ことわざシリーズ 1 人は見かけによらぬもの
あるところに、ひと組の親子がいた。
夏の終わりの午後、公園を歩いていた母親と小さな男の子。手にしていた赤い風船が、ふいに手をすり抜け、空へと昇っていった。
「うわあああん!」
子供は泣いた。
「ママ、あれ取ってぇ!」
風船は、すぐそこの大きな木に引っかかっていた。母親は見上げたが、どう考えても手は届かない。木登りなどしたこともないし、ヒールの靴ではとても無理だ。
(困ったわ……でも、早く帰らなきゃ夕飯の支度が)
近くを歩く人に助けを求めようと、通りかかった一人の男性にすぐ声をかけた。
「すみません、あの──」
男はイヤホンを外し、にこやかに立ち止まった。
「はい、どうしましたか?」
若い。黒いキャップ、運動ジャージ。引き締まった体に見える。だが――
(……小柄ね。160cmくらい?)
母親は一瞬で「頼りなさそう」と判断し、口をつぐんだ。
「……やっぱり、なんでもないです。すみません」
男は一拍おいて「そうですか」とだけ言って、イヤホンをつけて歩き出した。
(何だったんだ?)
数歩進んで、ふと気になって振り返ると、さっきの親子がまだそこにいた。子供は泣きながら上を見ている。男はその視線の先に風船を見つけた。そして、母親が自分を頼らなかった理由も理解した。
(俺がチビだから、か……)
胸の奥が、じくりと痛んだ。
そのとき、スーツ姿の長身の男性がこちらに向かって走ってきた。いかにも「頼りになりそう」な風貌。母親はすかさず声をかける。
「すみません! 子供が風船を――あの木まで飛んでしまって、取っていただけませんか?」
男は走りながら、眉をひそめ、苛立ちを隠さずに答えた。
「今、急いでんだよ! 子供のことくらい自分でなんとかしろよ!」
そう吐き捨てるように言って、そのまま母親の横を駆け抜けた。
母親は言葉を失い、ただ見上げるしかなかった。子供もすすり泣きながら、風船を見ていた。
(……ざまぁみろ)
一瞬、そう思った。だが、泣いている子供の顔がどうにも気にかかって、胸がぎゅっと締めつけられた。
(……やっぱ、見てらんねぇわ)
彼はゆっくりと後ろを振り返り、ジャージの紐を結び直した。
そして、自慢の脚力で助走をつけ――
一気にジャンプ。
指先が、かすかに風船のリボンに触れた。そして、もう一度地面を蹴り、今度はしっかりとそれをつかんだ。
赤い風船が、空から地面へと帰ってきた。
「ありがとうございます!」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
母親と子供が声を揃えて言った。子供は風船を抱いて嬉しそうに笑っている。
男は、何かが満たされるのを感じた。
自分の背丈や見た目とは関係なく、誰かの役に立てたという実感。
それは誇らしくて、心地よかった。
「じゃあ、気をつけて」
照れくさそうにそう言って、男は再びイヤホンを耳に戻す。
振り返ると、母親と子供が手をつなぎ、子供がスキップしている。その背中を目に焼きつけるように見てから、男はゆっくりと歩き出した。
誰にも気づかれない、静かな英雄のように。
ことわざ:人は見かけによらぬもの
小さい体でも、大きな力を持っている人がいる。
頼れそうに見えて、冷たい人もいる。
だから、人は見かけだけではわからない。
ことわざ:人は見かけによらぬもの
小さい体でも、大きな力を持っている人がいる。
頼れそうに見えて、冷たい人もいる。
だから、人は見かけだけではわからない。