション上がるやつや!」
声が響く。
位置がバレる。
黒鷹側も気づく。
ラインが揺れる。
「……あのアホ」
彩香の声が低くなる。
さらに悪いことに――
「おーい!誰かおるー?」
完全にアウトだった。
(崩れる)
誰もがそう思った。
だが。
「……使う」
玲奈の声が、静かに落ちる。
「音を動かせ」
「あかり」
「了解!」
即座に動く。
「美月さん!」
笑顔で駆け寄る。
「こっち、めっちゃええ温泉ありますよ!」
「ほんま!?」
単純だった。
「源泉かけ流しで、めっちゃレアなんです!」
「行く!」
そのまま、音の発生源が移動する。
霧の中で、“目立つ存在”が動く。
黒鷹の注意も、自然と引き寄せられる。
音が囮になる。
「……今や」
澄香が動く。
「詰める」
澪香が重なる。
二人が同時に切り込む。
霧の中、左右から。
完全なシンクロ。
逃げ道はない。
制圧。
音は消える。
霧は変わらない。
温泉の湯気が、静かに立ち上る。
何も起きていないように見える。
だが、すべては終わっていた。
撤収後。
彩香の怒りは収まっていなかった。
「……あのツインテール、ホンマええ加減にせえよ」
声が低い。
完全に危険域。
「今度邪魔しよったらなぁ――」
間。
「後ろ手に縛って温泉の湯舟に首まで浸けて、“ええ湯やろ?”って一時間説教したるわ、コラ」
あかりが真顔で聞く。
「それ……普通に気持ちよくないですか?」
「ちゃうわドアホ!」
即答。
「逃げ場ゼロで延々説教やぞ!精神的にくるやつや!」
理屈は一応成立していた。
あかりが「なるほど……」と妙に納得する。
そのやり取りを、少し離れて見ていた玲奈が――
ほんの一瞬だけ、口元を緩めた。
誰も気づかないほどの変化。
だが確かに、笑っていた。
新温泉の霧は、また流れる。
見えるものは信用できない。
だが、見えないものは、確実に存在する。
二つで一つの影。
迫田ツインズ。
揃えば外さない。
そして今日も、誰にも知られないまま――
任務は終わる。




